道徳的動物日記

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「植物は痛みを感じるか? 生物学者に訊いてみた。」

 アメリカのVICEというwebページに掲載された、植物学者のダニエル・チャモヴィッツ氏へのインタビュー記事を私訳。

 チャモヴィッツ氏の著書は翻訳もされており、植物が痛みを感じるかということや植物への倫理的配慮などの論点は160ー164ページにて触れられている。

 

 

 

www.vice.com

 

植物は痛みを感じるか?生物学者に訊いてみた。

 

(訳注: 記事の冒頭では、アメリカの中絶論争と、胎児が痛みを感じるかどうかという議論について軽く触れられている)

 

 …しかし、感じることが確実にできる存在とは何なのか、私たちは知っているのだろうか?少なくとも、植物学者のダニエル・チャモヴィッツ氏によると、植物は感じることができるらしい。チャモヴィッツ氏はイスラエルテル・アビブ大学の生命科学部の学部長で、『植物はそこまで知っている』という本を書いている。

 

 私たちは、植物が感じることができるもののなかに痛みが含まれているかどうかを知るために、チャモヴィッツ氏の下を訪れた。もし植物が痛みを感じるとしたら、中絶論争に大きな反応が起こるはずだ、と考えたからだ。言うまでもなく、完全菜食主義(Veganism)に新しい論点を与えることにもなるだろう。

 

 Q: 私は、オジギソウと呼ばれる植物が、明らかに何かを感じている様子を撮影した動画を見ています。誰かの手が触れると、オジギソウの葉っぱが閉じていきます…

(訳注:動画は原文のページの冒頭に掲載されている)

 

A(ダニエル・チャモヴィッツ):その動画でオジギソウに触れているのは、私です。

 

Q:オジギソウは触れられたことを感じているんですよね?

 

A:はい、オジギソウは触れられたことを感じています(Feel)。気付いている(Aware)と言ってもいいでしょう。しかし、オジギソウは触れられていることを気にしません(doesn't Care)。葉っぱが切り落とされている時には、葉っぱはそのことを知っていますし、反応もします。しかし、その反応は「なんてことだ!また同じことが起こったら、僕はどうなるんだろう?」というように複雑なものではありません。

 

Q:オジギソウは他の植物とは違いますか?

 

A:オジギソウとハエトリグサには、葉枕と呼ばれる、運動を行うための特別な器官があります。他の植物には葉枕はありません。しかし、分子のレベルで見ると、葉枕が接触に反応する仕方は枝が接触に反応する仕方と同じものです。

 

Q:オジギソウが動くのを妨害したら、オジギソウは動くのを止めますか?

 

A:特定の薬品(人間用の薬品です)をオジギソウに付けることができます[備考:メトキシフルラン、クロロフォルム、ハロタン、エンフルラン、セボフルランなどの麻酔薬]。薬品を付けた後にオジギソウに触っても、オジギソウはもう閉まりません。

 

Q:この植物をいじめるために科学者が他にしたことはありますか?

 

A:人間の足に電気ショックを与えると、足が跳ね上がることは知っていますよね?オジギソウとハエトリグサも、電極を付けて葉を通じて電荷を送ると、葉を閉じていきます。

 

Q:オジギソウはそれを嫌がりますよね?

 

A:人間中心的になって「ああ、植物も痛がるよ!」と言うことは簡単です。しかし、私に確認できるのは、一つの生物学的な現象であり、そこにスピリチュアルな要素は全くありません。全ての生物は電気を使います。脱分極と呼ばれるものです。これは太古から存在する生物学的な機能です。私たちの神経も電気を使います。

 

Q:オジギソウやハエトリグサではない植物も、電気信号を持っているんですか?

 

A:アブラムシが葉っぱを攻撃する時、植物に電気信号が誘発され、身を守ることを開始するために葉から葉へと信号が送られることが知られています。この電気信号の伝播の仕方は、神経系で電気信号が伝播する仕方と非常によく似ています。そして、植物は神経系なしで電気信号を送ることができるのです。ここで覚えてもらいたいことは、神経系は情報を処理する方法の一つではあっても、唯一のものではない、ということです。

 

Q:なるほど。すると、神経系が無いとしても、植物は損傷を感じている‥‥実質的には、痛みを感じているのではないですか?

