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道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

「イスラエルに対するBDS運動と、非-事実的(post-factual)な人類学の登場」 by  デビッド・ローゼン

時事問題 ユダヤ・イスラエル関連 社会運動 学問論 人類学

 

BDS and the Rise of Post-Factual Anthropology | Minding The Campus

 

 

  今回はアメリカの人類学者、デビッド・ローゼン(David Rosen)の記事を紹介する。

 記事の本題とはあまり関係ないが、ローゼンの専門は少年兵士に関する人類学的な研究であるようだ。

 

 

Armies Of The Young: Child Soldiers In War And Terrorism (The Rutgers Series in Childhood Studies)

Armies Of The Young: Child Soldiers In War And Terrorism (The Rutgers Series in Childhood Studies)

 

 

 

Child Soldiers in the Western Imagination: From Patriots to Victims (Rutgers Series in Childhood Studies) (English Edition)

Child Soldiers in the Western Imagination: From Patriots to Victims (Rutgers Series in Childhood Studies) (English Edition)

 

 

 

イスラエルに対するBDS運動と、非-事実的(post-factual)な人類学の登場」by  デビッド・ローゼン

 

 昨年の11月、デンバー市のコロラド・コンベンション・センターのダンスホールの入口に4人の人類学教授が立っていた。やがてアメリカ人類学会の年次総会が行われて、パレスチナ人主導のBDS(ボイコット、投資引き下げ、制裁)運動の一環としてイスラエル学術的組織をボイコットすることが決議された場所だ。

 4人の教授たちは、パレスチナの領土が1918年のイギリス委任統治時代から減り続けてきたという歴史を視覚的に示すために、一連の拡大地図をそれぞれに掲げていた。しかし、それらの地図では重要な歴史的事実が無かったことになっていた。1922年にイギリス当局はパレスチナ委任領の75%を分離して、最終的にはヨルダンという国にしてしまったのだ。控えめに見積もっても、ヨルダンの人口のうち少なくとも50%はパレスチナ人である。そもそも、ヨルダンは世界で唯一パレスチナ人の女王がいる国なのだ。「パレスチナの領土が減り続ける歴史」の地図には、ヨルダンに関する部分が示されていなかった。

 自分たちが掲げている地図について教授たちが実際のところどれだけ知っているのかが気になったので、私は一人ずつ質問していった。「どうして、パレスチナ委任統治領のうちかなり広い範囲がその地図からは欠けているんんだ?」。最初の反応は…完全な沈黙だった。最終的に、4人目の教授が答えてくれた。「知らないよ」。この教授たちは、自分たちが掲げている地図について実際には少ししか知らないか全く知らないらしかった。彼ら自身がこの地図を作成したのか、それともBDS運動の工作員たちが彼らに地図を渡してそこに立っているように命じたのだろうか?自分たちが教えている学生がこのレベルの学識を示したとしたら、彼らは受け入れるのだろうか?

  BDSの支持者にとっては学術的ボイコットの決議は興奮させられることであっただろうが、この決議はアメリカ人類学会と人類学というディシプリンそのものの信頼性に重大な危険が生じていることを表している。現在でも、アメリカや他の地域には良質な人類学的研究が大量に存在している。しかし、BDSの勝利は、退行的左派(regressive left)のイデオロギーが人類学のディシプリンをハイジャックする事態の実例であるのだ。

 近年の危機は、科学的であるという義務(commitment to science)をアメリカ人類学会が放棄してしまったことに由来している*1。2010年に、アメリカ人類学会は「科学(science)」という言葉を学会の長期目標から取り除くことを決議した*2。この時から既に、人類学の大部分はすっかり政治的なものになっていたのだ。考古学者や自然人類学者など科学的根拠に基づいた研究を行う学者たちのほとんどは学会を去ってしまった。多くの文化人類学者たちも、経験主義を物語(narrative)や政治的美意識に置き換えることを嫌悪したのでアメリカ人類学会から立ち去った。人類学の領域の多くに残ったのは、過去に存在したディシプリンのわずかな痕跡と、科学的で理性的な議論への無関心さである。新しい人類学とは、政治運動なのだ。新しい人類学は、世の中の大部分を「犠牲者と征服者」や「抑圧者と被抑圧者」という言葉で分類する。人類学の質は注意深い分析・堅固なディシプリン・繊細な理解によって保証されてきたのだが、それらが存在する余地はもはや僅かにしか残されていない。

