道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

タコ、魚、ロブスター、植物

 

 さいきん、タコと頭足類に関する本を続けて読んだ。

 

 

タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源

タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源

 

 

 

 

 

 前者の『タコの心身問題』では、タコの高度な知能や複雑な感情が強調されており、タコたちの行動や生き様についても著者の愛情たっぷりに書かれているが、「我々はこれからタコをどう扱うべきか」という動物倫理的な問題には直接には触れられていない。しかし、欧米圏ではタコなどの頭足類への倫理的配慮の必要性が認識されるようになってから久しく、実験に使う際にも痛みを与えないようにすることや麻酔をかけることなどが求められているようだ。

 後者の『魚たちの愛すべき知的生活』では、本の終盤では動物倫理の問題に直接的に触れられている。著者のバルコムは前著の『動物たちの喜びの王国』でも動物倫理の問題を強調していたし、もともとそういう問題意識を持っている人なのだ。

 バルコムの文章を引用しよう。

 

魚のすばらしい点、そして尊重すべき点は、人間に似ていないところだ。わたしたちとは異なる魚の生き方は魅力と驚きにあふれ、共感をも呼び起こす。

…(略)…なんとかして魚の地位を高めようとわたしが模索してきた方法にも、魚の意識と認知能力への注目をうながすことがその一つにあった。しかしながら、人間以外の生きもののすぐれた点をほめたてるのは、知性重視に傾きすぎてしまうことになる。本来、知性と道徳的地位とはほとんど関係がない。わたしたちは発達障害の人の基本的権利を道義的に否定しない。感覚をもち、苦痛やよろこびを感じる能力が、倫理的配慮の基盤である。

(p.286)

 

 そして、2年ほど前にはスイスにおいて定められたロブスターの保護規定が話題になった。

 

jp.reuters.com

 

 その当時に書いた、自分の記事から文章を転載する。

 

davitrice.hatenadiary.jp

 …私としては、ロブスターの痛覚を考慮してロブスターの福祉に配慮した規制が定められることは、動物の権利運動や動物福祉運動に対して投げかけられる「人間に近い動物だけを優遇するから傲慢」あるいは「可愛い動物や共感できる動物だけを対象にしているから感情的で非論理的」といった批判に対する反証となっているように思える。

 

 ひと昔前には「動物愛護運動は犬猫やアザラシなどの可愛い動物ばっかりを優遇して、そうでない動物を差別する」という批判が定番だった。その後には「動物の権利運動は、イルカや大型霊長類など知能という点で人間と似ている動物ばっかり尊重して、そうでない動物を差別する」という批判が定番となった。しかし、もはやどちらの批判も有効ではなくなっているだろう。

 これらの批判が定番であったのは、反差別運動に対して「いや、実はお前らのその発想も差別的なのだ」と返すことが有効な反論であると思われがちだから、という理由がある。動物の権利運動(つまり、反-種差別運動)に限らず、反女性差別運動や反人種差別運動に対しても、批判された人たちは「差別に反対するお前たちのその主張の方が差別的だ」と言いたがる。しかし、このような反論はうまくいけ痛快なものになるが、大半は相手方の主張を自分たちにとって都合よく誤解した藁人形論法にすぎず、ピントを外しておりまともな反論になっていないのである。

 

 さて、最近のSNSなどにおいて動物の権利運動に反論しようとしている人の主張を見ていると、「植物はどうなんだ」という Plants tho 論法 が主流となっているようだ。これは、動物の権利運動が「かわいくない動物」や「人間と似ていない動物」も保護や尊重の対象とすることが伝わってきたために、「差別に反対するお前たちのその主張の方が差別的だ」と主張するためにはもはや植物(または微生物)を持ち出すしかなくなっているから、という理由があるからだと思われる。