猫や犬などのペット動物に去勢・不妊手術を行うことは日本でも一般に行われているし、動物愛護協会も各都道府県の獣医師会も環境省も支持しているようだ*1。だが、インターネットやメディアではペット動物に去勢・不妊手術を行うことへの反対意見を見かけることもある。反対の理由は様々だが、「去勢・不妊手術を行うことで性的な快楽や本能を動物から奪うのは人間のエゴだ」という理由を最も多く見かけるような気がする。動物の "自然"な状態に人間が手を加えることへの反対や、強制的な不妊手術に人間の社会問題を重ねて連想する意見などもある。
しかし、それらの反対意見には、猫や犬の安易な擬人化(猫や犬は人間と同様の性的欲求を持っているだろうという判断、動物に対する強制不妊手術と人間に対する強制不妊手術の同一視)や、"自然"を無根拠に善とする発想が含まれているなどの問題点がある。
最近読んでいた『Ethics for Everyday』という応用倫理学の論文集に載っていたゲイリー・ヴァーナー(Gary Varner)の論文「Pets, companion animals, domescated partners」に、この論点について簡潔にまとめている箇所があったので、訳して紹介する。参考文献や引用ページ数、一部の文章は省略している。
「(前略)
初期の著作で、バーナード・ロリン(Bernard Rollin)は新しい社会倫理を主張するために "テロス(telos)"という概念を広範囲に活用している*2。テロスという考え方の基本は、生き物たちはそれぞれに "進化論的に決定されて遺伝的に埋め込まれた本性、機能、その生き物にとって本質的な活動"を備えている、ということだ。ロリンの主張する新しい社会倫理は、畜産農業の慣習や正当な理由を持たない科学研究はテロスを侵害するものであると非難する。同様に、この新しい社会倫理によると、問題となる動物のテロスを深刻に侵害する方法で行われるとすれば、ペットを飼うことも認められない。…
…(中略)…第三に、飼い主の都合や虚栄心のためにペットとして飼われる動物たちの身体の一部を切断することは慣習的に行われている。ロリンが言及しているのは、犬の声帯切除、猫の爪の除去、アメリカンケネルクラブの基準に合わせるために犬の尻尾を切ることである*3。鳥の翼を切断することなど、他にも印象的な事例はあるだろう。その数ページ後にはロリンは同じ調子で去勢と卵巣除去についても言及しており、"動物はおそらく人間と同じくらいに性的な行為を楽しんでいる"ことを私たちに思い出させて、"この理由により、私はオスのペット動物に対して去勢を行うことよりも精管切除を行うことや効果的な避妊薬を開発することを支持している"と書いている。ロリンは言及していないとはいえ、類似した選択肢はメスの動物にも用意されている。彼女たちの卵管を切除するか、子宮を除去する(卵巣を除去する)かという選択だ。しかし、動物を去勢・不妊化することを犬の声帯除去や猫の爪の除去と効果的に比較することで、動物を去勢・不妊化させることは後者の行為と同じくらいに深刻に動物のテロスを侵害しているとロリンは示唆しているが、この点について私は懐疑的である。去勢・不妊化されていない動物たちが性的な交渉を楽しむことは、私も疑わない。しかし、性的な交渉をする機会を失うことが犬や猫などの動物たちにとって何を意味するかについて、おそらく人間はその損失を拡大解釈する傾向がある。まず何よりも重要なのは、犬や猫などの動物は人間のように1年中ずっと性的に活発であるのではない、ということだ。一般的には、メスの犬や猫は発情期にしかセックスに興味を示さないし、オスの犬や猫は発情しているメスが近くにいない限りは性的興奮を抱かない。また、去勢・不妊化には様々な健康上のメリットが存在している。特に猫に関して言えば、不妊化されていないメス猫が乳ガンを発症する可能性は卵巣が除去されたメス猫の7倍である。また、去勢されていないオス猫は去勢されたオス猫よりもずっと頻繁に徘徊して喧嘩を行う。喧嘩が原因の負傷のことは置いておいても、屋外(特に屋内よりも"自然な"屋外)に出ることは猫の心理を特に刺激することであると思われるので、去勢されたオス猫は去勢されていないオス猫よりも家から遠く離れて徘徊する可能性が明らかに高いが、猫が徘徊する領域には車が通る道路や他の危険が含まれている場合もあるのだ。このように、全体として見れば、去勢や不妊手術によって猫が失うものは猫が得るものに比べると少ないように思われるし、猫の場合と同様の理由で、他の動物の場合についても同じことが言える可能性は高い。だから、去勢や不妊手術が明らかに動物のテロスを侵害しているとしても、全体的に見れば、そのテロスの侵害は正当化されるものである可能性が高いのだ。対照的に、猫の爪を除去することは猫から自律を奪うことである(猫の爪を除去する場合、実際には爪だけでなく猫の各爪先の骨の一部か全てを除去している)。猫は日常的に多様な用途で爪を使用するのであり、そのことは人間に猫の爪を除去させたがるような問題も発生させてしまう(人間が猫に引っ掻いてもらいたくないと思っているところを引っ掻く、人間を引っ掻いて攻撃する、など)。だが、それらの問題には、爪の除去に比べて侵害的でない様々な方法によって対処することができる*4。同様のことは犬の声帯除去にも言えるのだ。」
要するに、去勢・不妊手術を受ける対象の動物自身にとってのメリットとデメリットを比較して、メリットの方が大きいので動物に対する去勢・不妊手術は認められる、とヴァーナーは論じている。
ヴァーナーの論文はペットとして飼われる個体について言及して論じられているが、ペットではない野良猫に対して行われる去勢・不妊手術には、生まれてくる野良猫の数を減らすことで猫と地域住民との間の問題や環境問題などを抑制するという目的もある(また、ペットとして飼われる動物に対する去勢・不妊手術も、多頭飼育崩壊を防いだり飼いきれずに動物が捨てられることを予防するという面が強い)。また、かなり高い確率で不幸で悲惨な生涯を過ごすであろう野良猫が新たに生まれてくるのを防いで、猫を助けるためのリソースを現在生きている猫や未来に生まれてくる他の猫に割くことを可能にする、という側面もある。つまり、去勢・不妊手術の対象となる当の動物自身にとってのメリットに、現在・未来に生きる他の動物や人間にとってのメリットが加わる訳で、去勢・不妊手術を支持する倫理的根拠はますます強くなるだろう。もちろん、「悲惨や不幸であっても生きていることそれ自体が善であり、未来に生まれてくる存在の数を減らすのは悪である」といった主張を認めれば話は別だが、私がこれまで学んできた限りでは、そのような主張を支持する倫理学的な根拠や理由はほぼ無いように思われる。
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関連記事:
*1:適当に参考サイト:
飼い主のいない猫の不妊去勢手術助成事業|公益財団法人 日本動物愛護協会
環境省 _ 人と動物が幸せに暮らす社会の実現プロジェクト | アクションプラン
*2:
Animal Rights & Human Morality
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*3:アメリカンケネルクラブは、純犬種の管理や認定を行っている団体であるようだ
American Kennel Clubの意味 - 英和辞典 Weblio辞書
*4:日本語で、猫の爪の除去の問題点について説明しているページ