 アメリカ人類学会は、BDSの支持者から自分たちの政治的プロジェクトを実験するのにうってつけの場所だと見なされている。学会の指導者たちの大半がBDSの支持者になってしまった。彼らは、BDS運動によって1960年代の学生運動の輝かしき日々を取り戻すことができると思っているのだ。驚くべきことではないが、学会の指導者たちはイスラエルについて「何らかの対応がとられなければならない」と決定した。そのために、2014年の年次総会で、本質的にはBDSの政治的集会の代替物であるパネル展が学会の指導者たちによって展示されて宣伝された。パネル展ではBDS運動のスターたちが王族のように取り扱われていて、BDSに異議を唱える声はほぼ全て取り除かれていた。ある人類学者は大学の教室を政治化したことを自慢して「教育こそが私の政治なのだ」と誇らしげに言った。別の人類学者は、客観性という概念を「シオニストの計略の一部である」と非難した。

 

ピルトダウン人騒動

 アメリカ人類学者の指導者たちはイスラエルパレスチナの状況を検討するための特別委員会を選任した。特別委員会による報告は2015年の決議の少し前に公開されたのだが、その報告はバイアスが蔓延している引用と科学的な質の低さによって内容が損なわれているものであった。報告自体が一つのスキャンダルだったのだ。短期間ではあるが、アメリカ人類学会の指導者たちはBDSの運動家を議長に任命してもいた。特別委員会による報告は、ピルトダウン人・メソッドとしか呼びようのない方法の結果に占められていたのだ。

 ピルトダウン人騒動という大規模なイカサマ事件が起こったのは1912年だ。詐欺師の古生物学者が、現生人類の頭蓋骨・オランウータンの下顎骨・チンパンジーの臼歯を組み合わたニセモノの化石を作り出して、人類と類人猿との間の「ミッシング・リンク」を埋めるものだと喧伝したのだ。このイカサマが完全に否定されるまでには40年以上もかかった。このイカサマの核心は、本物に近い見た目を作り上げるために、それぞれ同士には関係や繋がりのない材料を賢く組み合わせることだ。ピルトダウン人事件はスキャンダルであると見なされるようになった。だが、ピルトダウン人の化石を作り上げたのと同じ方法こそが特別委員会による報告の中心となっている。新しい人類学でも、多くの場合はこの方法が使われている。

  ピルトダウン人事件と同じように、特別委員会の報告は誇張や歪曲がされた事実と完全な作り話とを組み合わせたものだ。イスラエルは特別に悪い地域なのでボイコットされるべきだ、というBDSが強制する結論を導くためである。報告は、イスラエルパレスチナの状況についてのイスラエルの責任を問うことから始まっていて、終わりにも同じくイスラエルの責任を問うことによって締められている。ピルトダウン人のイカサマが暴露されることになった唯一の理由は、当時の人類学者たちがデータに注意を払っていたということだ。しかし、新しい非-事実的な人類学(new post-factual anthropology)においては、データではなく物語だけが重要であるとされるのだ。全ての形式のプロパガンダと同じく、何かが事実であるかどうかは、それにどれだけ感情的な説得力があるかによって決定される。もし何かが物語に沿っているとしたら、それが事実となるのだ。

 人類学者たちがボイコットによってイスラエルを攻撃することは、卑劣な行為だ。イスラエルにいる人類学者はごく僅かだし、独立した人類学の学部はイスラエルには存在しない。イスラエル人類学会の会員はたったの100人程度だ。 そのなかでも、常勤の学術的職業に就職できているのは20人程度だ。更に、アメリカ人類学会がイスラエルに研究地域としての特別な関心を持ったことは一度もない。だから、イスラエルをボイコットしても、アメリカ人類学会の方は失うものがほとんど何もないのだ。

 世界のなかでも特に独裁的で抑圧的な政治体制においても、人類学者たちは心配することなく喜んで研究を続けることができる。しかし、もしそのような政治体制を攻撃したならば、人類学的な調査の機会を失ってしまう可能性が大いにある。だから、イスラエルをボイコットすることは都合が良い。コストを払ったり痛みを感じることなくラディカルの気分を良くするための、格好の標的なのだ。

 最後に、一番厄介な問題がまだ残っている。見て見ぬふりをされていて、人類学者の誰もが語りたがらない問題…つまり、反ユダヤ主義だ。BDSの指導者と支持者たちは、自分たちが反ユダヤ主義者だと言われたら断固として否定する。だが、それは当たり前だ。自分が反ユダヤ主義者であったり、レイシストであったり、セクシストであることを公然と認める人がこの現代に存在するだろうか?2014年の年次総会では、一人の人類学者がBDSは反ユダヤ主義的であるかもしれないという可能性を提起した。すると、彼はブーイングと野次で黙らさせられてしまった。BDSの指導者の多くはイスラエルユダヤ人が存在することを終わらせようと呼び求めているし、イスラエルに暮らす数百万人のユダヤ人たちの運命を意に介していないのだ。

