道徳的動物日記

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ジョナサン・ハイト 『しあわせ仮説』 (5) 3章「報復の返報性」 愛も、ゴシップも、セールスも、マフィアも、しっぺ返し。

 

しあわせ仮説

しあわせ仮説

 

 

 ジョナサン・ハイト 『しあわせ仮説』3章「報復の返報性」

 


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 ・映画『ゴッドファーザー』冒頭の、ドン・コルレオーネと葬儀屋ボナセラの会話には、どんな文化の社会生活においても普遍的に共通する「返報性」の原理があらわれている。マフィアの首領に恐ろしいことを頼むということは、やがて自分が恐ろしいことを頼まれるということである。平和で平凡な世界に生きる我々にも、シチリア・マフィアの独特の掟が理解できるのは、人間にとって「返報性」は根深い本能であり、社会生活の基本通貨であるからだ。(71-74)

 

 ・数百から数千以上の個体が分業を行いながら大規模な社会共同体で暮らす「超社会性」は、アリやミツバチなどの膜翅類・シロアリ・ハダカデバネズミ・人間のみが備える。人間以外の三種に関しては、コロニー内は一匹の女王とそれによって生まれた子どもたちだけが存在し、ほぼ全ての子どもの繁殖能力は制限されている。周囲の皆が兄弟姉妹で、遺伝子の生存は女王に委ねられているので、利己主義は遺伝的な自殺を意味する。超社会性を備える動物たちは、他の動物にも存在する血縁性利他主義が徹底された存在である。

 人類にも血縁性利他主義が存在し、縁故主義や身内びいきの原因となり、マフィアの「ファミリー」や名付け親などの疑似家族的な制度の源泉にもなっている。しかし、人類には、血縁を超える社会性が存在している。(74-76)

 

 ・ある心理学者が無作為に知らない人たちにクリスマスカードを送ったら、大多数の人たちはカードの返事を送ってきた。動物行動学的な「反射」のように、人間は、好意を受けると、その好意に対してお返しをしたくなってしまう。

 人間には「自分にされたことを他人に行え」という「戦略」が備わっている。この「しっぺ返し戦略」が、私たちに血縁性利他主義を超える方法を与え、見知らぬ人との協調的な関係性を形成する可能性を開いてくれる。互恵的利他主義とも呼ばれる。(単純なしっぺ返し戦略を行う動物は、チスイコウモリなど、人間の他にも存在する。)

 動物における相互作用は、血縁同士を除くと、ゼロサムゲームである。ある動物の利得は、他の動物の損失となる。他方で、人間の場合、強調することでお互いの取り分を増やすことが可能である。獲物が豊かな日の過剰を、獲物を穫れなかった仲間に貸すことは、将来自分が獲物を穫れなかったという事態に陥ったときに、助けの手が差し伸べられるという可能性を残すので、生き残る可能性を高くする取引である。

 しかし、相手から獲物を譲ってもらったことがありながら、その相手が獲物に困っていても知らん振りして自分の獲物を独占する「詐欺師」があらわれたら、しっぺ返し戦略は破綻するのではないか?そのような詐欺師に対し、どのように対処すればいいのか?叩きのめしてやるのだ。獲物をくれた仲間に対する「感謝」と、獲物をかすめ取る詐欺師に対する「復讐」は、しっぺ返し戦略を強化するために進化してきた道徳感情である。構成員が「復讐」の感情を持つ集団では、詐欺師には敵を作り出し復讐されるというリスクが生じる。また、構成員が「感謝」の感情を持つ集団では、誠実である者には友人ができてリターンが増加する。

  復讐と感謝は1枚のコインの表裏である。感謝だけを持ち復讐の感情を持たないなら、たやすく搾取の対象にされてしまう。復讐心だけを持つと、仲間は遠ざかっていき、誰とも協調できない。(76-81)

 

 ・「Aは20ドル与えられて、その20ドルをBと分けなければならない。配分はAが自由に決められるが、Bには、提示された配分を断る権利がある。ただし、Bが断ると、AもBも、1ドルも得られない」という実験。合理的には、Aは19ドルでBは1ドルとなる(Bにとっては1ドルの方が0ドルよりマシである)。しかし、約半数のAは10ドルを提供する。Bは、7ドルなら受け取るが、3ドルならその不公平な配分に憤慨し、配分を断って3ドルを犠牲にする代わりに、Aからも17ドルを失わせて懲らしめる。(79-80)

