レイプの遺伝子『暴力の解剖学』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
前の記事に続けて同じブログを取り上げることになってしまうが、上記の『暴力の解剖学』の書評も、読んでいて気になった。
同様に、「暴力」を定義していないのも気になった。人や物への破壊行為なのか、無差別殺人からちょっとした嘘、会社の備品のちょろまかしまで、反社会的行為として幅広く適用されている。自分の使いたい文脈に応じて、「暴力」を伸び縮みさせていることが、非常に危うい。
極端な言い方をすれば、戦場において敵に対する暴力は英雄的行為としてみなされるが、平和な公園では悪として扱われる。隠れた前提「暴力=悪」という価値観により、盗みや嘘も研究対象として入りこんでしまう。
私としては、たしかにタイトルには「暴力」という言葉が使われているが、副題に「神経犯罪学への招待」と書かれている通り、(現代の基準における)「犯罪」全般が対象の本だと理解して読んだ。だから、「暴力」の定義にこだわる必要はないのではないか、と思う。
この書評に関しては、翻訳者の高橋洋さんが Twitterで苦言を書かれていた。上記の書評は200以上のブクマが付くなど、広く読まれているようであるので、それに対する反論も読まれるべきだと思うから、紹介させてもらう。
レイプの遺伝子『暴力の解剖学』なんて記事があった。これはちょっとひどくないかい。確かに冒頭にレイプの話はあるけど、これではまるでこの本が「レイプの遺伝子」をテーマとした本に思える。
— 高橋洋 (@hj7htkhs) 2015, 5月 25
ちなみに「利己的な遺伝子」うんぬんについては、本人に聞いてないし、どれくらい文字通りとっているかは私めにもよくわからない。でも、「レイプの要因の説明に進化論が役立つという点は認めてもよいのではないか」とは書かれているけど「レイプ遺伝子が存在する」とは書かれていないはずだが。
— 高橋洋 (@hj7htkhs) 2015, 5月 25
@hj7htkhs PETの「正常」が「比較するために撮影された殺人犯ではない人の、平均をとったもの」であることは読めばすぐわかる。だから対照群のなかに殺人犯の脳に近い人がいるのは当然。統計処理ってそもそもそういうものでは? だから勿論この本を規範的にとることが危険なのはその通り
— 高橋洋 (@hj7htkhs) 2015, 5月 25
@hj7htkhs こういうことを言うのも、私めの訳書に限らず、日本語で書いていれば原著者が読む可能性はまずないと踏んでか、結構影響力のある人のブログで、明らかに著者に対する理解や敬意を欠いた記事をときに見かけるからです。基本的に著者に言えないようなことを好き勝手書くのはいくない
— 高橋洋 (@hj7htkhs) 2015, 5月 25