今回紹介するのは、2014年の4月にクリスチャン・サイエンス・モニター誌のホームページに掲載された、アメリカの歴史家 ダイアン・ビアーズ(Diane Beers) へのインタビュー記事。
ビアーズはアメリカの動物愛護運動の歴史についての本『For the Prevention of Cruelty : The History and Legacy of Animal Rights Activism in United States(虐待を予防するために:アメリカにおける動物運動の歴史と遺産)』の著者であり、今回のインタビュー記事も著書の内容に関わるものである。インタビュー当時のアメリカでは水族館テーマーパークのシーワールドにおけるシャチの虐待問題が話題になっており、このインタビューでもシーワールドの問題が触れられている*1。記事の導入部分は省略して、インタビュー部分だけを訳した。
記事内では基本的にAnimal Rights Movementという言葉が使われているが、指し示されている運動の対象には狭義の意味での「動物の権利運動」だけでなく「動物の福祉運動」も含まれているので、意味合い的に近い「動物愛護運動」として訳している*2。
「馬の擁護からシャチの保護まで:今日のシーワールド論争に関して、動物愛護運動歴史家のダイアン・ビアーズへのインタビュー」
Q:アメリカでは動物愛護運動はどのようにして始まったのでしょうか?
A:動物愛護運動が始まった当初から、社会では動物に対する虐待(cruelty)が広く行われていると運動家たちは考えており、彼らは全ての形の虐待に対して様々な戦略を用いて戦いました。
動物の問題についての関心が南北戦争以前から存在していたという証拠は確かにありますが、組織的な動物愛護運動は南北戦争の直後から登場しました。
アメリカの最初の公式な動物愛護団体は1866年に設立したニューヨークのアメリカ動物虐待防止協会( American Society for the Prevention of Cruelty to Animals)ですが、同様の団体がペンシルバニアやマサチューセッツにも同時期に存在しました。
動物愛護団体の登場の背景には様々な要因がありますし、工業化もそれに含まれています。人々が自然から離れていくにつれて、動物との関係へのノスタルジアが発達していったのです。また、中産階級が台頭したことにより、ペットを飼うことが以前よりも一般的になったことも理由の一つです。
Q:19世紀の歴史では、進化論と奴隷制撤廃運動(abolition movement)のどちらもが主要な役割を果たしていました。それらは、動物の権利に対する人々の関心にも影響を与えましたか?
A:ダーウィンは、特別であり他の動物からは区別されているという立場から人間を突き落としました。人間は生命の木の一部なのであり他の生物から区別されていない、ということをダーウィンは示しました。そして、私たちは自分たちが思っているほど動物たちから離れた存在ではないということも示したのです。
奴隷制に関して言うと、動物愛護運動の創始者の多くはそれ以前から他の社会正義の問題にも関わっていました。一般的には、奴隷制に対する反対・女性の権利・刑法の改正・子供の福祉・都市改革などが社会正義運動の対象に含まれていました。
現代でも過去でも動物愛護運動に対する通説として最もよくあるものは、動物愛護運動は人間の問題に関わっておらず、むしろ反人間的な運動でさえあるというものです。どの時代の動物愛護運動について論じたとしても、この通説は全く間違っているということを私の研究は明らかにしています。
Q:時代を通じて、動物愛護運動はどのように発展していったのでしょうか?
A:一部のキャンペーンは非常な成功を収めましたが、それらの成功は特定の時代状況に関わるものでした。
例えば、最初期のキャンペーンの一つは、ニューヨーク市における使役馬の虐待を対象にして行われました。もちろん、やがて自動車が使役馬に取って代わり、使役馬はいなくなりました。しかし、そのことは使役馬の虐待防止キャンペーンの業績を傷付けません。
全体的に言うと、動物愛護運動は、ある特定の種類の虐待が新しく登場した時…映画における動物の酷使など…に発展する能力と、広範囲の虐待の問題に対処する意志と能力のどちらも持っています。
Q:PETAが行っているよう大胆な活動(in-your-face avtivism)については多くの人が知っています。初期の活動家たちは、PETAが行っているような種類の抗議活動を行いましたか?
