道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

トランプ支持者の心理・権威主義と反移民

 

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 本日紹介するのは、 社会心理学者のジョナサン・ハイト(Jonathan Haidt)が American Interest 誌に発表した「ナショナリズムはいつ、なぜ、グローバリズムに打ち勝つか(When and Why Nationalsm Beats Globalism)」という記事。近年の西洋民主主義国家において、普遍主義的・自由主義的で多様性を尊重する価値観を持ったグローバリストとそれに反対する価値観を持ったナショナリストとの争いが各国における移民問題をきっかけに表出するようになっていて…という記事なのだが、かなり長い記事なので、今回は後半(4章構成のうちの3章と4章)を紹介する。この記事における「グローバリスト」と「ナショナリスト」という言葉の定義の説明などは1章と2章でされるので、その辺りは少し分かり難くなるかもしれないが、文章の大筋を理解するのに支障はないと思う。

 

 

 「ナショナリズムはいつ、なぜ、グローバリズムに打ち勝つか(When and Why Nationalsm Beats Globalism)」by ジョナサン・ハイト

 

(前略)

 

3章:イスラム移民は権威主義アラームを刺激する

 

 ヨーロッパのナショナリストたちは数十年も前から移民の集団移住に反対してきたのだから、2015年に到来した亡命者たちの大波がナショナリストたちの怒りを増加させて右翼国家主義的な政党へ支持を増加させることも明白ではあったのだ。グローバリストたちは、ナショナリストたちの反応を「純粋で単純なレイシズム (racism, pure and simple)」であるとしたり、仕事を失いたくなかったり外国人に利益を与えたがらない人々の狭量で田舎臭いワガママであると説明したがる。

 一部のナショナリストたちがインタビューで答えた内容・サッカーの試合での応援(チャント)・匿名性に守られたインターネットの書き込みなどの一部には、レイシズムが明らかに示されていることもある。しかし、「レイシズム」という言葉は、物事の説明として用いるには浅はかな用語だ。レイシズムという言葉で説明することは、一部の人たちは自分たちとは違う人間…特に自分たちよりも濃い色の皮膚を持っている人間をただ好まないのだ、と主張することだ。 レイシストたちが他の人たちを嫌うのに正当な理由はなく、彼らはただ違いが嫌いなだけなのであり、それだけがレイシストたちの怒りについて私たちが知る必要のあることの全てなのだ、という訳だ。

 しかし、私たちが知る必要のあることはそれだけではない。より注意深く観察すると、多くの場合にはレイシズムは道徳的な懸念(moral concern)と深く結び付いていることが明らかになる(ここでは、私は"道徳"という単語を純粋に記述的な意味で用いている。つまり、"道徳的な懸念"とは、ここで分析の対象となっている人が本人にとっては善か悪かの問題だと思われることについて抱いている懸念、ということを意味する。私は、レイシズムは実際に道徳的に良いことであるとか道徳的に正しいことであると主張している訳ではない)。人は、他人が自分よりも濃い色の皮膚をしていたり自分とは違った形の鼻をしているというだけでは、他人を嫌わない。自分たちの価値観とは相入れいない価値観を持っているように思われる人々・自分たちが嫌悪している行動を行う(と思われている)人々・自分たちが大切にしている何かにとっての脅威になると思われる人々を、人は嫌うのである。これらの道徳的な懸念は事実からはかけ離れたものであるかもしれないし、しばしば扇動家たちによって拡大させられることもある。しかし、近年の右翼ポピュリスト運動の隆興について理解したいと思うのなら、「レイシズム」という言葉は終着点にはならない。むしろ、そこから研究を出発させるべきなのだ。

 この研究の最も重要な導き手は、政治科学者の カレン・スティナー(Karen Stenner)である。彼女が2005年に出版した『権威主義の力学(The Authoritarian Dynamic)』は、大量のグラフ・回帰分析とその記述・権威主義の性質についての学問的論争についての議論などが掲載された学術的な著作だ(そのため、多くの人に読まれた本ではない)。スティナーの研究結果の核となる点は、権威主義とは安定した人格特性ではない  (is not a stable personality trait) 、ということである。むしろ、権威主義とは、ある人が特定の種類の脅威を知覚した時にその人は不寛容になるという 心理的傾向 なのである。例えて言うと…ある種の人たちの額にはボタンが付いており、そのボタンが押されると、突然、ボタンを押された人は自分の属する内集団を守ることに激しく集中するようになる。外国人や集団に調和しない人を蹴り出すようになり、集団内で異議を唱えている人を踏み付けて抑圧するようになるのだ。脅威を感じている人々は、強力なリーダーや実力行使に惹き付けられる。別の時、脅威を何も感じていない時には、彼らも異常に不寛容である訳ではない。つまり、鍵となるのは、何が彼らのボタンを押すのかということを理解することである。  

