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道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

ナショナリストの道徳とグローバリストの道徳

時事問題 倫理学 文化と倫理

 

http://www.nytimes.com/2016/07/15/opinion/we-take-care-of-our-own.html?_r=0

 

 本日紹介するのは、ニュヨークタイムスのコラムニストのデビッド・ブルックスによる記事。昨日はジョナサン・ハイトによる「ナショナリズムは、いつ、なぜグローバリズムに打ち勝つか」の第3章と第4章を訳したが、この記事では同記事の第1章と第2章の内容が主に取り上げられており、相互補完的な感じで読めると思う。

 

 

「俺たちは自分たちで支え合う」 by デビッド・ブルックス

 

 数年前、ブルース・スプリングスティーンは「We Take Care of Our Own(俺たちは自分たちで支え合う)」という曲を発表した*1。コーラスの主旋律は陽気で誇らしげなもののように聞こえる:私たちは自分たちから最も近い人たちのことを支える。しかし、「ボーン・イン・ザ・USA」も含めてスプリングスティーンの曲の多くがそうであるように、歌詞がコーラスされる調子と歌詞に書かれた文章の内容とは緊張した関係にある。

 歌詞を見れば、自分たちのことは自分たちで支え合うということは自分たちではない人たち(例えば、ハリケーンのカトリーナの犠牲者)のことは支えないということも意味しているのが明らかだ。「自分たちのことは自分たちで支え合う」という言葉は、突然、排他的で威嚇的で人種差別的ですらある色合いを帯びる。

 この言葉とそれが持ち得る二つの違った意味は、2016年のアメリカ大統領選挙の中心に存在しているものだ。

 ドナルド・トランプの支持者たちは、「自分たちのことは自分たちで支え合う」という言葉が持つ最初の意味を支持している。アメリカはまず自国の労働者に忠誠を尽くすべきなのであり、自国の文化に、自国の市民に忠誠を尽くすべきなのだ。

 この世界観は単なるワガママではない。人類の歴史の大半において、人々は団結したコミュニティを他の何よりも賞賛していたのだ。人類は、自分たち自身の親族と同胞の市民たちへの支えと忠誠の上に道徳システムを築き上げてきた。これらの絆は何らかの抽象的な社会契約に基づいているのではない。共有された親族関係、歴史、地理、そして正と不正についての共通認識から生み出された親密な絆なのである。

 団結したコミュニティにコミットしている人は、コミュニティを結び付けている規範を守るために戦う。彼らは既存の文化に同化する移民なら受け入れるが、相容れない習慣をもたらして社会を引き裂こうとする移民に対しては疑い深い。

 大昔から、この絆は人類の大半にとって事実上唯一の伝統的な道徳システムであった。しかし、ニューヨーク大学社会心理学者のジョナサン・ハイトが American Interest で発表した優れた記事の中で指摘しているように、この数十年間で別の考え方が現れたのだ*2

 この新しい考え方を持つ人たちは、団結したコミュニティよりも解放された個人に価値を置く。彼らは、自己表現、社会的自由、そして多様性に価値を見出すのだ…あるいは、少なくとも、価値を見出そうと試みる。彼らの道徳は自分たちに近い人々への忠誠に基づいているのではない。いかなる場所にもおける全ての人間の普遍的な平等に基づいているのである。

 この新しい考え方を持つ人たちは、人々を分け隔てる政治的・宗教的な壁を軽蔑する。記事の中で、ハイトはジョン・レノンの「イマジン」をこの世界観を体現する歌として引用している。

想像してごらん 国なんて無いんだと

そんなに難しくないでしょう?

殺す理由も死ぬ理由も無く そして宗教も無い

さあ想像してごらん みんなが ただ平和に生きているって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれない

でも僕一人じゃないはず*3

 

 この新しい考え方を持つ人たちは、「俺たちは自分たちで支え合う」に含まれる排他的な意味合いに憤りを示す。アメリカ人に価値を見出すのは構わないのが、移民のことも考えるべきだし、外交関係においては多国間の協力に積極的であるべきなのだ。

 ハイトは、この二つの考え方の境界はナショナリストとグローバリストとの境界であると論じる。道徳的個別主義者と道徳的普遍主義者との境界でもある。また、血と歴史の絆が優先されるべきだと考えている人と、目の前で溺れている子供に対する道徳的義務と南スーダンで飢えている子供に対する道徳的義務は等しいと論じる哲学者のピーター・シンガーのような人との境界でもある。

 数十年もの間、グローバリスト・普遍主義者的な考え…移民に賛成、グローバリゼーションに賛成…は大手を振るっていた。今、個別主義者たちはトランプと共に逆襲を行っている。移民は彼らの怒りを焚き付ける燃料となっているのだ。

 ハイトが書いているように「2015年の夏(シリアの難民危機が起こった時期)にはナショナリストたちは既に沸騰点に達しており、"もう充分だ、栓を閉めろ"と叫んでいた。その間、グローバリストたちは"水門を開けよう、移民を受け入れることは思いやりのある行為なんだ、それに反対するなら君はレイシストだ"と宣言していた。グローバリストの言葉は、充分に理性的な人にさえも怒りを引き起こすのではないだろうか?」。

 実際には、二つの考え方のどちらにもそれぞれの美点がある。個別主義者は親密な愛情や忠誠を強調するし、それは本物のコミュニティにとって必要なものだ。普遍主義者はどんな場所における不正義にも心を動かすし、苦痛を目にして行動もせずに関心も示さないことを道徳的に拒絶する。

 今回の選挙の悲劇は、アメリカは既にこの問題を解決していたということだ。フランスや中国と違って、アメリカは普遍主義者の国として創立された。世界中から人々を受け入れて新しい何かとしてその人々を結び付ける国としてアメリカは創立されたのであり、アメリカ人は激しい愛国者であると同時に比較的開放的な人となることができるのだ。

 残念ながら、多文化主義の勢力が文化的な統一へのコミットメントを破壊してしまった。だからこそ、トランプが普遍主義的なアメリカのナショナリズムをひっくり返して、星条旗を装ったヨーロッパ式の血と土のナショナリズムへと置き換えてしまったのだ。

 この問題を解決する方法とは、ナショナリストになることでもなければグローバリストになることでもない。ウォルト・ホイットマンのような人々が信奉した、アメリカ式ナショナリズムへと回帰することである。誰が「私たち」なのかということについては多くの人々を包括するような定義をしつつ、調和することと「支え合う」ことについては熱烈なコミットメントを行うナショナリズムである。

 

 

 

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