この記事についての雑感をTwitterの方でつぶやいたので、まとめて転載する。
工場的畜産は残酷なのか? - 感想文 https://t.co/zpYG4efP2h
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 2
自然界の動物も人間も、自分と同じ種に対しても違う種に対しても残酷なことを行うことがあるが、人間には自分の行動を自省して残酷なことを抑えることができる。それを実践しない理由はないだろう。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 2
「他の動物が似たようなことを行っている」ことは「残酷ではない」という理由にはならない(たとえば、同種殺しや同種間のレイプが動物の間で行われていることは、人間同士の殺人やレイプが「残酷ではない」ことを意味しない)
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 2
『ある島のハヤブサが、食糧を貯蔵する方法として、捕まえた小鳥の羽をむしって足をきかないようにして、生きたまま、岩の中に閉じ込める っていう行動をしているらしいっていう記事。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 2
これがもし本当だったら、人間がやってる畜産と同じじゃないですか?』
畜産は ・家畜を強制的に繁殖させる ・産まれた時から死ぬ時まで、生涯を通して農場に監禁する などの時点で、言及されているハヤブサの行為とはだいぶ違うだろう。「人間がやってる畜産と同じじゃないですか?」はいくら何でも短絡的すぎる。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 2
ハヤブサが小鳥に対して行っていることと、人間が家畜に対して行っていることは、被害を受けるハヤブサの個体数と家畜全体の個体数、ハヤブサが被害を受ける期間と家畜が被害を受ける期間など、量的な面で圧倒的な差がある。なんとなく似ているから、と言って同一視することは看過できないな。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 2
『「生きるための知恵でもあり多くの人たちの命を救ってもいる。」』
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 2
『この30年間だけ見ても、こんなに物価が上がったのに卵の値段は変わらず、むしろお肉の値段は下がり続け、多くの人が飢えから救われ、子供たちの栄養状態は以前よりずっとよくなりましたよね。』
工場的畜産は世界的な食料問題や環境問題(人命を危険にさらされている)をもたらしている原因の一つであると指摘されている。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 2
× 人命を危険にさらされている → 人命を危険にさらしている
工場畜産に対する批判は「自然から切り離された人間特有の文化」であることは同意するが、電球などの道具やベルトコンベアなどの機械を使用する工場を建てて、家畜を人工的に繁殖させる工場畜産そのものも「自然から切り離された人間特有の文化」であるだろう。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 2
「卵の値段が変わら」ないことや「お肉の値段は下がり続け」ていることが「多くの人が飢えから救われ」ていることや「子供たちの栄養状態は以前よりずっとよく」なっていることの理由とは限らない。国内に限定せず、世界的に見れば、工場的畜産は多くの人の飢えに責任があるかもしれない。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 2
工場的畜産は残酷なのか? - 感想文 https://t.co/zpYG4efP2h そういえば、この記事にはコメントを2回に分けて書き込んだのだが、1つ目のコメントは「攻撃的な表現」だとして削除されていたのだった。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
コメントの内容は以前にTwitterに書き込んだ内容に多少付け加えたか減らしたものだったはず。「レイプ」という単語か、畜産に関する記述が攻撃的だと判断されたのかな。 https://t.co/42GHTQ1j4T https://t.co/OJZjddGQSn
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
改めてこの記事について意見を言う、畜産の残酷さについて論じようとするのに「※ 畜産方法の詳細等の記載は意識的に避けています。そのようなコメントがついた場合は、返信せずに削除させていただきます。」はかなり無理があるし、不誠実でもあると思う。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
× 改めてこの記事について意見を言う → 改めてこの記事について意見を言うと
「工場的畜産は残酷だ」と主張している人の多くは、工場的畜産の実態が普通の人が「畜産」と聞いて想像するであろうものをはるかに超えており、余りにも大量の動物に余りにも多くの苦痛を与えている、ということを指摘して「残酷だ」と主張しているだろう。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
ブログでは「『せまいところに閉じ込めて飼う工場的畜産は残酷で可哀想』」という価値観が「岩の中に生きたままの鳥を幽閉するハヤブサの知恵」という記事を読んだことでゆらいだ、と書かれているが…
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
「しかも『その動物の習性を考慮した飼養』をしていないっていう点では
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
せまいところに閉じ込めて飼う『工場的畜産』と同じじゃないですか?」と書かれているが、工場的畜産を批判している人たちは「動物の習性を考慮しない」「せまいところに閉じ込めて飼う」以外にも問題点があることを指摘している
