道徳的動物日記

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読書メモ:『リベラルとは何か 17世紀の自由主義から現代日本まで』

 

 

 

ワークフェア競争国家

 

「ワシントン・コンセンサス」は、「底辺への競争」論とともに、新自由主義が世界を席巻しつつあることの象徴として語られてきた。しかし、これらは1990年代以降の先進諸国の実態とは必ずしも対応していない。すでに第1節で見たとおり、先進国の多くでは、税収も公的社会支出も減っておらず、「底辺への競争」は見られないからである。

さらに、「ワシントン・コンセンサス」もそのままあてはまるかどうか疑問である。たしかに、1980年代のアメリカやイギリスでは新自由主義的改革が試みられた。しかし、どちらの国でも「小さな政府」は実現できなかった。国内で格差が広がると、新自由主義への反発が強まり、1990年代に入ると政権交代が起こった。経済界、金融財政エリートの意向だけでは、新自由主義への同意を調達しつづけることはできなかったのである。

1990年代以降、新自由主義を部分的に修正し、より広い社会層の同意をもたらすことに成功したのは、アメリカの民主党、イギリスの労働党などの中道左派政党だった。これらの政党は従来の支持層、つまり労働者やマイノリティ層から自らを切り離し、グローバルな経済競争に直面する産業セクターで働く中産階級を支持層へと組み込もうとした。こうして登場したのが、グローバルな経済競争に積極的に適応し、人びとを就労へと駆り立てるような新しい国家像、すなわち「ワークフェア競争国家」だった。

 

(p.83 - 84)

 

ワークフェア競争国家の特徴は以下の三点。

 

 -国際競争に打ち勝つための経済的・社会的な条件を国家が積極的に作り出す。

-貧困層・低所得層に対する福祉が、無条件な「市民としての権利」ではなく「就労という義務」に結び付く。

-国家は民間アクターと協力する(多国籍企業との協力や、公共サービスへのNGOや民間企業の参入)

 

ロールズ関連

 

新自由主義を唱える論者が、個人の自由や選択の自由を重視したのは、それが全体の進歩や繁栄につながると考えたからだった。新自由主義が実践に移されると、経済的な繁栄が至上の目的とされ、その目的に向かって個人が動員されるようになった。一方、ロールズによれば、すべての個人は尊厳を持ち、その自由な意思が蹂躙されてはならない。個人の自由の保障は全体の繁栄に先立つ。

 

(p.94)

 

新自由主義」を批判する議論のご多分に漏れず、藁人形論法っぽい物言いだと思う(新自由主義者も個人のことは重視しているけど「自由」の捉え方がロールズとは異なるだけ、かもしれないじゃん)。

 

一見すると「財産所有の民主制」は、福祉国家と変わりがないように見える。しかし、両者の間には根本的な違いがある。福祉国家の本質とは、事後的な分配である。

[…中略…]

一方、財産所有の民主制は、事後ではなく事前の分配を行う。つまり、すべての人が人生の出発点において人生の目標を選び、それを自由に追求できるような条件を整備する。そのためには形式的な機会均等や、相続税贈与税の設定だけでは不十分である。人的資本、つまり知識、技能、教育水準を平等にそろえるため、恵まれない人により多くの教育投資が行われなければならない。もっとも重要なのは、「自尊」の感情をすべての人に保障することである。自尊の感情とは、意義ある人生の目標を選ぶことができ、社会の中でそうした目標を追求し、達成できる能力を自分が持っていると信じられることである。こうした意味での自己自身への信頼の感情こそ、自律を実現する鍵であり、「もっとも重要な基本財」とされた。

 

(p.100 -101)

 

…[エリザベス・]アンダーソンの議論は、この「自尊」の中身をさらに明確にしたものととらえることができる。各自が自分の人生の主人公となり、自らの人生を選択できるようになるためには、就労につながる知識や技能が保障されるだけでは不十分である。民主的社会における市民として、集合的な意思決定に平等に参加できること、そのために必要な知識・情報、自己表現能力、公共空間への実効的なアクセス等が保障されることが必要である。これによってはじめて、個人は自尊の感情を持てるようになる。

 

(p.106 - 107)

 

 以前にも思ったが、政治思想家たち(ロールズやアンダーソンにサンデルなど)は「社会制度」や「政治参加」が人々の「自尊」にもたらす効果を過大評価する傾向があるように思える。政治思想家たちは政治のことが好きで政治を大事に思っているから政治参加できないと自尊の感情がなくなるだろうけれど、わたしもわたしの周りの人たちも、ほとんど政治参加していないけれど自尊の感情を保てている。また、社会制度が人々の感情に影響するという点はある程度までは同意するけれど、人間は環境に影響される生物であると同時に環境から切り離された内面を持つ生き物でもある。それに、「社会制度が人々の感情を救う」と政治思想家が豪語することにはなんだか烏滸がましさも感じる。

 

●インサイダーとアウトサイダー、新しい社会的リスク

 

…現代の先進国では、働く人の間で「インサイダーとアウトサイダーの二分化」が進んでいる。安定した正規労働に従事するインサイダーは、雇用保護、社会保障の維持を求める。一方、不安定な労働に従事するアウトサイダーは、政府による就労支援、再分配の拡大を求める。このようにインサイダーとアウトサイダーは異なる政策選好を持っている。

 

(p.108)

 

