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道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

「2015年に起こった(隠れた)善いこと」 by ピーター・シンガー

 

 

 今回私訳して紹介するのは、倫理学ピーター・シンガーがProject Syndicateに発表した記事「The Hidden Goods of 2015」。

 

www.project-syndicate.org

 

 題名は「2015年に起こった(隠れた)善いこと」と訳した。元記事は1月6日に発表されているので、1月も後半に差し掛かった今になって訳すのは少々時期外れだったかもしれない。

 

 この記事でシンガーが主張しているのは、テロリズムなどの衝撃的でメディアに取り上げられやすい出来事ばかりを見るのではなく、地球温暖化の削減や世界的な貧困の減少など、実際に人間に与える影響が強い出来事に注目すべきだ、ということだ。衝撃的な出来事やメディアが与える「印象」ではなく、過去との比較や予測される未来への影響まで含めた、統計的な「数字」を見るべきだ、ということだろう。功利主義者であるらしいシンガーらしい見方だが、スティーブン・ピンカーの『暴力の人類史』も思い出させる考え方である。*1

 

 なお、気候変動に関するパリ合意についての文章の翻訳には、WWFジャパンの以下記事を参考にした。

 

www.wwf.or.jp

 

 

 2015年に起こった(隠れた)善いこと by ピーター・シンガー

 

 ニュースの見出しから世界の状況を判断するなら、2015年はイスラム教徒によるテロの年だった。特にパリが目立つ。2015年はシャーリー・エブドの虐殺から始まり、それよりも遥かに多くの人が死んだ11月13日の同時多発テロが起こった年である。加えて、ベイルートアンカラカリフォルニア州サンバーナーディーノの障害者施設でもテロリストによる攻撃が起こった。

 しかし、テロリズムにだけ注目するとしても、ニュースの見出しだけを見ていると、昨年に世界で何が起こっていたのかということを見誤ってしまう。*22015年には、テロリズムはフランスやアメリカよりもシリア・イラク・ナイジェリア・ケニアで多くの人を殺した。また、8月に起こったロシアの民間機がエジプトのシナイ砂漠で墜落させられた事件が、イスラム国(ISIS)とロシア側の専門家が主張するようにISISが企てたものであるとしたら、この事件はパリの二つのテロ攻撃を合わせたよりも多くの人を殺したテロ事件だということになる。

 いずれにせよ、ニュース・メディアが最も重要だと見なして紹介するものにばかり注目することは、世界についての認識を誤らせる。昨年のテロ攻撃で犠牲となった無垢の人々の死は、それぞれの人自身とその人の家族や友人たちにとって、酷い悲劇である。しかし、交通事故で死んだ人々の死も、同じように悲劇なのだ。交通事故はテロ攻撃ほどメディアの注目を惹かないが。

 テロリズムは衝撃的で暴力的な出来事だから「いいテレビ番組」を作る。私たちの街や似たような街で起こった事件、または私たちがいつか訪れることがあるかもしれない街で起こったテロなら、さらに多くの興味を惹きつけることができる。「私もこのテロに巻き込まれたかもしれない!」と思わせるからだ。しかし、世界的な視点で見ると、2015年に起こった最も重要な二つの出来事は、どちらもとても歓迎できるものだ。だが、メディアによって十分に取り上げられたのは、二つの出来事のうち片方だけだった。12月にパリで成立した、国際的な気候変動対策の合意協定だ。

 パリ合意で採択された「世界の気温上昇を産業革命前と比較して2度"未満"に抑える」という目標が達成されるかどうかを私たちが知るまでには、数十年かかるだろう。しかし、この採択された目標は、ほとんどの識者たちが予想していたよりも野心的なものだ。そして、この目標は194の参加国に受け入れられた。

 専門家によると、パリ合意によって削減を約束した194カ国の温室効果ガス排出量の合計削減量は、パリ合意の目標を大幅に下回るものである。*3しかし、パリの協定では第二の希望も示されている。参加国は5年ごとに目標を見直して、目標を達成するために削減排出量を調整することが求められているのだ。

 2050年まで生きているほど若い人でなければ、このパリ合意が本当に機能するかどうか確かめることはできないだろう。とはいえ、2009年のコペンハーゲン気候変動会議では合意が実現されなかったことをふまえると、パリで採択された合意は私たちの気持ちを高揚させるべきものだ。パリ合意が破滅的な気候変動を防ぐ転換点であったことが証明された時には、2015年に起こった他のどんな出来事も、パリ合意の重要性に比べたら些細なものに見えることだろう。

  パリ合意の結果に比べて、2015年に起こった2番目に重要な出来事は、疑いの余地なくポジティブなことである。世界における極限的な貧困状態で暮らす人口の割合が、世界銀行が世界の貧困のモニタリングを始めた1990年以来で初めて10%を下回ったのだ。*4

  極限的貧困が減るにつれて、途上国における「労働中産階級」(1日あたり4ドル以上で暮らしている人々、と定義されている)の割合は、1991年の18%から今日の50%にまで増えた。同じ期間には、途上国における栄養不良状態の人口の割合は、23.3%から12.9%にまで急速に減少している。*5

  極限的貧困の急速な減少は、テレビの視聴者や新聞の読者の関心を惹くものではないかもしれない。しかし、このことが人類の福祉に与える影響は、テロリズムが与える影響を確実に上回っている。1990年には、当時の世界人口のおよそ37%である19億5千万人が極限的貧困の状況下で暮らしていた。今日では、その人口は7億200万人である。*61990年と同じ割合であったままなら、27億人が極限的貧困で暮らしていたはずだ。言い換えると、貧困の減少は20億人近くもの人々の生活を改善しているのだ。

 極限的貧困は、食料の不備やマラリア・はしか・下痢などの病気によって、人を殺す。だから、極限的貧困が減ることつれて乳幼児死亡率が減っていることにも驚くべきではない。1990年には、1日に3万5千人の子供が5歳の誕生日を迎える前に死んでいた。今日では、その数は1万6千人にまで下がっている。

 1万6千人もの子供が1日に死ぬというのは、あまりにも多過ぎる。そして、2015年が観測史上で最も暖かい年であったという事実は、気候変動に対する闘いは始まったばかりであることを示している。しかし、今年の私たちは、昨年に得た成果を更に増すことができる。私たちは行動的な市民となって、パリ合意で約束された排出量削減の目標に達するだけでなく目標を上回るように、政治家たちを動かさなければならない。もしあなたが裕福な社会に暮らしているのなら、極限的貧困を減らすために役割を果たすことを国に要求するべきだ。更に、私たちの政府が何をするかに関わらず、私たちには貧困に対して最も効率良く戦っている慈善団体を調べて見つけることができる。*7*8そして、寄付することができるのだ。