道徳的動物日記

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読書メモ:『哲学の門前』

 

 

 

 著者の吉川浩満さんには文筆家としてのデビューするきっかけをいただいており、その後も編集者を紹介していただいたり『21世紀の道徳』や次作の執筆の打ち合わせにも毎回のように参加していただいてもらったりするなど、いろいろとお世話になっている(そして、本書内の「勤労日記(抄)」にはイニシャルとしてではあるがわたしも登場している(p.143))。

 本書も発売当初に献本してもらって、そのまましばらく積んでいたが、家庭の事情のために昨日から京都に実家に戻っており、東京からの新幹線や実家で読む本を持っていくうえで「事情のために集中できるコンディンションではないから軽い読み物のほうがいいな」ということを検討したうえで、エッセイがメインであると思わしき『哲学の門前』を持っていったという次第。とはいえ、そこまで気軽な内容というわけでもなく、世間一般の価値観からすれば必ずしも「軽い読み物」の枠には入らないかもしれないが。

 本書の特徴は、各章ごとに、「だ・である調」で書かれた著者自身の経歴や家族や友人にまつわるエピソードなどのエッセイが掲載された後に、そのエッセイに関連する哲学的なテーマについて過去の思想家や現代の書籍などを挙げながら簡単に解説や紹介をする「です・ます調」の文章が掲載される、という構成になっていること。

 また、よくある「哲学入門」ではなく、入門の以前の「門前書」を目指しているところも特徴のひとつだ。この「門前」に関しては下記のインタビューでも解説されている。

 

realsound.jp

 

 ……とはいえ、読んでいて思ってしまったのは、高島鈴の『布団の中から蜂起せよ』と同じく、この本も著者のファンブックのようなものではないか、というところ*1。『哲学の門前』では哲学パートに比してエッセイパートの分量が体感にして2倍近くあり、エッセイというのはそもそもそれを書いている著者に対して興味がなければ(あるいは題材がよっぽど特殊であったり変わった文体であったりしなければ)読まれないものである。わたしは著者と知り合いであるからこそエッセイパートも本人との会話(や本人のSNSなど)を思い出しながら楽しく読めたが、そうでなかったら微妙なところだ。

 もちろん両者の違いも大きく、社会やマジョリティに対する批判が繰り返されており言葉遣いも過激なことが多い『布団の中から蜂起せよ』は間口が狭いがコアなファンが得られやすい内容になっている一方で、『哲学の門前』は文章は穏やかでトピックも無難な印象が強く、「広く浅く」な読者層になっていそうである。

 著者自身の在日コリアンとしてのアイデンティティ(とアイデンティティに対する両義的な態度)がトピックになったり「ネトウヨ」を批判する箇所があったりジェンダーに関する言及もあったりするなど、読み出す前に想定していたよりはずっと「政治的」な内容ではあったのだが、それらのトピックについて書かれている箇所すらも刺激はあまり強くなく読者に反感を抱かれる可能性もほとんどなさそうである。この「無難さ」はおそらく著者が狙ってやっていることだと思われるが、読んでいて色々と物足りなかった(もっとも、アイデンティティについて書かれている箇所については、わたし自身が在日アメリカ人であるために自分が考えてきたことや経験してきたことと重なる部分が多少あって…もちろん一緒にできないところもかなり多いのだけれど…新鮮味を感じなかったが、一般の日本人読者には新鮮味や刺激が感じられたりするのかもしれない)。

 そして、『布団の中から蜂起せよ』と同じく、本書についても「人文書」と言えるかどうかは微妙だ。哲学パートにおける解説や紹介は簡潔ながら要領を得ており、「右でも左でもある普通でない日本人」で松尾匡やジョナサン・ハイトなどを紹介しながら右翼/左翼の捉え方について論じるところや「複業とアーレント」における労働/活動論などは印象的ではあるが、「門前書」というコンセプトがゆえに散発的に紹介されるかたちになっていて、読者の理解を深めさせたり知識として定着させたりできるかどうかは難しいところだと思う。

 

 しかしまあ、読んでいて思ったが、どうにも最近のわたしは個人のエピソードといったものや「エッセイ」という形式自体に対する興味が薄れている。エッセイと哲学が混ざったうえで後者の比重が多い本というのは『哲学の門前』に限らず最近の日本では目立っており*2、わたし自身も自分でそういう本を書いてみようかなと検討していたところなのだが、やはり難しそうだ。そもそも、本書で取り上げられているような様々な出来事(学生時代の海外旅行、恩師や知己との出会い、研究会への参加、国書刊行会やヤフーへの就職など)に比するような経験が自分には乏しく、エッセイに書くためのネタがほとんどないことも痛感してしまった。

*1:

davitrice.hatenadiary.jp

*2:もうひとつ目立っているのは、フィクション作品…とくにマンガ作品を引用しながら哲学(だか社会学だか)についてあれこれ解説します、というもの。すべてとは言わないが、このタイプの本もわたしは苦手である。マンガの内容について紹介している部分がまだるっこしくて文字数の無駄に感じられることが多いし、あくまで哲学(だか社会学だか)の本であるからマンガに対する「批評」の域にまでは達せられず、かといってマンガの内容を紹介はしちゃうから哲学(だか社会学だか)を「解説」するための文字数も足りなくなっちゃって、中途半端な出来になることが多いのだ。