 スティナーが示唆する答えとは、彼女が「規範的脅威 (normative threat)」と呼ぶものである。規範的脅威とは、基本的には、道徳的秩序の統一性(integrity of the moral order)に対する脅威(と人々に見なされるもの)のことを意味している。「私たち」がバラバラに分解される、という認識こそが規範的脅威なのだ。

 

集団の権威に対する不服従や尊敬に値しない権威、集団の規範に調和しないことやいかがわしい規範、集団の価値や信念についてのコンセンサスの不在、そして、一般的に、多様性や自由が "暴走して見境をなくす"  こと…これらを認識するという経験は、心理的傾向を作動させて、(訳注:権威主義に)特徴的な態度と行動が出現することを増加させるだろう。

 

 つまり、権威主義者たちはワガママである訳ではない。彼らは自分の財布を守ろうとしているのではないし、自分の家族を守ろうとしているのですらない。自分たちの集団と社会を守ろうとしているのだ。たしかに、一部の権威主義者たちは自分たちの人種や血統を守られるべきでものであると見なすのであり、そのような人々は右翼ポピュリスト運動の中でも非常に人種差別的な部分集団を作り上げる。ネオナチズムに惹かれるような派生集団もその中に含まれている。そのような人たちは、充分に社会に同化した移民すらも受け入れないだろう。しかし、現代のヨーロッパやアメリカでより典型的なナショナリストたちが守ろうとしているものは、彼らの国と文化なのである。

 スティナーが行った数多くの研究では、子供たちが家庭で学ぶべき最も重要な価値として何を挙げるかによって、権威主義者が特定されている。彼らが支持する価値とは、例えば、"従順 (obedience)"だ(対する価値は"自立" や"他人に対する敬意と寛容"である)。次に、スティナーは様々な方法や国家間のデータセットを用いて彼女が行った一連の研究について説明する。ある実験では、被験者のアメリカ人たちは自分たちの国がいかに変わりつつあるかということを伝える架空のニュース記事を読まされた。アメリカ人たちはお互いがそれぞれ似通うように変わっている、というニュースを読んだ時には、権威主義者たちは他の人に比べてもレイシストでもなければ不寛容でもなかった。しかし、アメリカ人たちはより道徳的に多様になっているということを示唆するニュース記事を与えられると、ボタンが押されて、"権威主義の力学"が起動し、彼らは他の人よりもレイシストで不寛容になった。例えば、「国家の秩序を維持すること」が国家の事項としての優先度が高くなった一方で、「言論の自由を守ること」の優先度は低くなった。そして、同性愛・中絶・離婚に対して、権威主義者たちはより批判的になったのだ。

 スティナーの研究の中でも最も有益な貢献は、権威主義者たちは「現状維持保守(status quo conservatives)」たちとは心理学的に区別される、という調査結果だ。現状維持保守とは保守主義者のなかでも原型的な存在であり、過激な変革に対して警戒している人たちのことである。エドマンド・バークによる先見性のある省察と初期フランス革命に対する恐怖から、自分が創刊した雑誌『ナショナル・レビュー』は「歴史の道の往来に立って"止まれ!"と叫び続けるだろう」というウィリアム・F・バックリーの声明まで、現状維持保守の系図は旧くて誉れ高い。

 現状維持保守は必ずしも権威主義者たちの同盟者ではない。権威主義者たちは、しばしば過激な変革を好むし、試行されたことのない政策を実施するという大きなリスクを伴う行為にも意欲的である。これこそが、多くの共和党員たち…そして、ほとんど全ての保守知識人たちがドナルド・トランプに反対している理由なのだ。彼の気質を見ても価値観を見ても、トランプは全く保守主義者ではない。しかし、進歩主義者たちは国家の伝統とアイデンティをあまりにも酷く失わせてしまったと現状維持保守が認識した場合には、彼らは劇的な政治的行動(イギリスのブレクジットや、アメリカにおけるイスラム移民の禁止など)だけが「止まれ!」と叫ぶために唯一残された方法であると見なすだろうし、権威主義者たちと同盟を組むことになるだろう。ブレクジットも、EUが"さらに緊密な連合"となることでイギリスが吸収されてしまう未来に比べると、まだ過激さが少ないのだ。

