道徳的動物日記

人々の議論を眺めながら考えたことや読んだ本の感想など。このブログは利益や金銭目的ではなく人々に対する啓蒙のために書かれています。ありがたがれ。

読書メモ:『徳は知なり』(by ジュリア・アナス)

 

徳は知なり: 幸福に生きるための倫理学

徳は知なり: 幸福に生きるための倫理学

 

 

 本の要約などではなく、気に入ったところを抜き出すだけのほんとうに単なるメモ。

 

『徳は知なり』は、「徳とは何か」「有徳に生きることとは」「徳と幸福との関係とは」と行ったトピックについて、著者のジュリア・アナス自身の考えを体系化して整理して解説する本。徳倫理の解説ほんということで「アリストテレスはこう考えた」「ヒュームはこう言った」という思想史の解説に終始しているのかなとも思ったが、思想家の名前はあまり出てこなくあくまで「徳とは何か」ということを正面から分かりやすく論じる本だったので、良い意味で予想を裏切られた。

 著者の主張を一行でまとめると「徳とはピアノやテニス、陶芸や翻訳のような"技能"に類推できるものであり、経験による熟練や知的な学習をつうじて、徐々に当人の中で発達して備わっていくものである」という感じになるだろうが、この主張も読んでいるとなかなか説得力がある。

 功利主義などの他の倫理学理論も比較対象として取り上げられることはあるが、その頻度も少ない。中絶なり菜食なりの応用道徳問題に対して徳倫理はどのような答えを出すか、というトピックについてもほとんど触れられていない。「徳とは何か・幸福とは何か」ということとそれを踏まえた人生論がメインである。「幸福に生きるための倫理学」という日本語版の副題の通り、生き方についてしんみり考えたい人向けの本と言えるだろう。

 古代の哲学者からの引用がほとんどない代わりに、道徳や幸福についての現代的な考え方(心理学や社会科学など)を意識して書かれているのも良い。あるページでは徳倫理と心理学の考え方が一致していることが示されたり、また別のページでは心理学や社会科学では足りない点を補おうとしたりする。現代の哲学の本は、やはりこういうスタンスで書かれるべきだと思う。

 

 本書で示される幸福論をざくっとまとめると、「与えられた環境や本人の資質などもふまえながら、目標を達成したり卓越した人間になろうと挑戦や努力をし続けて、よく生きることが幸福である」ということになるだろうか。「環境」や「快楽」ではなく、向上心を持った「活動」が幸福につながる、というのがキーである。

 この幸福感はともすれば暑苦しかったり説教臭さやエリート主義っぽさを感じるかもしれないが、私としては、かなり真に近いと思う。諸々のポジティブ心理学や幸福研究の本でも、上記のような徳倫理学的な幸福が人がいちばん目指すべき幸福である、と論じられることが多い(快楽ばかりにこだわるとマンネリ化するし長期満足感を得られない、環境から生じる幸福にもすぐに慣れてしまうものである、ということが論じられることが多い)。

 水は低きに流れるというか、特にネットなどで流れてくる幸福論には「快楽」にこだわった浅薄なものが多い。その理由の一つとして、快楽に基づいた幸福はどんな怠惰な人でも経験があるので想像がしやすいが、ある程度の努力や活動を行なった人でないと努力や活動に基づいた幸福について想像することが難しい、というのがあるかもしれない。

 また、著者は徳の習得のアナロジーとして「子供に対するしつけ」を用いたり、「親は子供にはこのように育ってほしいと思うものだろう」という論法を何度か使っていた。1946年生まれということもあって、年齢通りの責任感というか真面目さみたいなものが著書の全体から漂ってきたように思う。人生論を読むなら、やっぱりガキの書いた文章よりかは年寄りの書いた文章を参考にするべきだろう。

 

 最後に、私がいちばん気に入った箇所を引用しておく。

 

いかに生きるべきかを真剣に考えるときに、快い感覚はどうみても私たちにとって重要なものにはならない。快楽は、人生のなかでもっとも重要なもの、あるいはそれを中心として人生が組織立てられる目標となるにはあまりに取るに足らない代物である。人生のなかでもっとも重要なものは快楽であり、快楽こそが最優先の目的であると考える人のことを聞いたと想像しよう。私たちは、この人はわがままな二歳児と同じ精神構造をもった大人であると結論するだろう。また、この人はどのようにして現実の世界を生き抜くつもりなのだろうかと不思議に思うだろう(わがままな二歳児の方ですら、あまりうまくいかないにちがいない。どの子育て本でも指摘されているように、常に快楽を与えようとすることによって子どもを幸福にしようとしても、実際のところそのやり方では功を奏さない)。