 

 ・ゴシップは、人間の超社会性の鍵である。

「なぜ、一部の動物は、他の動物よりも脳が大きくなるか」という謎には、様々な回答がある。その一つとして、脳の大きさは、その動物の社会集団のサイズに比例して大きくなる、という考え。霊長類のみならず哺乳類全般・鳥類・爬虫類・魚など、どの動物たちも、大きな集団を管理するために脳を大きくした。社会的動物は、頭の良い動物である。

 チンパンジーは30匹前後の群れで生活するが、脳の大きさの比率から考えて、人類は150人前後の集団で生活するはずだ、というロビン・ダンバーの考え(ダンバー数)。

 チンパンジーは毛づくろいをすることでお互いの関係を維持するが、より大きな集団に暮らす必要のある人間は、毛づくろいの代わりに「言語」を進化させた。言語は、主として「他人」について話すことに使用される。仲間と、他の仲間の交友関係について情報交換をすることは、集団内の仲間たちについて多くのことを知らせてくれる。そして、ゴシップは人間関係を複雑にさせ「評判」という要素を生みだした。評判を操作し、人間関係の技術を取得する競争がエスカレートして、人間の知能はさらに進化した。(81-83)

 

 ・私たちは、友人に情報を伝えるように動機づけられている。そして、面白くて有益なゴシップを誰かに伝えたら、相手は返報性の反射を作動して、話題の人物についての別の情報を打ち明けてくれる可能性が高い。ゴシップを伝えることで、自分の知らないゴシップを引き出し、集団内の仲間たちの評判を把握することができる。ゴシップを共有することは、失われるものがない非・ゼロサムゲームでもある。

 ゴシップのほとんどは批判的なものであり、他人の道徳的・社会的な違反についてである。他人を褒めるようなゴシップは批判的なものの1割程度しかささやかれない。また、高品質なゴシップ(とびきりの話題)を伝えたとき、自分のことが力強い人間であるように思われて、ゴシップを伝えた相手と善悪の判断について共有感を得られて、親密さも高まる。ゴシップは、会ったことも無い人の自己中心的な行いに対しても、軽蔑や怒りの念を抱かせる。

 とはいえ、人間はほとんど皆がゴシップを話すのに、ゴシップという行為やゴシップ好きな人については大多数の人がネガティブな感情を持つ。

 ゴシップは過小評価されている。ゴシップがあることで、親切な人は親切で報われ、非情な人は非情で報われやすくなる。ゴシップは、私たちの自己中心的な行動を評判というリスクで抑制する警官であり、私たちに道徳とは何かを感じとらせて道徳の感覚を他人とも共有させる教師である。(83-86)

 

 ・『影響力の武器』の著者ロバート・チャルディーニは、セールスマンが私たちに対して使うトリックの基本は返報性であると見出した。道端の宗教者から何の役にも立たない花やパンフットを手渡され、受け取ってしまったら、その後に求められる寄付を断りづらくなる。無料サンプルは売り上げを伸ばし、飴玉をくれたウェイトレスにはより多くのチップをはずんでしまい、調査の後に50ドル渡すと約束するよりも調査の前に5ドルのクーポン券を渡してしまった方が調査の参加者は増える。象使いが「無料なんだから、ありがたく頂戴しよう」と考えても、象が「無料で頂いたんだから、お返ししなければ」と考えてしまう。

 知らない子どもに「映画のチケットを買ってくれ」と言われたら断るが、その後に「じゃあ、チケットは我慢するから、チョコレートを買ってくれ」と言われたら、買ってしまうかもしれない。最初に極端な値段を付けた後に、値引きをした方が、最初から適正価格を提示するよりも売れやすい。譲歩は譲歩を生み出す。交渉相手が譲歩するのを目にすると、実は相手の戦略のうちであっても、自分がその交渉について影響力を持っていると感じてしまい、交渉の結果を尊重しやすくなる。そして、ギブ・アンド・テイクの過程で、交渉相手にパートナーシップも感じてしまう。

