Beyond Prejudice: The Moral Significance of Human and Nonhuman Animals (English Edition)
- 作者:Evelyn B. Pluhar
- 出版社/メーカー: Duke University Press Books
- 発売日: 1995/07/21
- メディア: Kindle版
1995年に出版された動物倫理の本で、「限界事例からの議論」に紙幅が割かれているのと、いわゆる「権利論」的な立場から道徳の道徳的地位を主張しているのが特徴になる*1。
第1章では、ピーター・シンガーやトム・レーガンやバーナード・ロリンなどの動物の道徳的地位を主張している人たちの中でも代表的な人たちのいずれもが用いている「限界事例からの議論」について、その枠組みや構造のあらましが一章を割いて紹介されている。パーソン論についても紙幅が割かれており、動物倫理や生命倫理において重要な議論の整理がされている感じだ。
第2章では、「限界事例からの議論」に対して反駁しようとする様々な論者たちの多数の試み…つまり、「動物の道徳的地位を認めないこと」と「知的能力や認識能力が動物並み/動物以下の人間の道徳的地位を認めること」を両立させようとする試みが紹介され、そのいずれもが再反駁されている。
第3章では、人間という生物種自体に道徳的重要性を認める「種差別」の論理を道徳的に擁護しようとするいくつかの試みが紹介されつつ、これらに対しても反駁されている。
第4章ではシンガーなどの提唱する功利主義が、場合によっては動物や人間の生命を奪うことを正当化してしまうという問題点が指摘されている。
そして、第5章では、功利主義のように生命を奪うことを正当化しない、道徳的権利を動物に認めることを主張する議論が展開されている。
25年も前の本なだけあって、動物倫理について書かれた最近の本とはいくつかの点で趣が異なる。もっとも目立つのは、動物の道徳的地位をまったく認めようとしない論者や種差別を正当化しようとする論者が多数登場して、それに対する反駁が本の大部分を占めていることだろう。最近の本では動物の道徳的地位自体の主張や種差別への反駁は本の冒頭で済まされて、動物に道徳的地位を認めると具体的にどうなるかという発展的な主張や、動物に道徳的地位を認める主張の間での議論(功利主義vs権利論や第三の理論との対立など)が紹介されることが多い印象がある。
これは、すくなくとも英語圏の哲学・倫理学の界隈では、種差別を正当化することや「動物の道徳的地位を認めないこと」と「知的能力や認識能力が動物並み/動物以下の人間の道徳的地位を認めること」を両立させようとすることは望みが薄いということが広く認識されるようになっており、動物に道徳的地位を認める議論が普及しているということを示しているように思える。つまり、1995年の時点ではそもそも動物に道徳的地位があるということや種差別が道徳的に批判されるべきだということに納得していない人が(倫理学者の間にも)多かったために、主張の正当性を示すこと自体に労力を割く必要があったのだ。しかし現在となっては動物倫理の考え方は広く認識されたり支持されたりしているので、発展的な議論に労力を割けられるようになった次第である。
この本で主張されている理論自体とはあまり関係がないのだが、第4章でシンガーへの批判が開始される前に彼の倫理学が現実の社会で成し遂げた功績が讃えられていたり(「人間を含む多くの動物たちはシンガーに多大な恩がある」とまで書かれている)、第5章の冒頭でも倫理学的な議論によって人々の態度や行動を変えることの大変さやそれを実行しようとしている哲学者たちの努力について触れられている点が印象的だ。
また、この本で紹介されている「限界事例からの議論」に対する反論や種差別を正当化しようとする試みには、哲学的に複雑で理論としてそれなりに成立しているものもあるが、まったく理論的ではないものも多い。論理的一貫性や「平等」という概念をほとんど無視してしまって「人間と動物との間に明確な線引きをしておくことが人間の弱者の保護につながるんだ」と主張したり、「動物と知的障害者の道徳的地位を並べて論じること自体が後者の尊厳を無視する行為だ」と非難したりする。このような主張についてはこの本のなかでも理論的に反駁されている。「人間と動物との間に明確な線引きをしておくことが人間の弱者の保護につながる」という主張は経験的にも間違っているだろう。人間のマイノリティの権利を主張する運動と動物の権利を主張する運動が軌を一にしていることは様々な論者が指摘している*2。後者についても、そのような非難をすること自体が動物の道徳的地位を認めようとしない、論点先取な主張であると言えるだろう。……とはいえ、倫理学の世界を離れた現実の場における議論では、これらの反駁が説得力を持って受け入れられてしまうことも事実だ。
また、1995年に比べれば動物の道徳的地位を認める人の数自体は英語圏でも日本でも増えている印象はあるが、まだまだマイノリティであることは否めないだろう。倫理学の世界でいくら理論が認められるようになったとしても、現実の世界における認知度ととはギャップがあることも確かである。とはいえ、ビーガンや動物の権利運動の認知度は飛躍的に向上していることもまた確かだ。まあ理論の方も運動の方もそれぞれ頑張って成果を出しているのである。