経済コラムニストのモーガン・ハウゼル(Morgan Housel)が、英語版のモトリー・フール(投資に関するニュース・メディア)に2016年に投稿した記事を要約して簡単に紹介。
経済史学者のディアドラ・マクロスキーは「何故だかわからないが、人々は"世の中が悪くなっている"という主張を聞きたがる」と書いた。世の中がより良くなり続けることを示す数々の記録にも関わらず、悲観主義は楽観主義よりも普及しているし、悲観主義の方が賢く聞こえてしまう。悲観主義者は、楽観主義者たちよりも知的に高尚だと見なされ続けてきたのだ。J・S・ミルも「他の人が絶望している時に希望を感じている人よりも、他の人が希望を感じている時に絶望している人の方が尊敬される」と150年前に書いている。経済について楽観的な見通しを主張する人よりも経済破綻を主張する人の方がメディアでウケやすいし、同じ本の書評でもネガティブな書評を書いた人の方がポジティブな書評を書いた人よりも賢く思われる。
なぜ悲観主義者の方が賢く見えるのか?ダニエル・カーネマンが論じたように、人々に損失回避バイアスが備わっていることも、理由の一つだ。しかし、著者(ハウゼル)が観察して発見した、他の理由も記してみよう。
1:楽観主義はリスクに対して脆弱であるように見えるので、相対的に悲観主義の方が賢く見える。…だが、実際には、楽観主義者は目先のネガティブな出来事に備えたうえで長期的な視野をふまえてポジティブに考えていることが多い。一方で、悲観主義者にとっては、ある一つの悪い出来事が起こればそれが世界の終わりに感じられる。楽観主義者と悲観主義者の違いは、時間の捉え方や忍耐力の違いであることが多いのだ。
2:悲観主義は「全ての物事がうまくいっているわけではない」ことを示すため、自分の個人的な問題に言い訳を与えてくれる。自分の問題は自分のコントロールできないところで起こるネガティブな物事のせいだ、と考えられると安心感を抱けるので、我々は悲観主義に惹かれるのだ。
3:悲観主義は行動を求めるが、楽観主義は「現状のままでよい」ということを示す。悲観主義的な記事は「現状は悪いから改善のために行動が必要だ」ということが書かれているため、内容に関わらず、楽観主義的な記事よりも注目を惹きやすいのだ。
4:楽観主義はセールスマンの売り文句のように聞こえるが、悲観主義は自分のことを助けてくれる人の言葉のように聞こえる。そして、多くの場面でこれは事実である。だが、特に金や政治など人々が感情的になる話題に関しては、しばしば悲観主義も売り文句となることが多い。
5:悲観主義は、市場がどれほど確実に適応しているかを考慮に入れず、現在の傾向からのみ推定する。分析が合理的であることは確かなので、人々を脅かすような悲観主義な警告も、合理的に聞こえるのだ。
記事の最後の段落で「悲観主義者の悲観論は不安定でこれから変化が起こる物事を予測する指標になる、悲観論が唱えられているところにこそ楽観的に追求すべきチャンスが転がっている」ということを書いている。