ネットサーフィンをしていたら見つけた、ヘレン・プラックローズ(Helen Pluckrose)という人文学者による、『How French “Intellectuals” Ruined the West: Postmodernism and Its Impact, Explained(フランス知識人はいかにして西洋を台無しにしたか:ポストモダニズムとその影響を解明する)』という記事について、軽く紹介しよう*1。
この記事の前半にて、著者のプラックローズは主にジャン=フランソワ・リオタール、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダの思想について、説明しながらポストモダニズムの思想に含まれる特徴について論じている。上記の論者に共通して挙げられるのが「すべての知識や認識は相対的で等価なものであり、科学的認識が他よりも客観的な認識であるとはいえない」「科学的で客観的な認識を是とする発想は近代主義的なものであり、西洋中心主義や男性中心主義が背景にあり、女性や非白人などの弱者に対する抑圧につながる」という相対主義及び反近代主義・反啓蒙主義である。そして、科学的・客観的な認識も個人的・主観的な認識も等価であると主張するポストモダニズムは「これまでは近代主義や啓蒙主義によって貶められて抑圧されてきた弱者の認識を、むしろ科学的な認識や客観的な認識よりも優れたものとして扱おう」という発想をもたらす。このような科学的・客観的な認識への反対と主観的な認識の称賛が生み出すのは、学問や議論において事実やエビデンスを軽視して個人の意見や感情を好き勝手に主張すること(アンチ-エビデンス主義)であり、また発言者が属するアイデンティティを重視するアイデンティティ・ポリティクスであるのだ。
ソーカル事件や『知の欺瞞』で有名なようにポストモダニズムが反科学的な思想であるのは周知の話であるのでアンチ-エビデンス主義であるのも当然のことだが、アイデンティティ・ポリティクスとポストモダニズムとの関係はわかりづらいかもしれない。プラックローズがまず指摘しているのは、特にフーコーのような社会構築主義・文化構築主義の思想は人間に備わる主体性や自律を軽視して、人間は自分が属する階級や人種や性別などの立場や属性とそれに関わる権力関係に依存する存在である、という発想をもたらすということだ。このことは、不利であったり少数派である属性を持った人々はその人の自由意志に関わらず常に被害者であり抑圧される存在なのであり、そして有利であったり多数派である属性を持った人の行動にはその人の意思に関係なく必ずや権力が反映されておりそのような人は本質的に弱者を抑圧し加害する存在である、という主張につながる。また、客観的で普遍的な見方やエビデンスは存在せず、科学的手続きや民主主義的手続きを経たものであっても多数派の意見は少数派の意見と等価であるという考え方は「現在主流とされている意見や認識は多数派の利害や権力が反映されたものに過ぎないし、少数派である私がそれに従う理由はない。どんな意見や認識も等価なら、私は自分が属する少数派の利害に基づいて利害や認識を決めよう」という発想をもたらして、人々の間の意見の一致や建設的な落とし所を成立させることを不可能にして、民主主義の理念とは相反するような政治状況を生み出してしまうのだ。
これに関連するのが、理性や合理的な思考や事実という概念を疑問視・軽視するポストモダニズムは人々の感情を過大評価する、ということだ。たとえば、あるテクストの意味はそのテクストを書いたり発言した者によって決められるのではなくそのテクストを見聞きした者が自由に決めることができる、とデリダは主張したが、このような主張は悪意のない些細な発言や物事ですらも攻撃であり差別行為であると見なす「マイクロアグレッション」の概念に関連している。また、スティーブン・ピンカーなど数多の論者が主張しているように、データを見れば現代は歴史上で人種差別や性差別や同性愛差別が最も少ない時代であることは明白であるのだが、反エビデンス主義を唱えるポストモダニズムでは事実に関わらず自分が信じたい情報だけを集めてそれを信じる確証バイアスという認知の歪みに対策することができないので、事実に基づかない非合理的な悲観主義を蔓延させてしまうことになる。そして、個人の経験や感情には客観的なデータと等価であるかそれ以上の価値があるという発想は、学問的議論においても個々人が自分の感情や経験に基づいて好き勝手に発言することを許容するという結果を生み出してしまう(いわゆる「じぶん学」の問題とも関連しているかもしれない。また、先日に紹介した教育学者のジョアンナ・ウィリアムズも、特にフェミニズムの業界においては理性的な討論よりも感情や経験の共有が重視されておりそれに異を唱える者は排除される傾向がある、と著書の中で論じている)。
