道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

読書メモ:『ポジティブ心理学の挑戦 - "幸福"から"持続的幸福"へ』

 

ポジティブ心理学の挑戦 “幸福

ポジティブ心理学の挑戦 “幸福"から“持続的幸福"へ

 

 

 著者のセリグマンはポジティブ心理学創立者の一人。ポジティブ心理学の成り立ちや著者自身の個人的エピソードについての思い出話・ポジティブ心理学の理論や知見・教育や軍隊の場などにポジティブ心理学を応用した結果などが、とりとめもなく書かれている。全体的に本の構成がグダグダというか焦点が見えない感じ。訳もイマイチ良くなくて、読んでいてけっこう辛かった。

 

・いちばんウンザリした箇所は、コミュニケーションにおける反応スタイルを「積極的/受動的」と「建設的/破壊的」に分類して、他人との関係を良好に自分自身のためにも「積極的-建設的」なコミュニケーションをこころがけましょう、と論じているところ。要するに他人の話にいちいち大げさに反応して具体的なところや些細なところまでに注目しながら褒め称えましょう、ということだ。

 「…このテクニックは自力で継続していける。だが、それはほとんどの人にとって自然に習得されるものではない。勤勉に努力しながら、それが習慣化されるまで訓練を重ねていく必要のあるものだ」(p.95)とされているし、実際に「積極的-建設的」なコミュニケーションを行なっている人は意識的に努力してそうしているのだろう。ビジネスの場などでは、人間関係を円滑にするための努力をすることは讃えられることかもしれない。しかし、何につけても「積極的-建設的」なコミュニケーションをしようとする人と話していると疲れてしまうことはあるし、本人自身の考えや性格から出た反応ではなくテクニックとしての型通りの反応を返されてしまうというのも、浅薄だったり相手の顔が見えずに不気味だったりするものだろう。

 他にも、ポジティブ心理学では「感謝」することがやたらと強調されるし、他人との関わり方についてあれこれと求められる。本人自身の社会的成功や精神的健康のためには必要なテクニックかもしれないが、自身の成功や健康のために他人への反応や向き合い方を理論に従って変えるというのも、他人を目的ではなく手段と見なしている感があって不道徳的な気がする。

 

・「ポジティブな発言対ネガティブな発言の比率が 2.9:1 を上回る会社では経営状態が良好で、その比率を下回る会社では悪化」(p.122)というのも、それはそうなのかもしれないが、そのためにポジティブな発言や態度を強要されるとしたら労働者としてはたまったものではない。こういう箇所を読んでいると、ポジティブ心理学や資本主義や新自由主義に利用される、という懸念も妥当ではないかと思えてしまう。

 

セリグマンはGDPウェルビーイングや幸福が考慮されていないことを批判しているが、このテの批判は的外れである、ということがダイアン・コイルの著作『GDP:小さくて大きな数字〉の歴史 』で触れられていた。また、群淘汰や利他的な行動の遺伝性など、本業の進化生物学者たちの間では否定されがちな主張を好意的に取り上げている場面もある。ここら辺は要注意だ。

 

先日の記事で取り上げた『ポジティブ病の国、アメリカ』の著者のエーレンライクはセリグマンやポジティブ心理学一般を批判しているが、こちらの本ではセリグマンがエーレンライクに反論を行なっている。

 エーレンライクは「ポジティブで笑顔になれば健康になってガンにもならなくなる、なんて詐欺みたいな主張だ」という批判を行なっていたが、セリグマンによると、楽観性は実際に健康や発ガン率に影響を与えることは様々なエビデンスが証明している。

…エーレンライクは、あらゆる研究を紹介することなく、一部の研究だけを「つまみ食い」して本を書いた。…(中略)…自分にとって都合のよい部分だけを「つまみ食い」するというのは、抽象的に言えば知的不誠実さの一つの現れである。だが、実際の生死に関わる問題としては、「つまみ食い」によって、ガンで苦しむ女性が楽観性と希望を持つことの意義を退けてしまうのは、危険な報道上の不正行為だと私は考える。(p.363)

 

セリグマンはエーレンライクの「…人間のウェルビーイングが、階級や、戦争や、お金といった外部性だけにしたがう…(中略)…マルクス主義的な世界観」(p.419)を批判するし、また、人類の歴史や進歩について悲観的な見方を吹聴するポストモダニストにも手厳しい。私も、エーレンライクによるポジティブ心理学批判や文明批評には左翼的イデオロギーの影響を感じた。スティーブン・ピンカーハンス・ロスリングのようにデータや理性を重視してポジティブな世界観を唱える立場と、思想やイデオロギーを重視してポジティブな世界観を「おためごかし」と批判する左派の対立、という構図がここでも見られる。