道徳的動物日記

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「生命倫理学者?邪魔だからどっか行け」by スティーブン・ピンカー

www.bostonglobe.com

 

 本日紹介する記事は、心理学者のスティーブン・ピンカー(Steven Pinker)が2015年の8月1日に Boston Grobe に発表した記事。タイトル通り、生命倫理学者たちを生命医学研究の障害だと見なして痛烈に批判している記事である*1

 

 

生命倫理学者たちへの道徳的要請」 by スティーブン・ピンカー

 

 CRISPR-Cas9は新しく強力なゲノム編集技術であり、生命医学研究の倫理に対する懸念を人々に抱かせて研究の一時停止や新しい規制を呼びかける声を生じさせてきた一連のバイオテクノロジーの中でも、最新のものである。確かに、バイオテクノロジーには実に膨大な道徳的意味が含まれている。だが、その道徳的意味とは人々が心配しているようなものではないのだ。

 あなたの友人や親族のなかに、癌・心臓病・アルツハイマーハンチントン病パーキンソン病・精神分裂症などの肉体的・精神的な病気のために若くして死んだ人や何年も苦しみに耐えなければいけなかった人はいるだろうか?もちろん、いるだろう。病による犠牲(cost)は、生きている全ての人が感じている。世界の疾病負担研究プロジェクト(The Grobal Burden of Disease Project)は、若年死によって失われた生存年数や障害によって犠牲になってしまった年数を推計することで、病による犠牲を数量化しようとした。2010年には、25億人分…つまり、地球人口のおよそ3分の1の人命とその人生の豊かさ(flourishing)が、病によって失われていた。犯罪・戦争・そしてジェノサイドによる犠牲者数を合わせても到底及ばないような数だ。

  長い間、身体的な苦痛や若年死は人間という存在にとって避けられない物事であると考えられきてた。しかし、運命は人類の叡智によって変えられている。過去20年間で、病による一人当たりの生存年数の損失は35%も減っている(統計は年齢別や障害という要素で調整されている)。地理的な偏りが存在しているとはいえ、この進歩は世界的に起こっている。生存年数は全ての大陸で大幅に増えているのだ。

 この進歩の一部は、経済発展の恩恵によるものである。より豊かな国では、市民たちはより長くより健康な人生を過ごす。感染性疾患・妊娠時の疾患・新生児疾患・栄養疾患は、発展途上国においては犠牲者を出し続けているが(ただし、その数も減少している)、豊かな国では公衆衛生政策と医学的介入によってそれらの疾患の大半が排除されているのだ。しかし、進歩の全てが経済発展のついでに簡単に達成された訳ではない。豊かな国でも貧しい国でも、上述の疾患よりも厄介な全ての年齢幅における病気のために生じる生存年数の損失は、薬品・手術・疫学の進歩によって削減されてきた。治療法が安くなり、貧しい国が豊かになるにつれて、さらに多くの人々が恩恵を得られることであろう。

 つまり、生命医学研究は生命・健康・人生の豊かさの大幅な増加を保証する。愛する人が若くして病気にかかっても生きていることや、衰弱していたその人が元気になったことを想像してみればいい。あなたはどれだけ幸せを感じることだろう。…そして、数十億人もの人が永続的にその幸せを感じることを想像するのだ。この幸福が実現する可能性をふまえると、今日の生命倫理学者たちの第一の道徳的目標は一文にまとめられる。

 

 邪魔だからどっか行け。(Get out of the way)

 