 

A:損傷(Damage)は必ず痛み(Pain)となる、という考えは間違っています。私たちが痛みを感じるのは、侵害受容器と呼ばれる特定の受容器が私たちに備わっているからです。侵害受容器は、接触ではなく、痛みに反応するようにプログラムされています。遺伝的な機能障害のために侵害受容器を持っておらず、圧力は感じても痛みを感じることは絶対にない、という人も存在します。

 

Q:でも、あなたは植物が「気付いている」(Aware)と言いました。では、植物は損傷を「認識している」(Cognizant)のではないですか?

 

A:いいえ。私は、認識という言葉を使うのを拒否します。認識とは何なのであるかについて、私たちは何も理解していません。全く理解していません。植物は認識をしません。私たちが葉っぱを切り落とす時、私たちは植物が苦しんでいるだろうと思ってしまいます。しかし、それは、私たち自身が事態を擬人化しているのです。

 

Q:つまり、植物は苦しんでいないかもしれないが、もがいて抵抗している。

 

A:全ての有機体は、恒常性を維持しようとしますし、そのためには何でもします。しかし、そこに苦しみ(Suffering)が存在するか?苦しみとは、私たちが物事に与える定義です。ニレの木が山の頂上と谷間に生えているとしましょう。風の強い山の頂上では、ニレの木は短くなり、枝と葉の数は少なくなり、幹は太くなります。普通のニレの木のような高さと枝の数のままであったなら、風に吹き倒されてしまうからです。つまり、縦方向への成長を抑制して、幹の周囲の寸法を増加させることで、植物は風に対して能動的に反応する訳です。損傷に対する反応のようなものではない、能動的な反応です。植物は、生き延びるために自らの反応を変化させているのです。

 

Q:植物は学習することはできるのですか?

 

A:植物には記憶があります。植物は情報を蓄えて、思い出します。しかし、植物が精神科医に相談に行くことはありません。ハエトリグサが最も明白な例でしょう。ハエトリグサは、大きな花糸が生えた、大きく開いた裂片を閉じます。ハエトリグサの裂片は二つの葉があるように見えますが、実際には一つの葉です。虫が近付いてきて、ハエトリグサの二つの花糸に虫が触れたら、ハエトリグサは葉を閉じます。虫が一つの花糸にしか触れていない時には、ハエトリグサは閉じません。虫が花糸の一つに触れてから這い続けていると、やがて二つ目の花糸に触れます。虫が20秒以内に二つの花糸に触れたなら、ハエトリグサは葉を閉じます。20秒以内に二つの花糸に触れたということは、その虫は大きな虫であり、葉を閉じるエネルギーを消費するのに価する虫である、ということだからです。もし二つの花糸に触れるのに時間がかかり過ぎたなら、その虫は小さすぎて、閉じるエネルギーに見合わないかもしれない。ハエトリグサは、大きな虫しか食べたくないのです。

 

Q:それのどこが記憶なんですか?

 

A:短期記憶ですよ!数秒間で、記憶は消えます。これが、ハエトリグサが虫を取る時に起こることです。まず、最初の花糸が触れられる。20秒間だけ、ハエトリグサは接触されたことを覚える。それが過ぎると、ハエトリグサは接触されたことを忘れます。

 

Q:つまり、私がお話をちゃんと理解しているとすると、植物は比喩的にではなく実際に感じることができる。しかし、植物は痛みを感じない。これで合っていますか?

 

A:植物は侵害受容器を持っていません。植物は圧受容器を持っていて、自分が接触された時や動かされた時にはそのことを知ることができます。植物は機械受容器という神経細胞を持っているのです。

 

Q:はっきりさせておきましょう。植物は自分が損傷されている時はそのことを知っているんですよね?

 

A:あなたは、明確に植物を殺すことができます。しかし、植物はそのことを気にしません。(You can definitely kill a plant, but it doesn't care.)