道徳的動物日記

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なくてはならない福祉国家(読書メモ:『福祉国家 救貧法の時代からポスト工業社会へ』)

 

 

 最近はプライベートがバタバタしていて本を読む時間をじっくり取ることも難しく、また文章を書けるタイミングもなかなかないのだが、ナントカ合間合間に時間を捻出しながら簡単な新書やベリーショートイントロダクションの邦訳書などを読んでいるので、普段の記事よりも簡素になるがメモがてらに内容を紹介していこう*1

 

 まずは社会学者のデイヴィッド・ガーランドが書いた『福祉国家』から。冒頭で示される、本書の目的は下記の通りだ。

 

本書におけるわたしの望みは、福祉国家をより正確に、より啓発的に描き出すことである。つまり、歴史家、社会学者、比較社会政策研究者の知見にもとづいて、わかりやすく、現実に即した福祉国家解釈を提示することである。わたしの議論は次のようなものになるだろう。福祉国家は、戦後史の一コマとみなしてよいものではない。ラディカルな左派政治でもなければ、貧困層への疑問符付きの施しでもなく、経済の足手まといでもない。そうではなく、近代的統治の根本的な一面とみなされるべきものである。形態の面で違いはあるにせよ、福祉国家は先進社会に例外なく存在するものであり、資本主義経済を社会的にも経済的にも持続可能なものにするうえで、なくてはならない手段として稼働している。福祉国家が資本主義下の民主主義における常態であること、民主主義を機能させるためには福祉国家が必要であることーー社会科学者のあいだでは、これらは実証的に裏付けられた定説である。社会科学のお墨付きを得たこの見解が、そうあってしかるべきほどには広く共有されていないのは、福祉国家に争う強力な政治勢力が世間の認知を歪めているからである。

 

(p.12)

 

 福祉国家の批判者として多くの人が連想するのは、保守やリバタリアンにシバキアゲ系政治家といった「右」の人たちだろう。本書でも主な批判対象は右の人たちであるが、同時に、一部の「左」の人たち…福祉国家も所詮は国家統治の一形態であると批判するアナーキストや、福祉国家は資本主義を前提にして資本主義を持続させるものだから解体すべきだと唱える社会主義者…たちにも釘を刺す内容になっている。

 

福祉国家は多彩で、複雑で、定義しづらい。福祉国家がやっていることを明確に表現したシンプルな理論はないし、その存在目的を整然と掴まえるシンプルな見方もない。この複雑さや多様性は、福祉国家の擁護派にとって悩みの種でもある。福祉国家のこれまでの競合相手というと、一方に自由市場の資本主義が、他方に国家社会主義者がいるが、ユートピア的理想も、殿堂入りの英雄的弁護人も欠けている点で、福祉国家はそのどちらとも異なる。福祉国家は、革命的理想主義の産物ではなく、漸進的な改革や階級間の連立の産物である。その原理を作り出したのは、原始的な哲学者ではなく、公務員、社会科学者、政府委員会であり、そうした人びとが熱心に取り組んだのは、妥協をひねり出し、現実的な手筈を整えることだった。ジョン・ロールズ、ロナルド・ドゥウォーキン、マルサ・ヌスバウムアマルティア・センのような思想家たちの奮闘はある。社会正義、平等、連帯について、自由をはぐくむポテンシャルを育てていくことの重要性について、これらの思想家たちは力強く主張してきた。にもかかわらず、福祉国家支持論は、心を揺さぶるような理想ではなく、官僚的な処方箋として語られることが圧倒的に多い。

 

(p.22 - 23)

 

 ロールズが実際に提唱したのは「財産所有の民主制」であって福祉国家とは微妙に異なるものであるがそれはともかく、ここで挙げられている思想家たち4名はいずれも現代リベラリズムの代表的かつ王道的な存在だ。そして、「妥協をひねり出し、現実的な手筈を整えること」は福祉国家だけでなくリベラリズムにも当てはまることなのだろう。

 また、バランス感覚は福祉国家の特徴であると同時に本書の特徴でもあり、たとえば著者のガーランドはフーコーについても研究があるような社会学者ではあるが、本書では「国家」や「統治」に対してかなり中庸的な見方が示されている。

 

 第二章は「福祉国家以前」で第三章は「福祉国家の誕生」、第四章は「福祉国家1.0」と、本書は基本的に時系列で進んでいく。

 前半で強調されるのは、資本主義が発展したのと共に、資本主義が生み出す弱者の保護や社会と人々に対して資本主義がもたらすリスクへの対応策として福祉国家も登場して発展していったということだ。つまり、資本主義は多かれ少なかれ福祉国家(福祉政策)や国家による介入がなければ持続できないという点が示されている。このあたりは、『資本主義の倫理学』で論じられていたことにも関わっているだろう*2

 第五章「多様性」では、エスピンアンデルセンによる有名な「3つのレジーム論」が紹介されつつ(社会民主主義自由主義保守主義)、実際の国々の制度はこの3つのレジームに単純に収められるようなものではない、というありがちだが有意義な議論がされる。なおアメリカの福祉制度がいちばん逆進性が高くてロクでもない。

 第六章「問題点」で印象に残ったのは、福祉の不正受給の問題は誇張されていることが多いが実際に起こってはいるし、なんにせよこの問題は福祉国家の印象を悪くしている、というところ。ほかにも、条件付きの支給は受給者にスティグマを負わせたり手続きを無駄に複雑にして非効率にするなど(『わたしはダニエル・クレイグ』のああいうやつ)のデメリットが多いが、市民たちは「ばらまくんじゃなくて"ほんとうに必要な人"にだけ福祉を受け取れるようにしろ」と求めてしまう(そして政治家などが「必要ない人まで福祉を受け取っている」とデマや誇張混じりで煽る)から、理想的で効率的な福祉制度を採用することはなかなか難しい……というジレンマを本書を読んで改めて確認した。福祉国家は貧者に対する同情や共感などの道徳感情に由来するところもあるが、同時に別種の道徳感情…責任や公平さと関わる感情…とは対立しているわけだ。

 終盤の章については、第七章「新自由主義福祉国家2.0」では新自由主義が人々の経済権と社会権を弱めたり困窮層を対象にした福祉を削減したが就労層対象の福祉は新自由主義以降のほうが手厚くなっているという意外な事実が指摘されているところや、第八章「ポスト工業社会への移行ーー福祉国家3.0へ」では「自由に個性を表現する個人主義的なライフスタイルは、家族に対する依存を減らす福祉国家があってこそ成立する」と指摘されているところがおもしろかった。

 第九章のタイトルは「なくてはならない福祉国家」であり、近代社会=資本主義にとって福祉国家が必要不可欠であるということが改めて強調されている。

*1:「14歳から考えたい」シリーズや「サイエンス・パレット」「サイエンス超簡潔講座」は図書館で借りて済ませることにしたけど、ガルブレイスの『不平等』や「哲学がわかるシリーズ」に『福祉国家』と同じく白水社のシリーズはじっくり読みたいので購入希望。

www.amazon.co.jp

*2:

davitrice.hatenadiary.jp