道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

ニューヨークタイムス誌のwebページにピーター・シンガーのインタビュー「人種差別、動物の権利と人権について」

 

私たちはどう生きるべきか (ちくま学芸文庫)

私たちはどう生きるべきか (ちくま学芸文庫)

 

 

http://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/05/27/peter-singer-on-speciesism-and-racism/?_r=0

 先日、ニューヨークタイムスの Webページにて、倫理学ピーター・シンガーへのインタビューが載っていた。記事のタイトルは「Peter Singer: On Racism, Animal Rights and Human Rights(人種差別、動物の権利と人権について)」。インタビュアーの George Yancyも哲学者で、”人種や白人性についての批判的哲学”や”黒人の経験についての哲学”などを研究しているらしい。*1 様々な哲学者たちに”人種”についてインタビューするという企画を行っているらしく、過去にはジュディス・バトラーノーム・チョムスキーへのインタビュー記事なども公開されている。*2

 

 シンガーは『実践の倫理』などの著書で人種差別・動物の問題(種差別)・生命倫理・地球環境問題などの様々な問題を取り上げており、最近の著書では「グローバルな貧困や格差」や「先進国による途上国への援助」といったテーマが特に大きく取り上げられている。

 シンガーは新聞記事など様々なメディアでインタビューを受けることが多い。著書とインタビューの違いとしては、著書に出てくるような専門的な用語であったり理論的な話がインタビューでは控え目になるので、主張の前提となる理論などがカットされている代わりに、主張の内容そのものはわかりやすく示される形になる。

 今回のインタビューは「人種差別」と「動物の権利」という二つのテーマが同時に扱われている点が特徴的。以下では、私が重要だと思うところや、シンガーの主張や思想のエッセンスがわかりやすく示されているところなどを抜き出して、訳して紹介する。翻訳は慣れていないので、直訳気味になるところや、逆に意訳が入り過ぎるところが出てくるかもしれないが、勘弁してほしい。

 

ジョージ・ヤンシー(インタビュアー):「種差別( speciesism)」という概念は、動物の権利運動家のリチャード・ライダーによって初めて使われて、あなたが一般に広めました。「種差別」の定義と、種差別と人種差別の違いについてあなたがどのように考えているか、簡潔に教えていただけますか?

 

 シンガー:種差別とは、その存在が属する種(生物種)を理由にして、ある存在に対して偏った態度をとることです。種差別の典型は、動物たちにとっての利害を人間にとっての同様の利害よりも軽く扱うことです。問題となる利害が”同様”であることが条件であることに注意してください。「生き続けること」について一般的な人間が持つ利害は動物が持つ利害とは異なる、と主張することは種差別とは言えません。自身が過去や未来にも存在すると認識する能力を持ち、それ故に自分の生について計画する能力や将来的な達成に向けて活動することができる能力を持つ存在が「生き続けること」について抱く利害は、それらの能力を持たない存在が「生き続けること」について抱く利害よりも重大である、と論じることはできます。

 これを理由にして、これからも生き続けたいと思っている人間を殺すことは動物を殺すことよりも大きな不正である、と論じることもできます。この主張が正当であるかどうかには関わらず、この主張は種差別的ではありません。一方で、一部の人間が先述の能力を欠いていること…重度の知的障害を持つ人間の場合に明らかですが…、または一部の動物に比べて先述の能力が低いことをふまえると、ホモサピエンスの一員を殺すことは常にその他の動物を殺すことよりも大きな不正である、と主張することは種差別と言えます。

 

 ヤンシー:動物に対して公平の原則を適応できていないことについて議論するのは倫理的に重要なことだとは私も思いますが、アメリカにおいても他の国々においても、黒人、障害者、女性やその他の人々について、我々は公平の原則を適応することをひどく失敗し続けています。公平の原則を他の人間に対して倫理的に健全に適応することを失敗させる原因は何でしょうか?ここでは、特に人種差別の実態を念頭に置いています。

 

 シンガー:無論、我々は人種差別や性差別や障害者差別を克服できていませんが、少なくとも、そのような差別は間違っているという考えは広く受け入られていますし、差別を予防することを目的とした法律も存在しております。種差別に関しては、この点にすら全く到達していません。現在の我々の種差別に対する態度を、過去の人種差別に対する態度で例えてみると、奴隷貿易一部の啓蒙的な意見によって批判されてはいるが未だ合法であった時代にまでさかのぼる、と言わざるを得ません。

 人種差別、性差別、障害者差別について、それらが不正であるということが広く受け入れられているのにも関わらず、なぜ未だに存在するのか?複数の理由が存在しますが、その内の一つとして、人々が自分の感情的な衝動に従って考えずに行動してしままい、自分がどのようなことを行っているのかについて倫理的に熟慮をしない、ということが挙げられます。これは、何故ある人が他の人種に属する人々に対して否定的な感情を持つのかということについて議論することを促しますし、そのような偏見は先天的なものであるのか文化や環境によって学習されるものであるのか、という昔ながらの議論につながります。赤ん坊でさえもが普段から自分がよく見ている顔によりよく似ている顔に惹かれる、という研究もありますから、進化による先天的な要素が存在することはあり得ると思います。とはいえ、文化が重大な影響を与えていることも確かです。>

 

