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道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

宗教はいかにして人を道徳的にするか(ロバート・パットナム『アメリカの美徳』)

American Grace: How Religion Divides and Unites Us

American Grace: How Religion Divides and Unites Us

  • 作者: Robert D. Putnam,David E. Campbell
  • 出版社/メーカー: Simon & Schuster
  • 発売日: 2012/02/21
  • メディア: ペーパーバック
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 今日は『American Grace: How Religion Divides and Unites Us(アメリカの美徳:宗教はアメリカ人をいかに分断していかに結び付けているか)』について軽く紹介しよう。この本はロバート・パットナムというデビッド・キャンベルという二人の政治学者の共著で、前者は『孤独なボウリング』『われらの子ども』などの著作で有名。本の内容を紹介するといっても、600ページ以上に渡る大著であり、アメリカの人々が信仰している宗教の歴史や現状の紹介、ジェンダーエスニシティについて宗教はどのような関わりを持つか、アメリカ政治において宗教はどのような役割を果たしているかなど、アメリカにおける宗教についてありとあらゆる側面から論じている本であるので、全部の内容を紹介することはさすがにできない。とりあえず、13章の「Religion and Good Neighborliness(宗教と善き隣人性)」について紹介しよう。

 

 13章では「宗教心の強いアメリカ人はそうでないアメリカ人に比べて利他的であるか否か」ということが、大規模な世論調査などのデータに基づきながら論じられている。そして、宗教心の強いアメリカ人はそうでない世俗的なアメリカ人に比べて実際に利他的であり社会的な活動を行う善き市民であるということが、データから導き出されている。ただし、宗教心の強いアメリカ人は世俗的なアメリカ人に比べて異なる意見に対して不寛容であるという欠点も強い。それにもかかわらず、宗教心の強いアメリカ人は概して様々な美点を備えている「良い人」である、というのが著者らの結論だ。…一般に、「宗教心が強い」という属性には「年長である」「女性である」「アフリカ系アメリカ人である」などの別の属性も関係しているが、それらや他の様々な要素をふまえて統計を操作しても、「宗教心が強い」ということに由来する独自の傾向がはっきりと見出される、というのが著者らの主張だ。

 具体的に書くと、たとえば宗教心の強いアメリカ人はそうでないアメリカ人よりもボランティアに参加する時間が長い。それも、教会などが主催している宗教的なボランティアだけでなく、そうでない世俗的なボランティアに参加する時間も宗教心の強い人の方が長いのだ。また、収入のうち寄付に占める割合が何パーセントであるかというのも、宗教心が強くなればなるほど高くなる。ボランティアと同じく、宗教的な理由による寄付と世俗的な寄付による理由の両方とで、宗教心が強い人の方がパーセンテージが高くなるのである。数字では測りづらい日常的な利他的行動も宗教心が強い人の方が概してより多くなり、具体的には「献血をする」「落ち込んだ人を励ます」「他人に席を譲る」「知人の職探しを手伝う」などの行動をより多く行うようになる(ただし「知人が旅行に行っている間にペットや植物の世話をする」「知らない人の荷物を持ってあげる」「知らない人に道を教える」「他人や知人にモノや金を貸す」などの行動については、宗教心が強いかどうかは関係ないそうだ)。

 宗教心の強い人はどのように「善き市民」であるかというと、地域コミュニティの組織に参加している割合が高く、コミュニティに問題が生じた際にもそれを解決することに意欲的に関わるし、地域レベルでの諸々の選挙への投票率も高いし、現状維持に満足せず運動を通じて地域や政治の改革を求めることにも意欲的である。

 また、宗教を持たないアメリカ人ですら「宗教心の強い人の方がそうでない人よりも信頼に値する」と考えている。また、宗教心の強い人たちの方でも、他人をより強く信頼する傾向にある。ただし、実際に宗教心が強い人はそうでない人に比べて信頼に値する人物である、と言えるだけの証拠については、著者らは発見できなかったそうだ。

 …このように、宗教心の強い人はそうでない人に比べて概して「良い人」である。コラムニストのアーサー・ブルックスは著書で「宗教的保守派は他のアメリカ人よりも寛大だ」と主張したそうだが、著者らによるとブルックスの主張は半分しか正しくない。人を寛大にしているのは保守であるかどうかでなく宗教的であるかどうかなのであり、宗教的であれば政治的には中立であったりリベラルであったとしても寛大になる傾向にあるし、保守であったとしても宗教的でなければ寛大であるとは限らない。宗教心の強い人には保守派が多いから「宗教的保守派は他の人より寛大」というイメージを抱きがちだが、同じくらいの宗教心の人々を比較して見てみれば、一般的にはリベラルの方が保守よりも寛大であるそうだ。