現状で是とされている物事を破壊し、多数派を否定して少数派を称賛するポストモダニズムの主張は一見するとラディカルで革命的なものに見えるが、現在では啓蒙主義を支持する多数派は 「人種差別や性差別は否定されるべきであるし、全ての人には平等な権利や自由が保証されるべきである」と考えていることを踏まえれば、ポストモダニストの行為は左派やリベラルではなく右翼を利することになるのは明白だ。近代的なものである以上は西洋中心主義的で男性中心的であり弱者の抑圧につながるはずだとして普遍的人権や自由民主主義などの規範を否定しながらも、それに代わる新たな規範をまともに提示することのできないポストモダニズムが真面目に実践されたとすれば、世の中はかなり悲惨なことになるだろう。また、昨今の欧米では左派の社会活動家が自分のアイデンティティや感情に基づいて他者の言論の自由や学問の自由を否定していること、活動家たちは異なる価値観の存在を許さない権威主義的でドグマ主義的な存在になっていることはよく指摘されるが、このような傾向もポストモダニズムによって助長されてきたのだとプラックローズは論じている。人文学や社会科学の諸々の学問分野においてもポストモダン理論を主張する人々は増殖しており、権威や真実を否定するはずのポストモダニズムが一つの権威と成り果てて他の思想や考え方を抑圧している、ともプラックローズは主張する。
自然科学の理論にも「ヨーロッパ中心主義」や「男性中心主義」を見出すポストモダニズムは、「西洋的な自然科学では物事を知るための様々な見方の一つに過ぎないし、科学にはマジョリティの権力が反映されていて少数派を抑圧する。科学ではない、新しい物事の知り方を打ち立てよう」という主張を生み出すことになる。例えば南アフリカでは進歩的な学生たちが「科学は植民地主義の産物であるから否定すべきだ」と主張して、魔術などを代替案として持ち出しているそうだ。もちろん、人々がいくら「新しい見方」を提唱したとしても自然現象や自然の原則に変化は生じない訳だが、自然科学の知識に対する人々の信頼が低下することは、反ワクチン運動や地球温暖化対策の遅れなどの事態を生じさせて人々や環境に対して深刻な危害をもたらすことになる。また、社会学や文化人類学やジェンダー学などでは道徳や規範に関する相対主義だけでなく科学的知識や認識に関する相対主義までもが普及しており、その分野に関連しているはずの自然科学的な知識が無視されるか貶められるようになっている。史料に基づいて研究を行う歴史学者も、現在の倫理観による問題意識が研究に反映されていないと見なされれば「女性や人種マイノリティの無力さを考慮していない」「差別の問題を軽視している」などとポストモダニストから抗議されたりする。
だが、ポストモダニズムの危険は文系学問や社会正義活動に限定されない。先述したように、客観的な認識は存在しないとして物事を好き勝手に解釈することを称賛するポストモダニズムの思考は、確証バイアスや動機付けられた推論など、人間の認識に生来的に備わっている問題を助長させてしまう傾向があるのだ。
そして、ポストモダニズムによってもたらされた相対主義やアイデンティティ・ポリティクスは、昨今では右翼によって利用されるようになった。そもそも右翼の思想というものは昔から反合理主義的で非科学的であり、人種や性別などの属性を重視するものであったのが、啓蒙主義や近代主義はそのような発想を否定していた。だが、ポストモダニズムが科学や啓蒙を貶めたおかげで、右翼の主張が大手を振るうようになったのだ。著述家のケナン・マリク(Kenan Malik)は、「オルタナ真実」という概念を発明したのはドナルド・トランプやそれに連なる反動主義者たちではなく、真実は人や文化によって変わるという相対主義を唱えたフーコーやジャン・ボードリヤールといったポストモダニストたちである、と指摘している。『ポストモダニズムなんてこわくない(Who’s Afraid of Postmodernism?: Taking Derrida, Lyotard, and Foucault to Church)』を著したジェームズ・スミス(James Smith)も、「ポストモダニズムを真面目に実践しようとしたら、事実ではなく信仰に従わなければならない古代や中世の時代に逆戻りしなくてはならなくなる」と指摘して、ポストモダニズムと反動的・権威的な思想との共通点を論じている。
記事の結びにて、ポストモダン左派の言説を排除して合理的なリベラリズムへと立ち戻ることを、プラックローズは左派たちに呼びかけている。人々を人種やジェンダーに基づいて判断したり評価したりするアイデンティティ・ポリティクスに対抗するためには、自由と平等を重視するリベラリズムの原則を一貫して支持することが求められる。右翼の勢いを止めるためには、彼らを「人種差別者」や「性差別主義者」と批判したり彼らの言動は暴力であると非難するだけでなく、右翼の支持の背景にある移民政策やグローバリズムの問題などについての解決策を理性的に見つけなければならない。現在の(欧米における)危機をもたらしているのは左派と右派の対立ではなく、理性と非合理性の対立、普遍的なリベラリズムと偏狭な部族主義との対立なのである。右翼とポストモダニストの主張する選択肢よりも、啓蒙主義と科学革命と近代に価値を見出す左派の選択肢こそが優れているということを示さなければならないのだ…というのがプラックローズの結論である。
「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)
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*1:本当はもっと長い紹介記事を書いていたのだが、操作ミスのために3時間かけて4000字書いた文章が消えてしまったので、気力が尽きてこうして短い記事を書くことにした