道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

スローガンとしての「インターセクショナリティ」

 インターセクショナリティ(Intersectionality)という概念については以前にも批判的な記事を訳したのだが、英語圏の学者たちのTwitterなどを見ているといまだによく出てくるので、ちょっと追加で記事を紹介してみることにした。

 

www.insidehighered.com

 

 この記事の題名は「インターセクショナリティの概念は変異しており崩壊している(The concept of intersectionality is mutating and becoming corrupted)」で、英米文学者のケイリー・ネルソン(Cary Nelson)という人が書いたもの。ネルソンはイスラエルに対するアカデミック・ボイコット運動反対する文章を集めた論集を編集しているようであり、イスラエルに対するボイコット運動(BDS)を支持するジュディス・バトラーを批判するかなり長文の記事を公開している*1。ここで紹介する記事も反イスラエル運動に絡んだ内容だ。

 ネルソンによると、「インターセクショナリティ」という概念は1960年代や70年代から学問において使われてきたもので、ジェンダー・人種・階級が交差(intersect)する立場にある黒人女性は(性差別と人種差別や階級差別との)二重の差別を受けている、ということを理解するのに有用な概念であったそうだ。当時は「白人女性も黒人女性も、女性差別を受けているという点では一緒だろう」ということで、学問において女性のアイデンティティや女性の受ける差別などを分析する上では女性たちの間の人種や社会的状況の違いがあまり考慮されてこなかったのが、「インターセクショナリティ」という概念の登場によって分析を深めることができるようになった…ということらしい。

 だが、近年において「インターセクショナリティ」という概念は政治的に用いられるようになり、過去のものとは全く別物になった、とネルソンは論じる。例に挙げられているのは、2014年にミズーリ州ファーガソンで黒人青年が白人警官に射殺された事件イスラエル-パレスチナ問題とを結び付けて、「ファーガソンからガザへ」「ファーガソンからガザへと正義を」というスローガンの下で行われた運動だ。「一つの社会内における不正義、差別のシステム、抑圧、支配は交差している」と前提するインターセクショナリティ理論は、人種や階級やジェンダーなどの差別問題を理解することについては現在でも有用であるし、異なる社会間で起こっている差別問題を比較するうえでも役に立つ、とネルソンは認める。しかし、ファーガソンパレスチナの問題が"交差している"という主張は全く怪しい、とネルソンは指摘する。一国内で起こっている不正義は結び付いているという主張に比べて、地球上の異なる場所の異なる政治体制で異なる文脈で起こっている差別問題が結び付いているという主張は、ずっと多くの説明が必要となるからだ。実際にはファーガソンパレスチナの問題の結びつきは政治的なマニフェストのなかにしか存在しておらず、インターセクショナリティという概念は陰謀論のように機能している、とネルソンは論じる。もはやインターセクショナリティという概念は分析のために用いられるのではなく、異なる政治的目標を都合良く結び付けるための戦略として用いられているのである。

 インターセクショナリティが理論からスローガンへと変貌したことを示す例として、ネルソンは『自由とは絶えざる戦い(Freedon Is a Constant Struggle)』を著した学者兼活動家のアンジェラ・デヴィビス(Angela Davis)や哲学者のコーネル・ウェスト(Cornel West)の文章を挙げている。デイヴィスにせよウェストにせよ、インターセクショナリティとは「自由のための戦い」や「暴力、白人の特権、家父長制、政府の力、資本主義市場、帝国主義的な政策などのダイナミクス」への反対へと人々を突き動かすための概念だと論じているのだ。しかし、理論でなくスローガンになってしまったために、「異なる時間に異なる場所で起こった二つの差別の間には、本当に繋がりがあるのか」ということが検証されることはなくなってしまい、「二つの問題は繋がっている」という前提に疑問を投げかけることも許されなくなってしまったのである。学者でもあるデイヴィスが政治的スローガンとしてのインターセクショナリティを学問や教育の場で濫用していることを、ネルソンは懸念する。現在起こっている問題を分析して正確な知識や理解を得るよりも、その問題に関する特定の政治的立場にコミットすることの方が優先されてしまうからだ。

 現在のアメリカに黒人差別が残っているのは事実であるが、実際問題として、パレスチナの問題に関わることでアメリカの黒人差別について理解が深まったりその問題が解決する筈がないだろう、と記事の後半でネルソンは指摘している。また、記事の冒頭ではアメリカ女性学会(National Women’s Studies Association)がインターセクショナリティを理由にして2015年にイスラエルに対するアカデミック・ボイコットを決議したことについて取り上げて、アラブの女性が晒されている暴力について無視して「中東にはアメリカと同程度のジェンダーの平等がある」という虚偽の判断をアメリカ女性学会が行ったことについて批判している。…「全ての抑圧は交差している」とアメリカ女性学会は主張したが、ある問題に対して他の問題よりもずっと交差している問題というが明らかに存在するだろう(たとえば、パレスチナ問題よりもアラブ圏の女性差別問題の方が、アメリカの女性差別問題とはまだしも関連性が高いだろう)というのがネルソンの言い分であるようだ。

 

 …あまり付け加えることはないが私の雑感を書いてみると、「ある差別や不平等に反対するなら、論理的に、別の差別や不平等にも反対しなければならない」という規範に関する主張は真っ当であると思うが(例:「人種に基づいた差別に反対するなら、生物種に基づいた差別にも反対しなければならない」)、「ある差別や不平等は、別の差別や不平等と結び付いている」というのは規範ではなく事実に関する主張なので、そこで主張されている事実が本当に正しいかどうかは問われるべきだろうと思う。事実上の結び付きがないとしても論理的・倫理的にどちらの差別や不平等にも反対するべきだと主張することは可能であるし、根拠が怪しかったり明らかに虚偽な「結び付き」を主張するという傾向はよくわからない(ナオミ・クラインが気候問題とその他の社会問題を全く根拠なく無理矢理に結びつけていることはジョセフ・ヒースがあれこれやで指摘しているし、動物倫理の界隈でもたとえば動物の問題と障害者の問題とのインターセクショナリティを主張している人もいるのだが、これもスジが悪いと思う)。

 

 

 

 

監獄ビジネス―グローバリズムと産獄複合体

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*1:イスラエルに対するアカデミック・ボイコット運動を批判する記事としては、以前にもあれこれやをこのブログで紹介している