道徳的動物日記

『21世紀の道徳』発売中です。amzn.asia/d/1QVJJSj

「社会学叩き」についての私見

 

 出勤前に、サクッとメモ的に書いておこう。

 

 Twitterはてなブックマークをはじめとしたネット・SNS界隈では、十年一日という感じで、相変わらず「社会学叩き」が盛んだ。

 といっても他人事ではなくて、このブログでも、過去に、社会学や社会科学の現状について批判するHeterodox Academyの記事を訳したことがある。

 

davitrice.hatenadiary.jp

davitrice.hatenadiary.jp

 また、わたしもちょっと関わっている『経済学101』でも、社会学を批判する記事が訳されて投稿されることがある。代表的なものは、ジョセフ・ヒースによる以下の記事だろう。

 

econ101.jp

 ヒースの記事における「規範的社会学」という言葉に示されているように、これらの記事で問題視されていることは、「社会学(社会科学)が、特定の道徳的規範・政治的規範に影響を受けすぎている」ことであるだろう。つまり、社会学に関わる人の多数派が左翼的であったりフェミニスト的であったり反レイシズム的な問題意識を強く抱いていることで、社会学における議論には偏りや論点先取が生じて、個々の論者は自分が取り上げようとしている問題について客観的で正確に論じることができなくなっており、学問全体にも停滞が生じている、ということである。

 具体的にいうと、クリス・マーティンの記事では、社会学の内部にイデオロギー多様性が存在しないことで「タブーの共有」が発生して、「性別間や人種間には生物学的に違いがある」などのタブーとなっている主張を支持する議論が排除される状態になっている、ということが指摘されている。また、みんなが同じ問題意識を持っているために利用可能性ヒューリスティックの問題が集団的に発生して、すでに賛同を得ている結論に合致する証拠ばかりが集められる代わりに不都合な事実が無視されている、ということも指摘されている。さらに、保守的な意見を持つ人をはじめとする「少数派」に関して非難的でないかたちで理解するための研究が阻害されている、という問題も論じられているのだ。

 ワインガードの記事では、社会科学に関わる人たちが「パラノイド平等主義的改善説」に影響されるあまり、「性別間や人種間には生物学的に違いがある」といった議論について検討することすらできない状態になっている、ということが指摘されている。そして、ヒースの記事では、社会学では「何が問題を引き起こしている”べき”なのか」という論点先取に基づいた議論が大手を振るっていることについて、詳細に指摘されている。

 いずれの記事でも共通して指摘されている問題は、「規範的主張が事実的主張よりも優先されて、事実に関する分析に歪みや偏りが生じていたり、特定の事実的主張があらかじめ排除されていたりする」ということであるだろう。

 

 ……とはいえ、このような問題は、「社会学」にのみ指摘されることではない。わたしが観察したところ、英語圏では、人類学も同様の批判を受けることが多々あるようだ。また、「ジェンダースタディーズ」や「ブラック・スタディーズ」などのクリティカル・スタディーズ系統も、批判の対象となっている。

 

davitrice.hatenadiary.jp

davitrice.hatenadiary.jp

davitrice.hatenadiary.jp

econ101.jp

 さて、日本のネットにおける「社会学叩き」の方に目を向けていると、叩いている側の問題意識はいくつかのパターンに分けられるようだ。

 上述したような、事実と規範の混同の問題が日本の社会学でも発生していると考えて、それを指摘したり、「胡散臭くない?」「おかしくない?」という疑念を表明したりする人もいる。

 その一方で、メディアでよく取り上げられる有名でスター的な社会学者の主張の問題を取り上げて、その問題を社会学全体に投影して非難する人もいる。また、「宇崎ちゃんポスター」事件をはじめとする「表現の自由」案件に絡めて、「社会学者の一部が表現規制を支持して、他の社会学者たちもそれを黙認してきたのだから、日本の社会学は内部批判のできない腐った集団だ」的な主張をしている人もいるようだ。

 わたしとしては、この種の「連帯責任」的な発想に基づく非難はとうてい支持できない。

 また、「社会学には査読がないからダメだ」「論文を書いていない人でも有名になったり権威を得たりしているからダメだ」という批判もよく見かけるところだ。しかし、「査読がない」はそもそも事実でないようだし、この種の批判は理系的な学問における評価ルールを思考停止的にほかの学問に押し付けているようで、不当であるようにしか思えない。

 そして、批判者の多くは「日本の社会学はどうなっているか」「誰がどのようなことを言っていて、それと反対のことを言っている人はどれくらいいるか」「社会学に特有の問題であるのか、それとも他の学問分野でも見受けられる問題なのか」「問題の深刻さの程度はどれくらいなのか」などなどの事実や詳細にはまったく興味もないようだ。結局のところ、ネットにおける「叩き」の大半がそうであるように、「叩いていいやつ」を見付けたら「叩く理由」やその根拠については深く考えずに批判のテンプレをコピペして集団で叩きまくる、という有様になっている。なので、現在の日本のネットにおける「社会学叩き」にわたしがノる気は、まったくない。

 

 それはそれとして、以下のツイートに示されているように、「規範的社会学」の問題は、日本でもやはり深刻であるようだ(このツイートをした人は社会学者ではなく文化人類学者ではあるのだけれど)。わたしとしては、この問題は批判されるに値する問題だと考えているし、批判された側も真剣に考えて応答すべき問題であると考えている。

 

 

 

 

社会学の方法―その歴史と構造 (叢書・現代社会学)

社会学の方法―その歴史と構造 (叢書・現代社会学)

  • 作者:佐藤 俊樹
  • 発売日: 2011/09/01
  • メディア: 単行本