道徳的動物日記

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読書メモ:『一冊でわかる デモクラシー』&『啓蒙とはなにか:忘却された〈光〉の哲学』

 『福祉国家』『ポピュリズム』『移民』『法哲学』『マルクス』『貧困』に引き続きオックスフォードのVery Short Introduction シリーズの邦訳書を紹介するシリーズ第七弾。ただし今回紹介する『デモクラシー』と『権威主義』はどっちもあまり良い本ではない(前者はロクでなしという域に達している)のでまとめて紹介。

 

 

 

 バーナード・クリックはわたしでも知っているような有名な政治学者で、本書が出版された時点で73歳と高齢であり、本書のカバーに書かれている紹介によると「イギリス政治学の重鎮」であるらしい。

 訳者あとがきでは、イギリスの政治学にはアメリカ的な「政治科学」とは異なる「政治理論」の伝統があり、「政治科学」が軽量的な測定とかモデル構築とかの専門的な手法を重視する代わりに専門家にしか通じないタコツボ的な議論になっているのに対して、クリックの行っているような「政治理論」は「読書界全般(リーディング・パブリック)」を対象読者として想定した広く一般にも通じるような議論を展開しているそうだ…が、クリックはたとえばジョン・ロールズの『正義論』のような、(アメリカの)分析的政治哲学の著作も「政治科学」扱いしているようである。

 たしかに『正義論』はこのわたしですら何度読んでもよくわからんところが多い難解な著作であるし、分析的政治哲学(というか分析哲学全体)が一般向けではないところがあるだろう。一方でクリックのようなイギリス流政治理論は「文芸的」とも称されており、学問的な議論を展開すると同時に読み物としてのおもしろさとか文章の質の良さとかも保っているところを誇っているとかそんな感じらしい。……だが、訳者あとがきにも書かれいる通り、本書には「その語り口からして彼一流のもので、議論の飛躍や脱線、ジョークや皮肉にあふれている」のであり、そのせいで「読者にとっては議論の筋が分かりにくい部分がある」(p.211 - 212)。入門書だと銘打っているのに読者にとって議論の筋を分かりにくくさせるのは一流じゃなく二流や三流の人間のやることだろう。

 とくに問題なのは、「ジョークや皮肉」であり、だれにでも想像できる通り73歳の高齢者によるジョークや皮肉が面白いわけがない(そして悲しいことに高齢者になればなるほど自分の面白くなさについて客観的に理解できなくなってジョークや皮肉を言いたがってしまうものである)。しかもそのジョークの内容も「アメリカ人はポピュリム支持のバカである」とか「動物の権利運動や環境保護運動はインテリのお遊びである」とか「フランシス・フクヤマは愚かで単純な議論を行なった」とかの世間(すくなくともイギリスの「読書界」)に存在しているであろう単純化されたステレオタイプや偏見に基づいた安直なものであり、なんら刺激的なものでもなければ啓発的なものでもない。また、ジョークや皮肉のほかにも本書ではやたらと古典や歴史的エピソードからの引用が登場するのだが、教養のひけらかしにしか感じられず、議論の理解を深める役に立つというよりもノイズにしかなっていない。段落の最後で急に話が脱線するのも「わたしと同じくらいの教養を持つ読者ならこの議論についてわたしがなにを思っているかわかってくれますよね?」という「目配せ」みたいなものを感じてキモいし、総じてイライラする*1。いまのところ読んだなかではVery Short Introdutionのなかでもぶっちぎりでワーストだ。

 

 いちおう本書の内容を紹介すると、アリストテレスマキャヴェリトクヴィル、ミルといった思想家たちがそれぞれデモクラシーについてどんなことを考えていたかという思想史的な記述と、デモクラシー自体の発展の歴史に関する記述が織り交ぜられている。アリストテレスが民主制と貴族制の混合(中間)を理想としていたというあたりとか、マキャヴェリのデモクラシー観やトクヴィルが自由のためにデモクラシーが必要なんだと考えていたみたいな記述はそこそこ参考になった。

 第五章はポピュリズムに関してでありアメリカがポピュリズム的ということがくどくど述べられているが、このトピックは現代の研究者に任せたほうがいいだろう。また第七章でのシティズンシップ論もこんな教養ひけらかし権威主義ジジイに語られたくないと思ってイライラした。

 

 なお、今年の年末に、Very Short IntodutionのDemocracyはナオミ・ザックという人が書いたバージョンが新しく出るらしい。まあそうしたほうがいいだろう。

 

 

 

 

『啓蒙とはなにか』も『デモクラシー』ほどではないが、一般読者に対して「啓蒙とはなにか」ということについての知識や見取り図を真面目に提供する気があるのかどうか疑わしく思わさせられるような内容だった。

 本書の著者は「最近では啓蒙を拡大解釈して現代にも啓蒙が必要だと論じたり、啓蒙の悪い側面を無視するような議論が増えている」ということを憂いたうえで「啓蒙とは歴史の一時期にしか存在せずある段階で終わったものだ」ということを強調される。それ自体は思想史の考え方としてあり得るものかもしれないが、問題なのは、じゃあなぜそんなもう過去に終わったものについて読者が学ばなければならないのかという理由や意義みたいなのがさっぱり示されないことだ。また、なぜ啓蒙が拡大解釈されるか……なぜ思想史学的には牽強付会な議論だとしても啓蒙の良いところを取り出して現代に適用しようとする著作家や学者がいて、彼らの書いた本が多くの読者に好意的に受け入れられているのか、ということについても著者はしっかり取り上げて議論しておくべきであっただろう。

 そもそも「啓蒙」というテーマでVery Short Intodutionを執筆する依頼が来たこと自体が現代の「啓蒙」ブームのおかげであるだろうし、わたしを含めた読者の多くは「啓蒙は昔に終わったものだから現代に適用しようとする議論はみんなインチキなんだもん」という思想史的見解の一方的な押し付け以上のことを求めてこの本を購入したんだし。一般読者を向けた入門書を書く以上は、思想史専攻の院生や学部生ではない人にとっても読む意義を感じられる内容にするよう心がけるべきだ。

 

 本書の内容自体も、啓蒙時代に関連するさまざまな思想家やトピックが雨霰と登場してはちょっとした説明が書かれて退場して……の繰り返しであり、内容が散漫で印象に残らなかった。

 

*1:とはいえ、「一般読者」のなかには、本のなかで展開されている議論の内容ではなく、重鎮と称されるエラい学者の繰り広げられるジョークや教養ひけらかしや目配せなんかにこそ「知的」な雰囲気を感じてそれに浸ってうっとりする、みたいな人がかなり多いのだろうなとは思う。たとえば蓮實重彦のファンとかは全員そうだろう。