 セールスマンのトリックに対抗するためには、相手に、返報性のボタンを押させないことだ。相手からの無料プレゼントを断り、譲歩を真に受けない。相手がトリックをしかけていると認識して、感謝ではなく戦略によってしっぺ返ししてやろう。(86-88)

 

 ・返報性は、友人関係や恋愛でも重要である。人間関係は、行為・気遣い・自己開示のギブ・アンド・テイクで成り立つ。初期段階では、与え過ぎることも、与えなさ過ぎることもいけない。初対面の人に過去の恋愛を話せば相手は面食らうだろうし「自分も恋愛の話をしなければいけないのかな」というプレッシャーを感じさせてしまう。しかし、適切なタイミングで過去の恋愛を打ち明けることは、相手との会話を一気に親密にさせるターニングポイントとなるはずだ。(89)

 

 ・私たちは、誰か好きな人と交流すると、自動的かつ無意識的に、その人の動作を模倣する。相手が頬を掻くと自分も頬を掻き、相手が足を踏み鳴らすと自分も足を踏み鳴らす。

 そして、私たちは、自分を模倣する人のことも好む。人は軽く模倣されると、その人に行為を持ち、機嫌が良くなる。客の模倣をするウェイトレスは、より多くのチップをもらう。

 模倣は「私たちは一つ」と表現することで、私たちに一体化の快楽を与える。応援団から宗教儀式まで、多くの場面で模倣の快楽が使用されている。人類は、部分的にミツバチのような存在であり、他者との結合を快感に思うのである。

 返報性を正しく使うことは、人間関係の絆を活性化し、引き延ばす。返報性は、愛と同じように、孤立している人間たちを再び結合させて、ミツバチとしての快感を与えるのだ。(89-90)

 

 

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 ● 友だちがいないので返報性のトリックを知ったところで使う機会がない。

 

 ● よく他人を憎悪したり裏切っているので、憎悪は憎悪で報われて裏切りは裏切りで報われる、というのは個人的な経験に照らし合わせても説得力がある。

  感謝に対して感謝で報われた記憶はあまりない。そもそも他人に対して感謝の念を抱くことがあまりない。感謝の徳が低い。

 

 ● 学部生のころにはゴシップや陰口にだいぶ悩まされて、いろいろと傷付いた思い出がある。純粋であり独善的であった私は「根拠のない陰口を叩いて、人の噂や他人の意見に左右されて、他人のことを罵るなんて信じられない。自分の頭で考える脳みそのないゴミどもだ。ああいう奴らがナチスを支持してホロコーストを起こすんだ」と思いながらだいぶ怒っていたが、いまから思えば自分も他人について陰口を叩きまくっていたし、誰かについて他人の評判に頼らずに自分の頭で考えて決めろ、と求めるのは無茶だろう。それよりも、「人間とはゴシップをするものだ」「ゴシップは必ず発生するし、それがなければ人間関係はまわらない」ということを知識として理解していれば、自分がゴシップの対象になることについても、もっと寛容になれていたかもしれない。「他人からの評判やうわさ話なんて気にせずに、やるべきことをやっていれば、正当に評価してくれる人もあらわれるはずだし、皆も真実に目覚めるだろう」みたいな考えを持っていたこともあるが、これも、本来やらなければならないこと(他人に評価される形で仕事をすること)を怠って、やりたいことしかやらない、という自分の行為とか性格とかを正当化するための言い訳だったのだろう。

 ただし、あまりゴシップが横行したり力を持ち過ぎたりする集団は、健全に機能しないだろうという気はする。少なくとも非倫理的な側面はあると思う。多くの文学や映画は、うわさ話や陰口がどれだけ個人を傷付けるか、というテーマを扱っている。ゴシップを操作することで敵対する人を排除し、権力を掌握しようとする、という人も存在するだろう。

 もちろん、「多少は傷付く個人がいるとしても、全体としての組織や社会がうまくまわって大多数の人の幸福に寄与するんだから、ゴシップは必要だ」というのも一つの倫理的見解である。

 

 

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  とにかく、ゴシップについては散々苦悩してきたので、興味がある。ゴシップや評判というテーマだけに絞って書かれた本も、読んでみたい。

 

 

 

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 ● 「人間は、90%は利己的なチンパンジーであり、10%は集団的なミツバチである」というメタファーは、ハイトの続編『The Righteous Mind』の中心的なテーマとなっている。

 

 

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