『福祉国家』、『ポピュリズム』、『移民』、『法哲学』に引き続きオックスフォードのVery Short Introduction シリーズの邦訳書を紹介するシリーズ第五弾……ではないのだが、同じように英語圏の入門書の邦訳なのでこの流れで紹介。また、今月に発売したばかりの本である*1。
本書の「はじめに」ではフェミニズムの定義の問題について触れられている。
…フェミニズムへの向き合いかたは、なにを「フェミニズム」とするかによって変わってくるということなのです。だれかが「フェミニズム」という言葉を使うとき、意味しているのは次のどれか、あるいは全部かもしれません。
・理念としてのフェミニズム。かつてマリー・シアー[アメリカの作家、フェミニズム活動家]は「女性は人であるという根源的な考えかた」だと言いました。
・集団的政治プロジェクトとしてのフェミニズム。ベル・フックス[アフリカ系アメリカ人社会活動家]の言葉を借りれば、「性差別および性差別的な搾取と抑圧を終わらせるための運動」です。
・知的枠組みとしてのフェミニズム。哲学者ナンシー・ハートソックは「分析のひとつの様式であり……問いを発し、答えを探す方法のひとつ」と呼びました。
(p.9 - 10)
フェミニズムにさまざまな種類があるのは間違いないですが、そのどれもがふたつの基本的な理念にもとづいています。
1 現在、女性は社会において従属的な立場にいる。そのため、女性であることによって、あきらかな不正義や制度的な不利益にさらされている。
2 女性の従属性は避けられないものでも望ましいものでもない。政治的行動によって変えることができるし、変えなければならない。
(p.19)
著者のデボラ・キャメロンは言語学者であるようだが、本書では哲学や社会学などの特定の学問枠組みがフィーチャーされることはないし、「第一派」や「第二派」の時代ごとでもなければ「リベラル・フェミニズム」や「ラディカル・フェミニズム」などの理論や派閥ごとでもなく、「支配」「権利」「仕事」「女らしさ」といっトピックごとに問題を解説する構成になっている。公式サイトにも書かれているように「フェミニズムの「複雑さ」を「複雑なまま」理解する」ためには総合的な視野が必要になるし、また理論ばかりを重視するのは「理念」や「知的枠組み」を優先する代わりに「集団的政治プロジェクト」としてのフェミニズムを軽視することになってしまう、という懸念がはたらいているためだろう。
とはいえ、本書で解説されるフェミニズムの考え方は、全体的にはかなりオーソドックスでスタンダード。また、どのトピックについても「平等派」的な考え方と「差異派」的な考え方、あるいはリベラル・フェミニズム的な考え方とラディカル・フェミニズムやマルクス・フェミニズム的な考え方をそれぞれ取り上げることでフェミニズムの内部でも考え方の多様性があったり意見が分かれていたりすることを示しつつ、各章の最後のほうではほとんどのフェミニストが一致しているであろう基本的な意見を提示することで無難にまとめられている。
また、原著も2018年と比較的最近なだけあって、インターセクショナリティやジェンダー・アイデンティティに新自由主義批判といった「流行り」の要素も取り入れられているが、その分量と程度は控えめだ。売買春やムスリム・フェミニズムやジェンダーといった荒れやすい問題についても、(フェミニズム内部での)両論併記的でバランスのよい記述がなされているのは、最近のフェミニズム本としてはむしろ珍しいほうだろう。とくに若いフェミニストの書く文章は、著者が白人であったりシスジェンダーなどのマジョリティ女性である場合にはマイノリティ女性に対する罪悪感から自罰的な記述になりがちであるし、逆に著者がマイノリティ女性である場合マジョリティに対する糾弾や攻撃が目立つ記述になりがちであって、どっちにせよ読みづらく益も少ないものになる傾向が強いのだが、本書は(もしかしたら著者の年齢のおかげで)そういった不毛さから逃れられている。
なので、フェミニズムやジェンダー論に触れてきた人にとって目新しいところはほぼない本ではあるのだが、逆に(邦題の通りに)はじめてフェミニズムに触れるための本としてはかなり良いと思う。
……とはいえ、本書の「バランスのよさ」が機能しているのは、あくまでフェミニズムの「内側」でだけだ。フェミニズムの「外側」の視点、つまり各トピックについてフェミニズムに基づかずに論ずる主張やフェミニズムの主張を批判する議論については、かなり冷淡かつ粗雑に扱われている。
たとえば「支配」や「女らしさ」の章では進化心理学がとにかく女性差別を正当化するための理論であるかのように紹介されているうえに、進化心理学のなかでも問題があり古臭い議論を取り上げて「この議論は否定されています」と紹介することで進化心理学全体が否定されているかのような印象操作がなされている。
また、「男性も男らしさを押し付けられている」「家父長制が個別の男性すべてに利益を与えているわけではない」といった議論は申し訳程度に行われてはいるが、男権運動はフェミニズムに対する反動として一蹴されているフシがある。
「仕事」の章でも男女の賃金格差に関する統計がほぼ登場しないなど、事実的・経験的なデータの紹介が乏しいのも気になるところだ。
全体として、本書で提示されているのは、世の中の構造や社会問題などに関する「解釈」だ。つまり、「現在の世の中の成り立ちについてフェミニズムではこう解釈できる」とか「この社会問題についてはこちらのフェミニズムではこう捉えられるがあちらのフェミニズムはこう捉えられる」といったことは論じられるのだが、「それらの解釈をフェミニズム以外の理論や運動に基づく解釈と比較したときにはどちらの方が正しいといえるか」といった議論にまでは踏み込まれていないし、「フェミニズムの解釈は実際のところどれほど妥当であるのか」とフェミニズムの外側から眺める視点にも欠けている。
……もちろん、翻訳しても本文がジュニア系新書で200ページにも満たないような短い入門書にあまり多くを求めることはできないし、「この本はあくまでフェミニズムの入門書であるのだから、フェミニズム以外の視点を持ちたいのなら読者のほうが別の本を読んだり自分の頭で考えたりすべきである」といったことも言えるだろう。しかしながら、そもそも著者はフェミニズムの外側の視点にはほとんど興味を抱いていないんだろうな、ということは伝わってきてしまった。