道徳的動物日記

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Cultural appropriation(文化の盗用/文化の簒奪)という概念に対する批判の雑なまとめ

www.huffingtonpost.jp

 

 

togetter.com

 

togetter.com

 

 

 このテの話題でよく出てくるCultural appropriation(文化の盗用/文化の簒奪)という概念だが、白人が着物を着ることばかりでなく、「エミネムのような白人ラッパーはCultural appropriationだ」「ロックミュージックは黒人文化に対するCultural appropriationから始まった」「ハロウィンでインディアンの格好をするのはCultural appropriationだ」「アジア人以外がアジア料理を作るのはCultural appropriationだ」「白人がブリトーを食べるのもCultural appropriationである」と、ともかく際限なく主張されている。欧米のリベラルとか左派とかであってもさすがにこのような主張を皆が受け入れている訳ではなく、批判も多い。以下に批判記事の例を挙げよう。

 

 

 

www.spiked-online.com

 

quillette.com

 

www.thedailybeast.com

 

www.washingtonpost.com

 

 

 色々な記事で出ている意見を雑にまとめると、Cultural appropriationという概念の基本的な問題点は、文化というものを固定的で硬直的なものと見なしていること、また文化を「所有者」が存在するものであるかのように扱っていることだろう。本来、文化というものは時を経るごとに変わっていくものであるし、他の文化と融合したり異文化の人々の手が加えられたりするものだ。ある文化がその文化とは縁遠い人に触れられたり利用されたりすることは本来歓迎するべきことであり、批判するべきことではない。また、"ある文化が、その文化の本来の所有者ではない相手に盗用された"という発想は、文化が「この文化はこの民族のもので、あの文化はあの人種のもので…」という風に割り振れるものであるという発想を前提にしている。これでは人々を人種や民族といったカテゴリに縛り付けて対立を促すアイデンティティ・ポリティクスの一環に過ぎないだろう。  

 

 また、「非白人も白人の文化を利用しているじゃないか、これも Cultural Appropriationじゃないか」や「いまマイノリティ文化とされているものも、元をたどればまた別の国のものじゃないか。マイノリティ文化同士の間でも Cultural Appropriationが起こっているじゃないか」という反論もされている。Cultural Appropriationという概念を主張する側は白人と非白人やマイノリティとの間の権力関係の非対称性とか、抑圧が存在しているかしないかといった点を違いに挙げて反論する訳だが、そもそも「権力」や「抑圧」という概念もまた曖昧で都合の良いものである。

 

 結局のところ、Cultural appropriationという概念は、対立が存在しないところに対立を生み出して、また危害が存在しないところに危害を生み出し、人々の自由や表現を縛り付ける不毛で有害な概念であると言ってしまっていいだろう。この特徴は「マイクロアグレッション」や「トリガー警告」といったその他のポリティクス・コレクトネス関連の概念と共通してもいる。

 

 

davitrice.hatenadiary.jp

 

davitrice.hatenadiary.jp

 

 余談だが、Cultural Appropriationという単語について英語のインターネットで調べていると、Everyday Feminismというサイトがよく出てくる。このサイト自体、誰かの思想や行動を攻撃するための新しい用語や概念を思い付いてはそれを拡散して人々の対立を煽ることをよくやっているところである。

 

 

everydayfeminism.com

 

everydayfeminism.com

 

 

追記:なんか今回の件についてはてブでもTwitterでも、Cultural appropriationという批判をすること自体が「白人の傲慢さ」の表れだ、非西洋文化に対する西洋文化の優越意識が逆説的に表れている、みたいな深読みしたコメントが散見されるが、例えば上に貼ったEveryday Feminismの二つの記事の著者はどちらもマイノリティ系の女性であるし、今回カーリー・クロスを批判した人のなかには日系・アジア系の人もいるという可能性も十分にあるだろう。