「工場的畜産は残酷だ」という主張を否定・反論したいのなら、「工場的畜産は残酷だ」と主張している人たちによる「工場的畜産はなぜ・どのように残酷であるか」という議論をきちんと取り上げたり引用したりした上で、自分の反論や主張を書く…というのがフェアな態度だろう。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
しかし、この記事では工場的畜産ではないタイプの畜産家やハヤブサに関する記事へのリンクは貼られていても、肝心の工場的畜産の実態は「かなりショッキングな内容も掲載されています。行かれる方は自己責任で。精神状態の不安定な方はやめた方がいいです」ということで貼られていない。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
記事の内容の反論として「いや、工場的畜産の実態はxxxであるから、この点でハヤブサの行動とは違う」と主張しようとしても、「※ 畜産方法の詳細等の記載は意識的に避けています。そのようなコメントがついた場合は、返信せずに削除させていただきます。」ということになる。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
これはかなりアンフェアで、一方的だと思う。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
記事の著者としては「自分は議論をしようと思って書いたのではなく、自分の感想を書いただけだ」という言い分があるかもしれないが…
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
しかし、この記事は「工場的畜産は残酷だ」という主張・意見を取り上げた上で、「ハヤブサの行動も人間と同じ」「昔から人間はウミガメに対して残酷なことを行ってきた」「工場的畜産は多くの人間の命を救って、高度経済成長にも貢献した」など、工場的畜産に賛同的な主張をしている。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
「まだまだ答えは出ないしこれからも考えていきます。」という文章で締めくくられており、「工場的畜産に賛成する」と明言はしていないが、工場的畜産にとって有利な主張を複数展開している一方で、工場的畜産を批判する主張は特に好意的に取り上げられている訳ではない。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
また「※ 動物愛護に傾倒した内容ではありません。」や「※動物愛護団体サイトのリンクは貼りません。上記サイトは比較的良心的ですが、それでもかなりショッキングな内容も掲載されています。」という文章は、動物愛護・動物愛護団体に対して著者はネガティブに捉えていることを示していると思う。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
反論対象の主張の内容や自分の論拠をしっかり示した上で、「『工場的畜産は残酷だ』という主張に対してはXXXや△△△という点で反論ができるから、『工場的畜産は残酷だ』という主張は間違っている・私は工場的畜産は残酷ではないと思う」という主張を展開した記事であったなら、問題だとは思わない
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
この記事は、著者自身の主張を明言することを避けて、工場的畜産の実態を示す反論をあらかじめ封殺したうえで、「工場的畜産は残酷ではない」「工場的畜産は残酷だと主張する動物愛護団体は間違っている」という印象を読者に与えるものになっていると思う。著者自身が意図しているかどうかは知らないが
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
忘れていたので付け加える。記事の中には「ある島のハヤブサが、食糧を貯蔵する方法として、捕まえた小鳥の羽をむしって足をきかないようにして、生きたまま、岩の中に閉じ込める っていう行動」という文章や…
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
…「ウミガメは、ひっくり返されると自分でもとに戻ることができない上、そのままの状態で半年くらいは生き続けるそうで、まさに、生きた貯蔵庫になるんですね。なので、何匹ものウミガメを、食料にするため、さかさまに積み上げていたそうです。」という文章が書かれているが…
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
…工場的畜産の詳細については「かなりショッキングな内容」という理由でリンクが貼られていなかったり「※ 畜産方法の詳細等の記載は意識的に避けています。そのようなコメントがついた場合は、返信せずに削除させていただきます。」とされている。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
しかし、もしハヤブサやウミガメに関する事例と同様に残酷であると主張するのなら、工場的畜産の事例がショッキングであるの同様にハヤブサやウミガメの事例もショッキングなはずだろう。「全て記述しない」か「工場的畜産の詳細も他の事例と同様に記述する」のでなければ筋が通らないと思う。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
× もしハヤブサやウミガメに関する事例と同様に残酷であると主張するなら → もしハヤブサやウミガメに関する事例が工場的畜産と同様に残酷であると主張するなら
× 工場的畜産の事例がショッキングであるの同様 → 工場的畜産の事例がショッキングであるのと同様
実際には、著者自身も「ハヤブサやウミガメの事例よりも工場的畜産の方が残酷だ」と認識しているのだが、工場的畜産を肯定して動物愛護を否定するという目的のために、ハヤブサやウミガメの事例については記述するのに工場的畜産については記述しない、という矛盾を起こしているのではないかな。
— デビット・ライス (@RiceDavit) 2016, 2月 7
ついでに、工場的畜産の実態について記述しており、工場的畜産を批判しているサイトへのリンクも貼っておく。
畜産:動物はあなたのごはんじゃない|NPO法人アニマルライツセンター