道徳的動物日記

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効果的利他主義は現状肯定だからダメなのか?

 

 

ピーター・シンガーの効果的利他主義という主張には色々と批判があるのだが、目立つのが以下に引用するようなもの。

 

倫理的な問題を扱う哲学者であれば、資本主義システムをどう倫理的に批判し変革すべきかを思考すべきではないでしょうか 。代替案の提出は他人に預けておいて、いとも簡単に資本主義を追認するのが倫理的な姿勢と言えるのでしょうか。それとも、哲学者であれば、自分の手に負える問題だけを切り離して論じる権利を持っているのでしょうか。 

【連載】「効果的利他主義」批判 ‐ その3 ‐ 圧倒的な現状肯定の思想 - 45 For Trash

 

  似たような批判でこういうものもある。

 

富の再分配とそれによる社会保障機能いうのは国家の機能だったはずなんだけ れど、富がグローバルにあまりに偏在してしまったために、再分配が1%の恣意に大きくコントロールされるようになって、「みんなで支えあったり負担しあったりしてきた(公的な)仕組み」が崩壊し始めている。それは世の中が1%を利する弱肉強食の世界へと急速に変貌しているということなんだけれど、シンガー が唱えていることは、そっちの問題にほっかむりして、むしろそういう正当化し補強し永続化させようとする方向だということかな、と。

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・「効果的主義は貧困の原因に対してラディカルに切り込まないから、現状追認である」というタイプの批判に対しては、シンガー自身が既に反論をしている。

 以下はBoston Review(ボストン・レビュー)に掲載された「効果的利他主義の論理 The Rogic of Effective Altruism」というシンガーの記事に対する有識者へのレスポンスに対するシンガー自身のリプライとして掲載された文章から抜粋して引用して訳したもの。

 

The Logic of Effective Altruism | Boston Review

 

 アンガス・ディートン、ダロン・アセモグル、レイソン・ガブリエル、ジェニファー・ルーベンスタインたちのいずれもが、「効果的利他主義者は、貧困の症状ではなく原因に対処するための大規模な政治的・経済的改革を無視する可能性が高いであろう」と主張している*1

 たしかに、大規模な改革の効果を無作為試験で査定することはできない。だが、大規模な改革が貧困を削減するという結果の見通しがある程度あるとすれば、効果利他主義者たちは大規模な改革がどれほどの善をもたらすかという可能性を査定するであろうし、より限定的な介入がもたらすであろうと予想される価値よりも大規模な改革がもたらすであろうと予想される価値の方が高いのであれば、効果的利他主義者たちは大規模な改革にむけて働くことを支持するであろう。

  同様の論点は、レイラ・ジェイナによる「貧困者を救うための最も効果的な方法とは、(訳注:寄付ではなく)フェア・トレードのプログラムを支持することや、環境的に持続可能であり生活賃金を払うことのできるソーシャル・ビジネスを始めることである」という主張に対しても当てはまる。「"低い木に生えている果物(訳注:実行することが比較的容易な試み、という意味)"が実行された後には、貧困を削減するための試みは貧困国の活動家と共に行動し活動家の指導に従わなければ成功しない」というルーベンスタインの主張にも、同様の論点が当てはまる。

 ある効果的利他主義者が行っている戦略よりも他の戦略の方が効果的である、という証拠が示されたところで、効果的利他主義が論駁されるわけではない。なぜなら、効果的利他主義者はその新しく示されたより効果的な方の戦略を採用するからだ。著書『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと』のなかでは、私は貧困に対処するための活動の具体例を説明して、読者に推薦している。私が書いた活動の具体例の一部は、発展途上国政治活動家と協力して行うものである。なんらかの活動がもたらす効果を査定するのは簡単ではない。だが、ある介入がもたらすであろうと予想される価値は現在行われている他の介入がもたらしている価値を数倍上回ると予想できるのなら(そして、この予想が正しいことには疑いの余地はないとすれば)、今以上に人々を助けて現在よりも更に多くの善をもたらす行動について、効果的利他主義者は重要な役割を果たすだろう(訳注:シンガーの主張している案よりも批判者たちの主張している案の方が本当に効果的であると証明されたなら、効果的利他主義者たちはそちらの案を実行するだろう、という意味)。

 いずれにせよ、「効果的利他主義は、貧困の原因には対処せずに貧困の症状にだけ対処する、バンドエイドのような対策になってしまうことが多い」という理由で効果的利他主義を否定する人は、時には私たちには貧困の原因が何であるのかわからない場合がある、ということを忘れるべきではない。

 貧困の原因の一部を理解できたとしても、それを変革することが不可能な場合もある。そのような状況では、症状に対処することが私たちが貧困に対してできる最善のことなのだ。

 …そして、貧困の症状に対処することとは、人々の生命を救うこと、飢餓や慢性的な栄養失調から人々を救うこと、寄生虫を撲滅すること、教育を配備すること、女性たちが妊娠をコントロールするのを可能にすること、人々が視力を失うのを防ぐことなのだ。