 さて、これまでの議論によって、なぜ移民が…特に、最近のシリアからやって来たイスラム系移民の波が…ヨーロッパの国々とアメリカ(イスラム移民の数は少ない国であるのに)でこれ程までにも強烈に分極化した反応を引き起こしたのか、ということが理解できただろう。ナショナリストにとって、他のどんな地域や宗教からの移民と比べても、中東のイスラム移民たちは遥かに深刻なテロリズムの脅威を示している。だが、スティナーの研究は、安全保障上の 脅威だけを見るのではなく規範的な 脅威を調査することを私たちに促してくれる。イスラム教が信者に要求する生き方は、世俗的で平等主義的な西洋の社会にイスラム教徒たちが同化することを、他の集団と比べて難しくする(同様のことは正統派ユダヤ教徒にも言える。スティナーによる権威主義の力学の分析は、なぜ近年のアメリカで右翼反ユダヤ主義運動が復活しているのかということの説明も可能にする)。イスラム教徒たちはプライベートな生活における習慣の違いを目にするだけには留まらない。特にジェンダーに関する問題について、しばしば、イスラム教徒たちは自分が滞在している国の法律と政策を自分たちの宗教に妥協させることを要求するし、その要求は認可される。ここ10年のフランスや他のヨーロッパ諸国で起こっている争いの中でも最も激しい争いの一つが、ヴェールやその他の形で女性の外見を覆い隠すことについてと、それに関係したプライバシーの必要性やジェンダー差別を論点とした争いである。例えば、スウェーデンの公共プールは、女性と子供のみが泳ぐことを認められる時間帯を設けるようになった。この政策は、スウェーデン人たちがジェンダーの平等と反ジェンダー差別に関して強く抱いている価値観とは相反するものである。

 つまり、あなたが急速な変化を懸念する現状維持保守であるにせよ規範的脅威に対して非常に敏感な権威主義者であるにせよ、あなたが暮らしている西洋の国におけるイスラム移民の比率が高くなることは、あなたにとって核となる道徳的懸念に対する脅威となる可能性が高いのだ。しかし、あなたが自分の懸念を声に出して表明した途端に、グローバリストたちはあなたのことをレイシストで田舎者だと嘲笑するだろう。グローバリストたちが…中道右派政党を運営している人たちでさえもが…あなたのことをそのように扱うとすれば、あなたはどこに助けを求めればいいのだろうか?その答えとは、ヨーロッパでは極右国家主義政党、アメリカでは(共和党の敵対的買収を成し遂げた)ドナルド・トランプであり、この答えに辿り着く人々はますます増えているのだ。

権威主義の力学』は2005年に出版された本であり、"イスラム教徒" という単語は6回しか登場しない(対照的に、"黒人"という単語は100回登場する)。しかし、スティナーの著作は、2016年における反イスラム教徒に集中した右翼ポピュリズムの隆興を読み解くためのロゼッタストーンとなる。スティナーによると、彼女の理論は「"どこからでもないところから登場した" ように見える不寛容を説明する。その不寛容は寛容な文化からも不寛容な文化からも同様に登場する可能性があり、文化的な伝統の緩慢な変化ということでは説明のできない、行動の急速な変化をもたらすのだ」。

 スティナーは、伝統から離れて「個人の自由と差異へのより大きな敬意」へ向かう方向へと止まることなく流れている歴史の潮流を見出し、人間は「より完全なリベラルで民主主義的な市民」へと進化し続けることを予期する人たちの理論と自分の理論とを比較している。具体的には誰を想定しているかはスティナーは明らかにしていないが、おそらく、クリスチャン・ヴェルツェル(Christian Welzel)と彼と共に世界価値観調査を行った人たち*1、そしてフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」論を想定している可能性が高いであろう。スティナーは、ヴェルツェルやフクヤマのように西洋リベラル民主主義社会の将来を楽観視していない。一般的な傾向が寛容へと向いていることはスティナーも認めているが、その傾向こそが権威主義を非常に活性化させる状況を作り出して強力な反動を生み出すであろう、と彼女は予測している。彼女は以下のように予言しているのだ。

 

近年発展し続けている文化によって認められてしまっている過度の自由や放埓のために発生した状況は、潜在している権威主義者たちを刺激するそして、突然で激しく、暴力的でもあり、そしてほとんど確実に予測不可能な不寛容の表出が行われる…そのような事態を確実なものにしてしまっているのだ。そして、もしも不寛容とは伝統への単なる愛着からほとんど偶然に生み出される副産物なのではなくて、文化的な規範よりも個々人の心理によって生み出されるものであるとすれば…私たちは異なる将来の展望を得るだろうし、この問題は誰にとっての問題であり将来的にはどうなるかということについての違った理解を得るだろう。普及している文化的規範を無心に吸収した結果としての不寛容ではなくて、個々人の異常な心理状態から湧き出る種類の不寛容は、寛容を促進する文化による学習よりも重大な影響を与えるものとなり、より激しく非合理的であり、予測できず、説得に従わないものとなるはずだ。

 

 2004年の文章では、スティナーは「不寛容は過去の遺物ではない、未来にもたらされるものであるのだ」と予測している。

 

4章:いま、何をするべきか?

