道徳的動物日記

人々の議論を眺めながら考えたことや読んだ本の感想など。このブログは利益や金銭目的ではなく人々に対する啓蒙のために書かれています。ありがたがれ。

仕事と倫理

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 この記事を読んで思ったことや、さいきん考え続けていることを書きなぐる。ただし、内容自体は上記の記事とはあまり関係ナシ。

 

 上記の記事の後半では本の流通の問題や書店・本の存続そのものについての危惧が語られているが、それはおいておいて、前半で触れられている「アイヒマン問題」について思ったこと。
 一般的には書店員は本が好きな人であるはずだし、本が好きな人はそれだけ物事について考えるのが好きな人であり(そうでない人もいるが)、本を通じて多様な観点に触れて感性も養っているだろうから(ぜんぜん養えていない人もいるけれど)、人種差別や性差別などの問題には敏感であるだろう(本から全く何も学ばずに鈍感なままの人も多々いるが)。
 記事のなかでは書店員(や出版業界の人々)が"自ら思考することを放棄し、与えられた課題を唯々諾々とこなすだけの「作業員」となって"しまうことの問題が論じられているが、おそらく、思考を放棄せずに現在の書店や出版業界の惨状を苦々しく思いながら働いている書店員もいるはずだ。
 しかし、思考を放棄しなかったところで、現場の書店員なんて所詮は業界や企業の末端にいる存在だ。現状を改善するためにできることは限られているだろうし、何もできない立場にいる人も多いだろう。
 そういうわけで、思考の有無に関わらず、書店員として働いている以上(または、出版業界に関わっている以上)は多かれ少なかれ「アイヒマン」化するといえるかもしれない。

 

 そして、仕事を通じて「アイヒマン」化するのは書店員に限らない。
 たとえば、ジャーナリズムやマスコミ、映像メディアやWebメディアなどの仕事には大なり小なり出版業や書店に似たところがある。
 つまり、それらのメディアのなかでも良質な物であれば、人々の知見を広げたり社会の様々な問題に気付かせたり深い思考にいざなって批判精神を身に付けさせたり人権意識を高めたりなどなどの善い影響を人々に与えることができる。それらのメディアに仕事として関わりたいと思っている人々も、良質な物による善い影響を受けた経験がきっかけとなることが多いだろうし、そのような人たちの考え方や価値観についても人権意識や批判精神が高い傾向にあると思われる。
 しかし、ほとんどのメディアにおいては良質な物はごくわずかであり、大半の物はクズだ。人権意識を高めるどころか他者の人権を積極的に毀損するものであったり、人を深い思考にいざなうどころか思考停止に誘導して白痴化させるものであったりする。
 能力があったり運がよかったりすればメディア業界に身を置きながらも良質なものを作る側にまわれるかもしれないが、ほとんどの人はクズを作る側にまわらざるをえないものだろう。
 そのような状況に置かれた場合、人権意識や批判精神などを保つことは認知的不協和を招いてしまい、むしろ精神的なストレスにしかならない。
 そのために積極的に思考を放棄したり、あるいは露悪的にシニシズムに傾倒したりしてアイヒマン化せざるをえない、という状況があるかもしれない。

 

 書店会社やメディア会社などに従業員として働いてしまうから会社の要請によってアイヒマン化してしまうのであり、独立したクリエイターとして活動するなら自分の倫理観を保ち「やるべきではないことはやらない」「悪には加担しない」という選択することもできるから、アイヒマン化することは避けられるかもしれない。
 だが、独立したクリエイターでいつづけるためには積極的に仕事を取って金を稼ぎ続けなければならない。そのため、クリエイターは会社員以上に非倫理的になりえる。
 クライアントである企業の要請にしたがってステルスマーケティングなどの非倫理的行為に協力するクリエイターもいれば、大衆の歓心を買うために差別を扇動したり社会を分断したりするコンテンツを積極的に作成して拡散するクリエイターもいたりする。
 ステマや差別扇動などは極端だとしても、つまらない映画や美味しくもないコンビニの新製品を大げさに美化して宣伝する漫画や記事を書いたりする漫画家やライターがいたり、一冊の本を成立させるために自分でも本気で信じてはいない理論をなんにでもあてはめる批評家がいたりする。これらだって嘘を付いているという点では非倫理的だ。すくなくとも私はこういう人たちに徳性や品性は感じない。

 結局のところ、受動的に「アイヒマン」化するか、能動的に悪を創造して世間にまき散らすかの違いでしかないかもしれない。 

 

 しかし、こんなことを言い続けていたら働いたり金を稼いだりすることがすべて非倫理的だということになってしまうし、働かなくてすんだり金を稼ぐことに必死にならないでよい上流階級とか資産家の息子だけが倫理的であり続けられる、という結論になってしまう。だが、この結論もどう考えてもおかしいだろう。「働かなくていい」というポジションに付いている時点で不平等な社会制度に加担しているから倫理的でない、などとも言えるが、それ以前に、仕事や労働をする時点で倫理や徳からは離れてしまうという議論はあまりに不毛だ。というわけで、個々人の人が自分の持ち場で(金を稼いだり生活を継続することとのバランスをとりながら)精一杯に倫理的行為を実現したり徳性や品性を失わないようにがんばる、という結論しかないかもしれない。