「インサイダー/アウトサイダー」という軸に加えて、グローバル化とともにコスモポリタニズムや普遍的人権論を背景とする「リベラル」と伝統的な共同体への郷愁を軸とする「保守」という文化的対立の軸も存在。

 また、工場労働者やマニュアルに沿った事務労働者は保守的な志向になる一方で、裁量の大きい高技能サービス職や専門職はリベラルな志向を持ちやすい。さらに、経営者や管理職は市場を重視するが、末端の労働者は国家による再分配を重視する。たとえば自営業者は文化的には保守だが市場を重視することになる。

 

高技能のサービス業、専門職に就く人びとは、リベラルな分配政策を支持する。すなわち、従来の福祉国家が対象としてきたような、男性稼ぎ主の所得喪失リスクに対応する政策(失業給付、年金など)ではなく、働き方の多様化、女性の就労と家族の多様化に対応する政策、言い換えれば「新しい社会的リスク」に対応する子育て支援、教育、就労支援策を支持する。

[…中略…]

さらに重要なのは、これらの政策が「新しい社会リスク」にさらされたアウトサイダーの利益にもなるという点である。つまり「新しい社会リスク」に対応する政策を推進するという点で、リベラルな価値観を持つインサイダーは、アウトサイダーと政治的に連携する可能性を持つのである。

 

(p.113 - 114)

 

●社会的投資(事前の再分配)の問題点と対策

 

…育児ケア、教育、就労支援といった政策には「マタイ効果」があると指摘される。マタイ効果とは、豊かな人がより豊かになり、貧しい人がより貧しくなるという意味である。育児ケアや公教育を広く行えば行うほど、それらのサービスから利益を得るのは中上層の人びとになりやすい。たとえば、誰もが公的な育児ケアサービスを受けられるようになると、中上層の人びとはそれを利用して共稼ぎを続け、より多くの所得を得ることになりやすい。どの国でも、似たような学歴や職業を持つ人同士の「同類婚」が増えているからである。また高等教育では、中上層の子弟が多くなるため、公教育の充実(授業料の無償化など)を行うと、中上層ほど恩恵を受けやすい。さらに、教育水準の低い人や移民労働者は、学習能力や言語能力が相対的に乏しいため、職業訓練の効果が現れにくい。「投資」という観点からすると、効果の乏しい人は支援対象から外れやすくなってしまう。

 

(p.117 - 118)

 

 というわけで、リベラルは「社会的投資」以外の政策も実施する必要がある。

 その一つめは、「新しい社会的リスク」(不安定で多様な職業生活やライフスタイル)に柔軟に対応するための、年金制度改革。中所得層以上の公的年金の一部は私的年金に切り替えつつ、年金を受給できる層を拡大したり、税を財源とした最低保障年金を整備して低所得層を救済すること。

 二つめは、多様な働き方を支えるための労働市場改革。労働時間の柔軟化や雇用保護の縮小もセットで行われるためにインサイダーは不安を感じるが、現状ではアウトサイダーだけが不安定な雇用に就くことを強いられているし、インサイダーとアウトサイダーの二分化が激しい社会ではインサイダーも長時間労働を強いられるので、なんとかインサイダーとアウトサイダーを連携させる(社会運動と労働組合を連携させる)ことでなんとかする。

 三つめは(年金の他の)最低所得保障。

 

…多くの研究で指摘されているのは、アウトサイダーが既存の政党に強い不信感を持ち、政治からの疎外感を抱いているということである。もし既成政党がインサイダーの利益のみを重視し、雇用保護や「古い社会的リスク」向けの医療・年金の維持強化に終始するなら、アウトサイダーの多くは政治参加(投票)を諦めるか、抜本的な変化を求めて極右、極左ポピュリズム政党を支持するようになるだろう。

(p.126)

 

●排外主義と福祉

 

 本書の第5章「排外主義ポピュリズムの挑戦」では、排外主義政党は1980年代までは市場主義だったのが現在は「文化的保守(排外主義)+国家による(自国民優先の)福祉」を政策として唱えるようになったことや「民族的な多様性と国家の再分配への支持低下の間には相関がある」という指摘などを受けつつも、「手厚い福祉制度こそ、社会の分断や多様性を乗り越え、人びとの連帯意識を作り出すことに寄与する」という主張が取り上げられる。低所得層だけでなく中所得層も公的福祉の対象になったら、福祉の受給者たちを「自分たちとは違う存在」と見なさなくなり、福祉や移民制度に対する指示が上がる。逆に、低所得層や移民しか受給できないような「選別的」な福祉制度では分断が生じて支持が下がる。アファーマティブ・アクションなども、選別的であるがために政策への支持が下がり、政策そのものが持続しなくて逆効果となる。

 

 …などなど。序盤にも書いた通り「新自由主義」に対する批判についてはわたしは疑ってかかっているし、人間がフリーライダーという存在に対してもつ根本的な嫌悪感のことを考慮すると、福祉が就労の義務とセットになる「ワークフェア国家」のことを批判しても仕方がないと思う(福祉の対象を拡大すること自体はよくても、就労の義務がセットにならないなら、また新たなる憎悪や分断が生じるはずだ)。また、「事前の再分配」を強調するくだりもやや理想論が過ぎるような気がする。

 とはいえ全体的にはバランスが取れていて参考になる本だと思う。めんどくさいのでこの記事では省いたが、第1章でリベラリズムの思想史が簡潔に紹介されるところもよいです。