 本当に倫理的な生命倫理学者であれば、"尊厳"だとか"神聖さ"だとか"社会正義"だとかの漠然としているくせに大ざっぱな原則を根拠にして、煩雑な手続きや一時停止や裁判の脅威などで研究を泥沼に引きずりこんで遅延させようとするべきではないのだ。遥か未来に生じるかもしれないとされる不確かな危険でパニックを煽ることで、現在や近い将来に利益を与える可能性のある研究を妨害しようとするべきでもない。核兵器ナチスの非道、『すばらしい新世界』や『ガタカ』といったディストピアSF、ヒトラーのクローンたちで編成された軍隊だとか人々が眼球をeBayで売りに出すようになるだとかスペアの臓器を他人に提供するために作られたゾンビたちで詰まった貯蔵庫だとかのフリークショーじみたシナリオなどと研究内容を結び付けるような、悪意のあるアナロジーでパニックを煽るべきではないのだ。もちろん、個人は特定可能な危害から守られるべきである。しかし、患者や研究対象者の安全やインフォームドコンセントを保証するためのセーフガードは、もう既に有り余るくらいに存在しているのだ。

 ある研究が慌ただしく向こう見ずに人間の状況を変えてしまう前に研究を一時的に停止してその研究が含んでいる長期的な意味合いについて考えることは、慎重な思慮であるに過ぎない、と一部の生命倫理学者たちは主張する。だが、それは幻想だ。

 まず、研究を遅らせることには多大な人的犠牲が含まれている。ある効果的な治療法の実現が一年間遅延されるだけでも、何百万人もの人々に死や苦痛や障害が引き起こされる可能性があるのだ。

 第二に、数年先の科学技術の状況についての予測はあまりに当てにならないので、その予測に基づいた政策はほぼ確実に利益よりも危害の方を多く引き起こしてしまうのである。私が子供の頃に人々が確信していた未来予想に反して、21世紀になっても都市はドームに覆われていないし、ジェトパックは実用化されていないし、メイドロボットはいないし、機械性の心臓はできていないし、月への定期飛行は行われていない。もちろん、未来に存在しない技術への無知の裏には未来に存在する技術への無知がある。WWW・デジタルミュージック・コンピュータ内蔵のスマートフォンソーシャルメディアシェールガスを採掘するための水圧破砕法(fracking)などがもたらした破壊的なまでの影響を予測できた人はごく僅かであったのだ。

 とりわけ、生命医学研究の未来を予測することは挑戦的なまでに難しい。昨日まではガンを治す魔法の特効薬として新聞の一面に載っていたインターフェロンや血管新生抑制剤なども、バイオックスやホルモン補充療法といった錬金術(elixirs)と同じように、固唾を飲んで見守っていた人たちの期待を裏切ってしまった。クローン羊のドリーが誕生してから19年経っているのに、現在の世界は、親たちが生まれてくる子供に音楽やスポーツや知的な才能の遺伝子を移植する世界からは全くかけ離れている。

 他方で、ワクチン・輸血・麻酔・人工授精・臓器移植・体外受精といった治療法は、それらが登場した当時には地獄への道につながる技術だと貶められていたが、実際には人間の幸福にとって例外のない恩恵となったのである。

 生命医学の進歩は常に漸進的であり達成するのが難しく、また、予測される危害にはその危害が実際に起こった時に対処できる。人間の身体は驚くほど複雑であり、経年劣化に弱く、若い時期に元気であるために寿命を代償にするという進化によって形作られていて、ある箇所に介入が行われたとしても身体の別の箇所で補われることを保証する入り組んだフィードバック・ループによって管理されている。生命医学研究とは、線路に沿って走り続ける電車よりも、丘の頂上へと向かって石を押し上げ続けるシシューポスに近い作業であり続けるだろう。…そして、倫理学者たちと呼ばれる連中のロビー活動は石が転がり落ちるのをわざわざ後押しするのであり、それは何よりも必要とされていないものだ。

 

 

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*1:当時、この記事は倫理学者たちの間でも話題を起こしたらしく、倫理学者からのレスポンスも多く発表されている。記事内でピンカーが行っている主張自体が倫理学で言うところの功利主義に近いというのもあって、必ずしもピンカーの主張を全否定するレスポンスばっかりではなかったりする。今回の記事に反響があればレスポンスの方も訳して紹介するかも。

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