道徳的動物日記

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「片目の男」(読書メモ:『ノージック 所有・正義・最小国家』)

 

 

 政治哲学者ロバート・ノージックの思想について、『アナーキー・国家・ユートピア』を中心に解説する本。

 ノージックといえばリバタリアニズム(自由尊重主義)を正当化する思想を提唱した人というイメージだが、この本の著者のジョナサン・ウルフは、ノージックの提唱するリバタリアニズム自体にもノージックの議論の方法にも、最終的には賛同しないというか否定的な評価を下しているような。その一方で、権利(自己所有権)に基づくリバタリアニズムの主張は一定の説得力や直感的な正しさが存在していて多くの人が魅惑されること、また権利という単一の価値に基づいて政治哲学の理論を打ち立てるという離れ業を成し遂げたノージックの功績については好意的な評価がなされている。最終ページでジョン・スチュアート・ミルによる「片目の男」という比喩を引用しているところ……一つの価値だけを重視する視野狭窄な議論をしているからこそ、鋭くて突き詰めた議論ができるということ……が、著者によるノージックの評価として印象的かつわかりやすい*1

 また、ノージックの議論の問題についても、最終ページ近くで(ジョン・ロールズの『正義論』と対比させながら)わかりやすくまとめられている。

 

ロールズ主義的な観点からすると、自由尊重主義の失敗は、構造の内部から正当な期待の原理を取り出して、これらの原理に従って構造の方が形作られるべきだと主張した点にある。すなわち、ロールズにとって権原の主張は全て、先行する正義の構造との関係で相対的なものなのである。何物も「絶対的に私のもの」ではなく、ただ「そのルールによって私のもの」であるにすぎない。自由尊重主義は権原の主張のこうした本質的な相対性を見落としている。こうして我々は、権原原理の大きな魅力を認めることはできるが、それが正義に関する真理の深底を極めてはいないと主張するのである。

(p.234)

 

 この本の構成としては、第1章から第4章までは徹底して『アナーキー・国家・ユートピア』の内容の解説とノージックが行なっている議論や主張の吟味と批判、また関連する思想家やノージック批判者たちの議論や主張とそれに対する吟味と批判が行われる。ここで行われている議論はなかなか細かく専門的であり、ノージックの議論に感銘や衝撃を受けた人か専門的な哲学者にとっては興味深かったりタメになったりするだろうが……わたしはそうじゃないのであまりノレなかった。『アナーキー・国家・ユートピア』そのものはほとんど読んでいないのでアレなんだけれど*2、権利や権原という概念がピンとこないのとリバタリアニズム自体を元から穿った目で見ているのとが合わさって、なんか興味のないフィクションの話や神学論争を延々とされている感を抱いてしまった。

 ちなみに、これはごく基本的なことだが、ノージックの議論の特徴は、ミルトン・フリードマンフリードリヒ・ハイエクなどによる、効率性を強調した「経済学的」なリバタリアニズム擁護ではなく、あくまで権利一点張りでリバタリアニズムを主張したところにある。……つまり、効率が悪かったり人々の福祉・効用に反したりするとしても、それでも最小国家以上の国家は権利侵害であるので認められないということだ(逆に最小国家は必要だと言って純粋な無政府主義者に対する反論が行われているところもノージックの特徴)。効率や福祉・効用を大事にしたいと思っているわたしとしてはむしろ「経済学系」のほうのリバタリアニズムにまだしも説得力を感じるんだけれど、まあ大半の人は権利を大事に思っているからノージックのほうに説得力を感じるべきだろう(「自己所有権」という考え方自体の直感的な正しさや否定しきれなさはわたしも認めるところだ)。

 なお、第5章の「ノージックと政治哲学」ではノージックによる他の思想家の議論に対する批判が紹介されているのだけれど、こちらは鋭いうえにテンポ良くてサクサクと読めるのでおもしろい。とくに「リバタリアニズムは価値多元主義を保証するし、ロールズ主義者や共産主義者が自分たちで寄り集まって自分たちのコミュニティや国家を築くことも否定しないよ(それに対してロールズ主義や共産主義リバタリアンが自分たちの自分たちのコミュニティや国家を築くことを許さないよね)」という「ユートピアの枠」論は盲点を突かれた感じで印象的だった。

 

事実、対抗する政治哲学がみな重大な批判を避けられないことを、ノージック以上に示した者はほぼ皆無である。また、ノージックの重要性の大部分は、教条的なまどろみから人々の目を覚ませた点にある。

(p.195 - 196)

 

 上記の賛辞は、『アゲインスト・デモクラシー』を執筆したリバタリアンであるジェイソン・ブレナンなんかにも当てはまるだろう。……ブレナンの民主主義批判は鋭くかつ強烈だが、ブレナンの提案するエピストクラシー(選良政治)は微妙っぽいし賛同できない。そもそもどんな哲学者にとっても自分の主張を提示するよりも他人の主張を批判することのほうが簡単だし上手くできるということは本書のなかでも釘が刺されているのだが、それにしてもリバタリアニズムは規範理論としてではなく批判理論(誤用)として用いたときに鋭く鮮やかになるような気がする。

 

 また、森村進による「訳者解説」は50ページ近くとかなりの分量がある。リベラリストマルキスト寄り?なウルフと異なり森村はリバタリアンだということもあって、ノージックにも好意的だ。本書では基本的にノージックに対する肯定よりも否定が多くなるので、本文を読み終わった後に訳者解説で改めてノージックが擁護されることで、総合的にはバランスのいい視点が得られることになる(ただし、晩年のノージック共同体主義に寄ったことなどについては本文以上に手厳しい批判がされているけど)。

*1:「片目の男」の比喩はミルの『ベンサム』から引用されている。

*2:たしか院生時代に図書館で借りたはずなんだけれど内容はまったく覚えていない