道徳的動物日記

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動物の権利運動は部落差別?

 

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 上記の記事とか、それ以前からよく言われている「動物の権利運動は部落差別だ」的な主張に対する一般論的な反論。

 

 多くの社会運動では、現行の社会で認められている社会制度を不当だとして、その制度に規制をかけたり撤廃したりすることが目標とされる。そして、運動がある程度以上の成功を収めた場合、運動の標的となる制度に関わる職業にも影響が出てくる。奴隷制反対運動の場合は奴隷農園の主は奴隷を使用することができなくなり、農園の運営が難しくなったり閉鎖せざるを得なくなったことも多々あっただろう。死刑執行人を生業としている人がいる国で死刑廃止運動が成功すれば、死刑執行人は失職する。農園を閉鎖した農場主にせよ失職した死刑執行人にせよ、本人や関係者たちからすれば「社会運動のせいで自分が不利益を被った」ということになり、苦々しい思いを抱くかもしれない。

 しかし、「ある制度は不正であるから、制限・廃止すべきである」という主張に対して「その制度に関連する仕事に従事している人がいるのだから、その制度は廃止するべきではない」と主張しても、それは反論になっていない。「関連する仕事に従事している人」の存在を理由として制度を存続させることが認められるとすれば、どれだけ不正な制度であっても撤廃することができなくなってしまうからだ。

 歴史上の過去の社会には身分差別的・人種差別的・性差別的...などの様々な差別的な制度が存在してきた。それらの制度が廃止されるたびにその制度に関連する仕事に従事している人の職業は失われてきただろうが、振り返ってみて「誰かの仕事を奪うことになったのだから、身分差別的・人種差別的・性差別的な制度は廃止されるべきでなかった」と言う人はそうそういないだろう。

 

 動物の権利を主張するアニマルライツ運動や動物の福祉の拡大を目標とするアニマルウェルフェア運動では、畜産業・皮革製品業・動物実験制度・ ペット流通・動物園・動物を利用する一部の宗教的行事...などなどの動物を利用する様々な制度・産業・慣習が不正であるとして批判され、それらに規制をかけたり撤廃したりすることが目指される。

 現状を見ると、畜産業や動物実験などの完全な撤廃はまだまだ実現性が薄く、仮に将来的には撤廃されるとしてもかなり未来のことになるだろう。しかし、動物の福祉に配慮するために各種の制度にかけられる規制は、現在進行形で拡大していると言える。アニマルウェルフェアに対する意識が特に高いヨーロッパ諸国では、畜産動物が飼育される環境についても屠殺方法についても様々な規制がかかっている。日本においては畜産や屠殺の場におけるアニマルウェルフェアの実現はまだまだ発展途上であるようだが、悪質ブリーダーが問題視されるなどペット業界に対する世間の目は厳しくなっており法規制の動きも見受けられる。皮革製品や動物実験や動物園や動物を利用する宗教的行事などについても、それらに関連する製品やイベントをボイコットしたりそれらに対して抗議したりする運動は広がり続けているし、それらの制度への規制が過去よりも厳しくなる傾向にあることは日本でも外国でも確かだろう。

 ある制度や産業が撤廃されずとも、それらに規制がかかるだけでも、その制度や産業の規模が小さくなったり今までのような利益をあげることができなくなったりしてその制度や産業に関連する雇用の数が減ってしまい、結果としてその制度に関連する仕事に就いていた人が失職することもあるかもしれない。とはいえ、奴隷制度や死刑制度についての場合と同じく、「畜産や屠殺などの制度に関連する仕事に従事している人がいるのだから、畜産や屠殺などに関する制度は規制されたり廃止されたりするべきではない」という理屈は通じない。

 

 要するに、「ある制度は不正だから撤廃/規制されるべきだ」という主張に反論したいのなら「この制度は正当であるので撤廃/規制されるべきでない」と論じて主張するべきなのであり、制度の不当さ/正当さの問題を棚上げして「この制度を撤廃/規制すると関連する人の仕事が奪われるから撤廃/規制されるべきでない」と主張するのは筋が悪い、ということだ。

 

 さて、畜産制度に対するアニマルライツやアニマルウェルフェアを推進する立場からの主張とは、基本的には「畜産製品を生産するために家畜を飼育すること」及び「家畜を屠殺すること」を撤廃/規制することに分けられる。

 このうち、「家畜を屠殺すること」の撤廃を求める主張に対しては、日本においては「部落差別である」と批判されることが多い。

 しかし、「部落差別である」という批判が通じるのは、アニマルライツ運動の側が屠畜"制度"ではなく個人としての屠畜業者を非難した場合や、運動の場において部落差別的な言葉を使った場合などに過ぎない。

「畜産制度は動物の権利を侵害して動物を搾取する不正な制度だから、撤廃されるべきである」という主張に対して、「日本において部落差別が存在してきた/いまなお存在すること」や「屠畜業は被差別部落と密接な関わりがあること」などを持ち出しても、本質的には何ら反論にならない。そのような反論は、突き詰めてみれば“「部落差別」という不正をさらに増すことを防ぐために、「動物の搾取」という別の不正を看過せよ”と主張しているに過ぎないからだ。そのような主張に対しては「どちらの不正も看過せず、解決するべきである」としか答えようがない。