道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

ある人が保守であるかリベラルであるかは生理的なもの?

 

 アメリカの政治家科学者兼心理学者のJohn R HibbingがPsychology Todayに投稿した記事を訳して紹介。なお、私は同様のテーマについて論じられた著作『Predisposed: Liberals, Conservatives, and the Biology of Political Differences』も数年前に読んだことがある。

 ジョセフ・ヒースやジョシュア・グリーンなどの著書や記事を読んだあとでは「保守もリベラルも、どちらの政治的立場も感情や生物学的特徴などの非合理な要素に基づいている(だから、どちらが理性的だとかどちらが正しいとは言えない)」というタイプの主張にはやや眉に唾を付けて受け入れているところがあるのだが、まあ興味深い内容ではあるので紹介することにした。元記事の投稿は2014年1月。

 

www.psychologytoday.com

 

「政治と、ミミズを食べること」 by John R Hibbing

 

 右はディック・チェイニーやアン・カーターから左はバーニー・サンダースやレイチェル・マド―まで、政治的見解や意見とは様々だ。しかし、そもそも、なぜ人々は特定の意見を持っているのだろうか?最近の研究は、人々の間の生物学的な傾向の違いがそれぞれの政治的信念を形成するのに一役買っているかもしれない、ということを示唆している。

 社会的な文脈や経済的な文脈が政治的意見に関係していることは明白であるが、収入、人種、育ちだけが政治的意見を決定する訳では全くない。ウォーレン・バフェットエドワード・ケネディなど多くの裕福な人が左寄りの政治的立場を支持しているし、クラレンス・トーマスやハーマン・ケインのようにアフリカ系アメリカ人であっても右寄りの政治的立場に立つ人は多い。また、推計によるとアメリカのゲイ男性のうち20%は共和党を支持している。重要な政治的問題に関する両親の立場も、その子供の政治的立場とは僅かにしか関係がない。ある人が社会文化的にどのような立場にいるということがその人の政治的立場を示すということはそれほど多くないのである。

 しかし、生物学なら政治的立場を特定することができるかもしれない。人々はそれぞれに異なった出来事や状況に対して感情を刺激されるとすれば、人々の間で異なる反応パターンがそれぞれの政治的立場に関連しているのかもしれないのだ。たとえば、死刑賛成・愛国心の表明・正当防衛法・国防費の大幅な増加・移民の増加への反対や新しいライフスタイルへの反対など、一般的に政治的右派に結び付く物事の多くは、外集団・規範逸脱者・病原体・そして未知の者からもたらされる脅威から身を守りたいという欲求に基づいている可能性がある。このことをふまえて、上記の物事に関して右寄りの意見を持っている人々とは、不快か脅威的かまたは煩わしい画像に対して他の人々よりも敏感に反応する傾向を持つ人々であるかもしれない、と私たちは考えた。

 私がミミズを食べる写真をある人に見せた際に、その人はどれ程の感情的刺激を受けるか、ということを調べたいとしよう。昔なら、その画像が感情を刺激したかどうか実験の参加者たちに直接教えてもらおうとしたかもしれない。しかし、多くの場合にその人本人は自分の感情的反応について必ずしも最良に判断できる訳ではない、ということが現代ではわかっている。一部の人は、自分の中にあるイメージを投影するために答えを歪めるかもしれない(たとえば、男性は不快な刺激に対する反応を過少に評価することが知られている)。また、一部の人々は単に自己省察が下手であるかもしれない。

 生理学的な測定方法なら、ある人がどれほどの感情的刺激を受けたかということをより客観的に判断することができる。最もよく使われているのが皮膚コンダクタンスだ。噓発見器などにも使われたこの技術は、ある人が本当のことを言っているかどうかを確かめる方法としては疑わしいが、交感神経系の動作を測定する方法としては世界的に認められているものである。交感神経系とは、ハグをしたり、パンチしたり、鼻にしわを寄せたり、逃げ去ったりするよう身体を準備させるための部分だ。

 私と同僚は、ランダムに選ばれた数百人の大人たちの生物学的反応を測定した。このような研究を行ったことがある人なら、測定された反応の度合いが人によって大幅に異なっていたことに驚くはずだ。全く同じ画像を見せられても、ある人々は強い生物学的反応を示したが、別の人々は中くらいの反応を示したし、また全く反応を示さない人々もいたのだ。

 このような反応の違いは、政治的意見の違いに関係しているのだろうか?実験を行った全てのグループにおいて、不快で脅威的な画像に対してより強い反応が測定された人々は社会問題や国防問題について保守的な政治的立場に立っている可能性が有意に高い、ということが確認された。また、生理学的反応は経済的な問題に関する人々の選好とは関連性がないようであることも興味深い。つまり、不快さや脅威に対する反応度が平均よりも高いことは、リック・サントラムのような社会保守派の特徴ではあるかもしれないが、ロン・ポールのようなリバタリアンの特徴ではないのだ。とはいえ、不安になるような画像を見た際の生理学的反応の強度と、(たとえば)減税を支持することとが相関する理由を考えるのは難しいから、この結果はもっともなものである。

 このような結果はパターンとして何度も繰り返し発見されたが、しかしそれはあくまでパターンである。全ての社会保守派が他の人々よりも強く生物学的反応をしている訳ではないし、全ての政治的左派の生物学的反応が希薄な訳でもない。政治的信念とは、一つの尺度に還元して測るにはあまりに複雑でニュアンスに富んだものであるのだ。しかし、不快な出来事または脅威に感じられるような出来事に対する生物学的反応は、私たちの政治的信念を形作る重要な一因であるように思われる。上述した研究結果は、未知のものや予期せぬものや潜在的に負の影響を及ぼすであろうものに対する志向は進歩派と社会保守派との間で(神経学的にか、または他の仕方で)異なっているということを示す、多数の国々で行われた他の研究の結果とも一致しているのだ。

 この研究結果を見て、「保守派には生物学的に何らかの問題があるのだ」と主張したくなる誘惑にリベラルなら駆られるかもしれないし、「リベラルには何かが欠けているのだという疑惑が証明された」と保守派なら悦に入りたくなるかもしれない。しかし、実際のところはもっと複雑だ。結局のところ、脅威に対する反応があまりにも欠けていると危害や死のリスクが生じてしまうが、あまりにも反応が強すぎると、相互に利益のある交易を他人と行うことや長年に渡って生じている問題に対して新たなアプローチで解決を試みることが実質的に不可能になってしまうのだ。

 これらの研究結果に対する適切な反応とは、特定のイデオロギーの目標に沿うものにするために研究結果を歪めるのではなく、自分と政治的に対立している相手が抱いている見解は相手が誤った情報を信じていたり物事について慎重に勉強しなかった結果のものであるとは限らないかもしれない、という可能性を認識することである。対立する相手が自分にとって不快な見解を抱いていることは、少なくとも部分的には、(おそらく、遺伝、発達、人生の初期で起こったことの組み合わせの結果として)左派の人々と右派の人々は世界を異なった仕方で認識していることに由来しているのだ。社会保守派の人々の多くに対しては強い生物学反応を引き起こす出来事が、左派の人々の多くに対してはほとんど反応を引き起こさない。このように異なる知覚や経験が、大規模な社会を運営することについての異なる意見を生み出したとしても、何ら不思議なことではないだろう。

 

 

Predisposed: Liberals, Conservatives, and the Biology of Political Differences

Predisposed: Liberals, Conservatives, and the Biology of Political Differences