 

 とどのつまり、ナショナリストたちを観察して彼らの経済的状況や彼らの一部が実際に示しているレイシズムを指摘しているだけでは、この記事の冒頭で私が提示した疑問…いったい世界では何が起こっているんだ?…の答えは得られない。まずグローバリストたちに目を向けて、彼らの変容した価値観がいかにして他の市民たちを右翼的な政治的指導者を支持することへと追い立てる場合があるか、ということについて考えなければならない。特に、グローバリストたちは大規模な移民の受け入れと国家主権の削減を支持していること、グローバリストたちにはヨーロッパ連合のような汎国家的な存在のことを国民国家よりも道徳的に優れたものだと見なす傾向があること、そしてグローバリストたちがナショナリストたちと彼らの愛国主義を「純粋で単純なレイシズム」だと中傷していることについて考えなければならない。グローバリストたちによるこれらの行為は、権威主義的な傾向を備えている人々の心の中にある「規範的脅威」のボタンを押してしまうし、グローバリストとその普遍主義的なプロジェクトに立ち向かおうとする現状維持保守が権威主義者たちに合流するように仕向けてしまうのだ。

 もしこの議論が正しければ、グローバリストの政策のための明白な処方箋が導き出されるだろう。真っ先に行うべきは、自分の国が移民の移住をどのように行っているかについて注意深く考えて、権威主義的な反応を引き起こす可能性が低くなるように移住を管理することだ。三つの変数に対して注意を払うべきである:外国生まれの住民の比率(いかなる時においても)、新しくやってくる各集団の道徳的な差異の程度、そしてそれぞの集団の子供たちが成し遂げている同化の程度である。

 異なった道徳を持つ文化からの合法的な移民は、同化の程度が低いとしても移民の人口数自体が低ければ問題にはならない。小さな民族集団による飛び地的な異種文化圏は、十分な大きさを持つ国家にとっては規範的脅威とならないのだ。異なる道徳を持つ民族集団からの移民が中程度の規模で行われたとしても、移民たちが移住先の文化に同化することに成功していると見なされる限りにおいては、問題ない。移民たちが新天地の言語と価値観と慣習に応じているなら、自分たちの国は良いものであり価値があって外国人にとっても魅力的だ、というナショナリストたちのプライドとも調和する。しかし、強力で成功の見込みがある同化プログラムも無いのに、異なる道徳を持つ国々から歴史的に大規模な量の移民を受け入れるとなると、権威主義的な反動が起こることはほとんど確実であるし、数多くの現状維持保守たちがその反動を支持することも予期できるだろう。

 

(…中略…)

 

 民主主義は、普通の市民が声を発することが認められることを必要とする。イギリスのマジョリティは6月23日のブレクジットで声を発したし、やがて他のヨーロッパ諸国からもイギリスと同様のマジョリティたちの声が発せられるかもしれない。そして、11月のアメリカにおける大統領選挙でも同様の可能性があるのだ。2016年が西洋民主主義が辿ってきた道程の大きな転機として記憶されることになる可能性は高い。世界で何が起こっているのかということについて本当に理解をしたいのなら、グローバリゼーションと移民と価値観の変容との間の複雑な相互作用を考慮するべきなのだ。

 この記事で私が論じたストーリーが正しいとすれば、グローバリストがナショナリスト政党から情熱と投票数を吸収するための発言や行動や法律の制定を行うことは簡単にできる。しかし、それをするためには、国家のアイデンティティや団結した道徳的コミュニティが備えている価値について深く考え直すことが求められるであろう。移民についての多文化主義的なアプローチを棄却して、移民の同化を推奨することが求められるのだ。

 それぞれが独自の伝統と道徳的秩序を備えた世界中の数多くの地域的・国家的・その他の "偏狭な" アイデンティティを…中傷したり崩壊させたりするのではなく…尊重しながら、同時に、貿易・文化・教育・人権・そして環境保護に関するグローバルな協力を行うことによって得られる利益を手にするためには、どうすればいいのだろうか?どのような世界なら、グローバリストとナショナリストが平和に共存することができるのだろうか?これこそが、2016年以後の西洋国家にとって重大な問題なのであるかもしれない。

 

 

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davitrice.hatenadiary.jp

*1:クリスチャン・ヴェルツェルや世界価値観調査については原文の第1章で論じられている