 さらに、もしイスラエルユダヤ人が国家でなかったとしたら、現在のBDSのような集団に蔓延している敵意がまだ存在しているとは考えづらい(チベットを占領している中国、クリミアを占領しているロシア、ブラック・ヒルを占領しているアメリカ、その他世界中のどんな国についても、その国の大学に対して人類学者がボイコットを起こしてくれることは期待できないだろう)。BDSは本質的に反ユダヤ主義であるとは言えないかもしれない。しかし、世界中の反ユダヤ主義者・ホロコースト否認者・嫌イスラエル陰謀論者・その他あらゆる種類の変人にとってBDSが隠れ蓑になっていることは充分に明白だ。この変人たちの集まりに、新しい人類学者たちも参加したがっている訳だ。「真実っぽさ」が真実よりも優先されるこの呪術的な思考の世界においては、なによりも学者としての専門性そのものの信頼性が危機に晒されているのだ。

 しかし、話はまだ終わっていない。4月には、アメリカ人類学会の参加者全員が、先の年次総会で決議されたボイコットを承認するか拒否するかについて問われることになる。彼ら自身の専門性の誠実さと人類学の未来のためにも、今日のような事態をもたらした原因である感情主義・科学的な質の低さ・政治的駆け引きが健全にも否定されることを祈ろうではないか。

 

 

(2016.2.29 追記:「原文に書かれている著者の所属を示していない」という批判があったので、追記。著者はフェアリー・ディキンソン大学の人類学教授であり、今回のイスラエルに対する学術的ボイコットに反対する団体である Anthropologists for Dialogue on Israeli & Palestine(イスラエルパレスチナの対話のための人類学者の会)の創設者の一人である。団体のホームページは以下を参照。原文記事は、このホームページにも転載されている。

www.anthrodialogue.org

 

 また、この記事では「近年のアメリカ人類学会や人類学一般は科学的な学問であることを放棄して、政治運動となっている」「アメリカ人類学会のイスラエル-パレスチナ問題に関する特別委員会による報告は、客観的な事実ではなく政治的なイデオロギーに基づいたものだ」という趣旨の主張が行われているが、それに対しては「非科学的と言うが、肝心の論拠が記事中にない」という批判があった*3

 訳者の私としても、論拠が記事中で示されていないとは思うし、それがこの記事の問題点であるとは思う。

 以下では、この記事の著者とは違う主張や視点が書かれている英語記事・日本語記事へのリンクを掲載する。

 

 アメリカ人類学会のアメリカ人類学会のイスラエル-パレスチナ問題に関する特別委員会による報告の原文はこちら。

Final Report: Task Force on AAA Engagement on Israel-Palestine – Welcome to the AAA Blog

 また、イスラエルに対する学術的ボイコットを支持する人類学者と、反対する人類学者のそれぞれの意見が載っているサイトはこちら(反対派の意見の共著者は、この記事の著者のDavid Rosen)。

Two Views on Anthropologists and Boycotts | Anthropology-News

 日本語で読める、イスラエルに対する学術的ボイコットについて中立的・好意的な文章としては、以下の二つを紹介する。

 

note.mu

blogos.com

 

 

 

*1:訳注:この事件は当時から大問題になっていたようだ。以下の記事などで詳しく説明されている。

No Science, Please. We're Anthropologists. | Psychology Today

Anthropology Without Science

Anthropology Association Rejecting Science? – Innovations - Blogs - The Chronicle of Higher Education

*2:2016.03.02 追記: 長期計画(long-range plan)からは取り除かれたが、声明文(statemen of purpose)には残っているようだ。気になる人はアメリカ人類学会の公式サイトを確認してほしい。尚、この「アメリカ人類学会は「科学(science)」という言葉を学会の長期目標から取り除くことを投票した」という話題については後日に別の記事を訳して紹介する予定である。

Long-Range Plan - Connect with AAA

AAA Statement of Purpose - Connect with AAA

2016.03.05 追記:やっぱり、長期計画の方にも「science」という単語が残っているようだ。

*3:

https://twitter.com/AmiAmiArmitage/status/703959415674634240

https://twitter.com/AmiAmiArmitage/status/703960135274639360