道徳的動物日記

『21世紀の道徳』発売中です。amzn.asia/d/1QVJJSj

読書メモ:『市民的抵抗:非暴力が社会を変える』

 

 

 『福祉国家』『ポピュリズム』『移民』『法哲学』『マルクス』『貧困』と、最近のこのブログではVery Short Introduction シリーズの邦訳書を紹介し続けているが、今回は同じくオックスフォードのWhat Everyone Needs to Knowシリーズからの邦訳である『市民的抵抗』を紹介。

 

「市民的抵抗」の定義とか本書の目的とかは以下の通り。

 

市民的抵抗とは、政治的、社会的、経済的な現状を打破しようとする目的で、暴力を用いる、あるいはちらつかせる者に対して、暴力を用いずに、暴力をちらつかせたりせずにおこなう集団行動様式である。市民的抵抗は、手段と目的において、組織立っており、民衆によるものであり、明確に非暴力である。本書は、市民的抵抗キャンペーンがかたちづくり、戦略を立て、組織化し、動員してきた方法について、歴史から学べることをまとめたものである。

 

(p.27)

 

 本書でとくに強調されるのは、「暴力行動を含まない市民的抵抗は無力であるから、他の社会運動の方法に比べて成功率が低い」というイメージとは裏腹に、実際には市民抵抗は他の方法に比べて成功率が高いという主張だ。この主張の背景には、政治的権力というのは「強制」よりも「正統性」に基づいており、どれだけ暴力を独占している政治体制でも民衆による支持や協力が失われたら弱体化してしまうのであり、そして市民的抵抗は暴力を伴わないことで自分たちの主張の正統性を他の市民たちに対して説得しやすくなり、既存の政治体制に対する支持や協力を削減しやすくなる……といった理論が存在する。また、市民抵抗といえば抗議やデモを想像するかもしれないが、消費者ボイコットとか選挙ボイコットとか徴兵拒否とかハンガーストライキとかそういうのもぜんぶ市民的抵抗である。

 なお、本書の帯文でも大々的に紹介されている3.5%ルールとは以下のようなもの。

 

「三・五パーセント・ルール」とは、運動の観察可能な出来事の絶頂期に全人口の三・五パーセントが積極的に参加している場合、革命運動は失敗しないという仮説だ。

(p.174)

 

 とはいえ、帯文での扱いに比べると本書では3.5%ルールがそこまで強調されているわけでもないし、多少の留保も含まれた扱いになる。

 

 ……いずれに、わたしからすれば、全体的に本書はかなり微妙だった。著者のエリカ・チェノウスは研究者兼社会運動家であるようだが、そういう人の書く本が往々にしてそうであるように、本書は(入門書だっていうのに)一般読者に対して知識や知見を客観的かつわかりやすく紹介する本というよりかは、もともと社会運動に参加していたり関心があったりする人や左翼的な価値観や考え方をしている人たちに対してその人たちが望むような議論を提供して気分を良くさせつつアジテーションを行う、といった内容になっている。

 たとえば「市民的抵抗は暴力を伴わないなら成功しづらいんじゃないの?」というのはごく常識的な意見であるし、この意見を支持するような議論や研究を展開している研究者もいるはずであるが、本書では「実は市民的抵抗は成功率がいちばん高い」という主張を強弁するあまり、対立する意見はほとんど取り上げられない。また、「これまでの歴史上で市民的抵抗が行われてきた事例」や「市民的抵抗が成功した事例」といった個別具体的な事例が大量に並べられたり固有名詞が雨霰のように羅列されたりアネクドータルなエピソードがいっぱい紹介されたりする一方で、市民的抵抗という理念の発展の歴史や時代・地域ごとの代表的な見方や批判意見を紹介したり現在の諸々の理論において市民抵抗はそれぞれどのように捉えられているか……といった「市民的抵抗とはなにか」ということについて読者に知らせて考えさせるきっかけとなるような情報をバランスよく提供する、といった心構えも一切感じられない。

 そして、本書の内容に客観性や中立性を一切感じられないせいで、「市民的抵抗は成功率が高い社会運動の方法である」とか「3.5%ルール」とかいった著者の主張もほとんど信用できるものではなくなっている。運動の目的にとって不利益であったり都合が悪かったりする事実や研究結果なども直視して、目的を等しくしない立場の者からの批判も受け入れながら、正しい知識や理論を探究する……という研究者なら当然求められる資質を著者が持っているかどうかが非常に疑わしくなってしまうのだ。

 

 本書を読んでいてわたしが思い出したのは『ブルシット・ジョブ』である。

たとえばベーシック・インカムを導入するにしても、そこで必要となるのは、人々のインセティブに対してどのような影響が出てどのような副作用が出るかなどについての、冷静な検討と試算と実験と対策である。人びとの感覚に深く寄り添った耳心地のいいアジテーションはお呼びでない。

……しかし、これはいつも思うことなのだが、それなりに本を読んでいて物事を考えて生きているであろう人がこういうアジテーション的な主張にコロッとやられてしまうのは不思議なことである。

あるいは、こういう本を好む人は本のなかで主張されている内容の理論的妥当性とか実現可能性とか批判の正当性とかはどうでもよくて、幾多のエピソードとカタカナ言葉に彩られた「ラディカルな解放の書」を読むという行為自体に楽しさや気持ち良さを感じているのかもしれない。

読書メモ:『ブルシット・ジョブ:クソどうでもいい仕事の理論』 - 道徳的動物日記

 

『市民的抵抗』は『ブルシット・ジョブ』よりかはマシではあるが、議論の内容もエピソード過多な文章も似ているし、サヨクの社会活動家(兼研究者)が書いた本はどれもこういう風になるのだろう。そして『ブルシット・ジョブ』はベストセラーだし本書についても日本国内では批判意見をいまのところほとんど見かけないので、こういうのを求める読者層や「市場」というのはもうすでにあるんだからそれに文句を付けるのは野暮だということになるのかもしれない。だとしてもわたしの読書時間を無駄にしたことは許せないので、帯文には「知識を得るための入門書じゃなくて読んでいて気持ち良くなるためのアジテーション本ですよ」くらいのことは書いておいてほしかったと思う。

 

 なお、市民的抵抗とはほぼ同じ意味を持つ「市民的不服従」については(本書では市民的抵抗と市民的不服従は違うみたいなことも書かれていたけれどまあ無視していいです)、過去にピータ・シンガーによる倫理的な議論をこのブログで紹介しています。

 

davitrice.hatenadiary.jp