 バンドエイドにしては悪くないだろう。

 

 

 また、「現状を追認する」から効果的利他主義はダメだ、というタイプの主張に対しては「そもそも現状はそんなに悪いものであるのか?」という疑問を呈することができるだろう。様々な悲観論や印象に反して、現状のシステムにおいても世界における貧困は減り続けているのだ。

 以前に私が訳した、シンガーが別の場所で発表した文章から引用しよう。

 

「2015年に起こった(隠れた)善いこと」 by ピーター・シンガー - 道徳的動物日記

 

…2015年に起こった2番目に重要な出来事は、疑いの余地なくポジティブなことである。世界における極限的な貧困状態で暮らす人口の割合が、世界銀行が世界の貧困のモニタリングを始めた1990年以来で初めて10%を下回ったのだ。 

  極限的貧困が減るにつれて、途上国における「労働中産階級」(1日あたり4ドル以上で暮らしている人々、と定義されている)の割合は、1991年の18%から今日の50%にまで増えた。同じ期間には、途上国における栄養不良状態の人口の割合は、23.3%から12.9%にまで急速に減少している。 

  極限的貧困の急速な減少は、テレビの視聴者や新聞の読者の関心を惹くものではないかもしれない。しかし、このことが人類の福祉に与える影響は、テロリズムが与える影響を確実に上回っている。1990年には、当時の世界人口のおよそ37%である19億5千万人が極限的貧困の状況下で暮らしていた。今日では、その人口は7億200万人である。 1990年と同じ割合であったままなら、27億人が極限的貧困で暮らしていたはずだ。言い換えると、貧困の減少は20億人近くもの人々の生活を改善しているのだ。

 極限的貧困は、食料の不備やマラリア・はしか・下痢などの病気によって、人を殺す。だから、極限的貧困が減ることつれて乳幼児死亡率が減っていることにも驚くべきではない。1990年には、1日に3万5千人の子供が5歳の誕生日を迎える前に死んでいた。今日では、その数は1万6千人にまで下がっている。

 1万6千人もの子供が1日に死ぬというのは、あまりにも多過ぎる。…(中略)…もしあなたが裕福な社会に暮らしているのなら、極限的貧困を減らすために役割を果たすことを国に要求するべきだ。更に、私たちの政府が何をするかに関わらず、私たちには貧困に対して最も効率良く戦っている慈善団体を調べて見つけることができる。  そして、寄付することができるのだ。

 

「現状のシステムの否定を行うのではなく、地道で長期的な場合も有るが実行可能な改良案や対処案を提唱する」というタイプの思想は「現状のシステムを大々的に否定して、ラディカルな革命的構想を提唱する」というタイプの思想に比べるとウケが悪いことが多い。

 哲学とはなにかしらラディカルなことを言うべきものである、という思い込みを抱いている人も多いだろう。また、現状とは様々な不愉快な事実を含んでいるものだから、現状を否定しない本を読んでいると歯がゆい気持ちになる読者も多いのだろう。本に書かれている実行可能な提案が読者にも負担を強いるものであれば(例えばシンガーの本の場合であれば、読者も途上国への寄付を行うべきだと書かれている)、負担を行っていない自分が否定されているように感じられて気分が良くない読者も多いだろうし、負担をしない自分を肯定するために実行可能な提案を意地でも否定しようとする人もいるだろう。

 一方で、革命的な構想が書かれている本は、悪い政府や悪い金持ちや悪いマジョリティなどのせいで世の中が悪くなっているとでも書くことで不愉快な現状を否定してくれるし、述べたてられる提案は大体がそもそも実現不可能なので読者としても本に書かれている提案を実現するために何かを行う必要はないし、読んだ後はただ気分が良くなるだけである。読者もデモとかに行って政府や金持ちやマジョリティを非難すべきである、みたいな指示が書かれている本はあるかもしれないが、まあ寄付などに比べると他人を非難することは楽しいものだ。

 だが、実現可能でない提案に意味はないし、マルクス主義なんかがもたらしてきた数々の負の側面を思い起こしても分かる通り、有害ですらある。現代の経済学では、グローバルな資本主義の問題点は数多く指摘されているだろうが、資本主義そのものを否定する経済学者はいないだろうし、グローバリズムはマイナスしかもたらさないと主張している経済学者もそうそういないだろう。経済学者や政策立案者たちは、現状を直視した上で、資本主義やグローバリズムのプラスの側面を残しつつマイナスの側面を軽減できる実行可能な対策を改善案を日夜必死で考えている訳である。彼らの活動は賞賛されるべきであり、現状を追認しているなどとして非難されるべきものではない。

 そして、使用する知識や言及する対象や提案の枠組みなどは違うとしても、哲学者が行うべき仕事は経済学者や政策立案者たちと根本的には一緒である筈だ。

 

 

*1:ディートンは2015年度のノーベル経済学賞受賞者で『大脱出』の著者。アセモグルも経済学者で『国家はなぜ衰退するのか』の共著者である