A:アメリカ動物虐待防止協会の創始者であるヘンリー・バーグ(Henry Bergh)は、活動家たちはメディアが活動に注目するまで待つのではなく、自分たちの活動の目的を強調した挑発的な直接行為を行うことを通じてメディアをハイジャックするべきだと論じました。
バーグが最初に有名になった(そして悪名高くなった)のは、ニューヨーク市で最も混雑していた大通りに一日中にも渡る交通渋滞を引き起こしたことからです。バーグは、過剰に乗客を乗せた乗合馬車の運転手に対して、乗客を降ろして疲れ切った馬たちを解放することを要求したのです。
街の別の場所では、バーグはある船の乗組員全員を逮捕しました。ニューヨークのレストランに届けられる予定であったウミガメの輸送方法が残酷であったことが逮捕の理由です*3。
ウミガメは動物ではなく魚であるという理由で、裁判官は訴えを却下しました。しかし、バーグはその裁判に勝つことは最初から考えていませんでした。裁判に勝つことではなく、メディアを扇動することを彼は考えていたのです。
バーグの計画は成功しました。ほとんどすべての市新聞がウミガメの話題を取り上げて、ニューヨークヘラルド紙はウミガメを支持する動物たちの証人で一杯になった裁判所という愉快な風刺画を載せました。数日のうちにその風刺画はアメリカ中の新聞に転載されて、およそ50万人の読者が目にしました。
そして、アメリカ動物虐待防止協会の会員数と寄付金の金額が急増したのです。
Q:シーワールドについて起こっている議論と、動物愛護運動の初期の歴史には関係があると考えますか?
A:現代でも過去でも、複数の戦略を用いたキャンペーンを行って多様な目標を追求することは、動物愛護運動の特徴となっています。
現在と過去の違いとは、運動の方だけではなく動物虐待の方も発達しているということです。しかし、一般的には、現代の大衆は過去よりも動物虐待の問題について注意を払っており憤慨する傾向も高くなっています。
動物愛護運動は、動物に倫理的な配慮を払うことを支持する方向に人々の態度を向かわせるということに大いに貢献してきました。今日では、多くの人にとって動物は…少なくとも、全ての動物ではなくても多くの動物が…単なる財産以上の存在であるのです。
Q:シーワールドについて起こっている議論の多くでは、人間たちの娯楽のために動物を使用することは適切であるかどうかということが中心的な論点となっています。この論点については、過去にも問題になってきましたか?
A:ヘンリー・バーグは、サーカスを設立した興行師のP・T・バーナムに対して、彼の動物に対する扱い全般と彼がサーカスのために動物を訓練する方法に反対するキャンペーンを行いました*4。
例えば、サーカスでは熊の足裏の肉趾を焼くことで熊をダンスさせていましたし、ライオンを鞭打って追いやることでライオンを椅子に座らせていました。
その後、20世紀の初頭には、野性動物に人間のための芸をさせることに対して作家のジャック・ロンドンがバーグと同じくらいに憤慨しました。ロンドンは、動物たちの芝居は「冷血で、意識的に行われる故意の虐待行為」を代表していると言いました。「芸術としての虐待行為が、訓練された動物たちの世界で完璧な花を咲かせているのだ」。
ロンドンは、人間に使われる動物の問題に関わる小説を生涯に渡って書き続けました。その結果として、動物愛護団体はジャック・ロンドン・クラブを組織しました。ジャック・ロンドン・クラブは75万人という注目すべき数の会員を集めて、1925年には主要なサーカスに動物に芝居をさせることを止めさせるという注目すべき勝利を達成しました。
しかし、サーカスの側も大衆に向けてキャンペーンを行ったために、動物愛護運動の勝利は永続しませんでした。大恐慌が起こったことも、大衆が現実から逃れるための安価な娯楽としてサーカスが流行する機会をもたらしたのです。
Q:動物愛護運動の次の目標は何でしょうか?全体としての動物愛護運動はどこに向かっていると考えますか?
A:近年では、一般的には、動物愛護運動と他の社会運動は共に協働する方法を探っているように思えます。…それぞれに異なった社会正義運動が、互いの共通点を見出せる問題に向けて同盟を築いているのです。
一つの例としては、屠畜場をめぐる問題に対処するために、環境活動家と労働者の権利運動家と動物愛護運動家が力を合わせています*5。
全ての種類の抑圧と搾取は繋がっています。その繋がりを暴いて有効に対処することが社会正義運動には可能なのか?私たちはやがてその答えを見ることでしょう。
For the Prevention of Cruelty: The History and Legacy of Animal Rights Activism in the United States
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