ヤンシー:動物に対する偏見は、自然そのものに対する非倫理的な態度にどれくらい基礎付けられていると考えますか? 自然は”モノ/客体( object)”であり人間が絶対的に支配することができると見なすことは、自然に対する態度として特に西洋的なものであると思いますか?少なくとも、フランシス・ベーコンはこの考えを持っていました。そして、言うまでもなく、ルネ・デカルトは動物は単なる機械であると論じていました。

 

 シンガー:西洋の思想が、東洋の思想や先住民の思想に比べて、人間と自然との境界や人間と動物との境界を特に強調することは事実です。しかし、現代においては、一般的に西洋よりも東洋の方が動物や自然の扱いが悪いことは確かです。北京を訪れた人たちは、中国が空気に対して自国の工業に行わせた仕打ちを見て、ため息をつきます。動物の福祉を守る法律は、日本やタイのように仏教の伝統が強い国を含めた東洋よりも、ヨーロッパの方がずっと進んでいます。中国は未だに動物の福祉に関する法律を持っていません。ですから、自然と動物に対する支配が元々は西洋の概念だったとしても、その概念が西洋においては積極的に批判されているこの時代に、悲しいことに、東洋ではこの概念が貪欲に台頭しているのです。

 

 ヤンシー:現在でも、黒人は人間として見なされるために戦い続けています、我々の人生や命も重要なんだと示すためです。歴史的に、我々は動物と比べられ続けていました。様々な場面で、オバマ大統領は猿のように描かれています。明らかに、このイメージは尊厳を侮辱するためのものであり、我々の人間性の強奪に対するアメリカの黒人の抗争に対する反動であるとしか考えられません。オバマを猿に貶めることのような、人間性の強奪と戦いながら、同時に種差別に反対するということを、どのようにして黒人ができると言うのでしょうか?

 

 シンガー:人種差別と種差別の両方に反対することが困難であるとは全く思いません、むしろ、ある偏見や抑圧を否定しようとしながら別の偏見や抑圧を受け入れて実行することの方に、より重大な知的困難があると思います。ここでは、改めて、人種差別や種差別と同じように根深くて広がっている偏見と抑圧の一つである、性差別について言及しなければなりません。我々の種の一員の利害を他の種の一員の利害よりも重大に扱うことが、扱われる存在がホモサピエンスの一員であることで正当化されると考えてしまうのなら、人種や性について同じことを主張する性差別主義者や人種差別主義者に対して何が言えるというのでしょうか?>

 

<ヤンシー:私たちが自分たちの種の一員に対して尊厳と敬意を持って接する方法ですら見出せていない状況で、種差別主義と戦い続ける者として、あなたには効果的に人種差別主義を打ち破る考えを持っていますか?

 

 シンガー:レイシズム、セクシズム、スピーシーシズム、これらの”イズム”について、状況は進歩して良くなっているという点について私は楽観主義者ですし、近い将来に完全な成功が達成できるかという点については悲観主義者です。私はスティーブン・ピンカー“The Better Angels of Our Nature.”(『暴力の人類史』)に纏めて示した事実に励まされています。ピンカーは私が“The Expanding Circle.”で行った議論を持ち出し、補完しています。

 私は、我々が道徳的な配慮の輪を少しずつながらも広げていることを信じています。ピンカーは、メディアの見出しとは裏腹に、我々が生きている時代が過去の世紀よりも暴力が少なく啓蒙された時代であることを証拠によって示しています。このことは、軽んじられている人々や弱い立場にいる人々、抑圧された人々にとって助けとなります。我々は人種差別や性差別の影響を隔離させて減少させることができます、もっとも、人種差別や性差別を完全に無くすことは、長い戦いとなりそうです。種差別主義に関しては、残念ながら、いまだに主流の考え方となっているので、まだまだ道のりは遠いでしょう。>

 

 

 

 他の箇所では、オーストラリアの先住民差別やアメリカの黒人差別に絡めて、以下の話題がなされていた(個人的にあまり興味がない箇所であったから、適当にまとめてしまっているので、気になるなら本文を読むべき)。

 

・「差別は制度や機関によるものか、感情によるものか?」という話題。ヤンシーは制度や機関の影響を強調して「人種差別主義的な感情も制度や機関によって生み出されているのではないか」と主張し、シンガーは「人種差別的な制度や機関の背後に人種差別的な感情もあるだろう」「制度といっても幾つものセクターに分かれており、人種差別的であるかどうかもセクターごとに違うのだから、細かく考えなければならない」というようなことを主張している。

 

・「パターナリズムの是非」。ヤンシーが、過去のアメリカやヨーロッパの白人が「白人でない者は、自分の人生について計画する能力も無い」と見なしていたことを指摘して、上からルールを押しつけて支配していたこと、現代でも先住民に対するパターナリズムが存続していることを指摘する。シンガーは、過去の白人の考えは間違っていたと認めた後で、現代のオーストラリア先住民のコミュニティではアルコール中毒が深刻な問題となっておりコミュニティのリーダーがパターナリスティックな規制が必要であると判断している、ということを指摘する。

 

 そのほか、黒人の権利運動家であると同時に動物虐待に反対した人の話などがされていた。

 

※ 

P・シンガー、人種差別と種差別について - 海やアシュリーのいる風景 - Yahoo!ブログ

 

上記のブログ記事でも同じインタビューが取り上げられているが、感じ方は人それぞれとはいえ、シンガーの発言を悪意をもって解釈し過ぎな気がする。

 

 

暴力の人類史 下

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