 

 では、"なぜ"宗教心の強い人はそうでない人よりも利他的であったり善き市民であったりするのか?まず、宗派による影響や違いは少しはあるとはいえ、「どの宗派を信仰するか」よりも「どれくらい宗教的であるか」ということの方がずっと影響力が強い、ということを著者らは指摘する。(データの都合上キリスト教徒とユダヤ教徒のアメリカ人しか対象にできないのだが)プロテスタントにせよカソリックにせよ、福音派にせよモルモン教徒にせよ、ユダヤ教徒にせよ、それぞれの宗派の教えの違いにはほとんど関係なく、その信徒の宗教心が強くなればなるほどその信徒は利他的であり善き市民になる。

 キリスト教には「善きサマリア人のたとえ」や「黄金律」が含まれており、善いことをすれば天国に行けて悪いことをすれば地獄に落ちるなど、信徒が利他的になることを求める教義がある。普通に考えれば、宗教心が強い人が利他的なのは、宗教心が強くなるほど教義を真剣に捉えて利他的な価値観を強くするようになるからだ、という風に思える。だが、著者らによると、教義が人々の行動に影響を与えているかどうかには疑問の余地がある。たとえば、子供の頃から宗教的な家庭に育って教義を強く教え込まれた人であっても大人になって教会に滅多に出席しなくなった人の場合には、宗教心が強い人ならではの利他性や善き市民性などの特徴は見出せなくなる。「教会に頻繁に出席すること」は宗教心の強い人にとっても弱い人にとっても「他人に対する信頼を増させる」ことにつながるが、宗教心は強いが教会に出席することは少ないという人は、宗教心が弱い人以上に他人に対する信頼が低い傾向にある。教義は同じであっても、神を信じていて教会にも頻繁に出席する人は神の愛や暖かさをより強く感じるようになりポジティブな人間観を抱くようになる一方で、神を信じてはいるが教会にはあまり出席しない人は神の怖さや厳しさをより強く感じるようになりネガティブな人間観を抱くようになるそうだ。

 重要なのは教義よりも教会への出席率であり、宗教を通じて生じる社会関係である、と著者らは論じる。個人的な信仰を持つことや教会にて牧師や神父が行う説教は人々の行動に大した影響を与えないが、教会にて他の宗教的な友人と語り合ったりすることや、聖書の読書会やその他の宗教的な集会などに参加して共同体験をすることこそが、宗教心が強い人を他の人よりも利他的で善き市民にするのだ。そのような人々は宗教的な集会だけでなく、ボランティアを始めとした世俗的な集会にも参加する頻度が高くなるのである。…ちょっと皮肉なのが、「神が存在することを確信している」と自信を持って言えるアメリカ人は教会への出席率がかなり低くなり、そのために、神の存在に不安は抱いているが教会への出席率が高いアメリカ人に比べて利他性や善き市民性が減るということだ。重要なのは宗教的な信仰そのものではなく、宗教的な共同体に所属していることであるのだ。

 友人が多いことと利他性や善き市民性の高さにはあまり関係がないようだが、宗教的な友人が多いことと利他性や善き市民性の高さには明白な関係があるようだ(そして、教会に行く人は宗教的な友人が多くなる)。一人で「孤独なボウリング」を行うことよりもチームに所属して集団でボウリングを行う方が市民性は高くなるが、そのボウリングチームが教会のチームである場合には市民性はさらに高くなる。また、必ずしも同じ宗派を信仰している必要もなく、他の宗派の人々と過ごすことも良い影響を与えるのだ。…さらに、教会で出会う友人たちは寛大であり利他的であり善き市民性が高い以上、そんな友人に囲まれることで同調効果が生じて、自分の行動にも影響が出てくる。また、宗教的な場で培う友人関係は他の場で培う友人関係よりも道徳的な側面が強くなり、職場の仲間やジムで出会う人は野球の試合やクラブなどに誘ってくれるかもしれないが、教会の仲間たちはボランティアやチャリティへと誘ってくれるだろう。…そして、新たに教会にやってきた人に対して今度は自分が影響を与えることになる。そのような反響的な効果が教会には存在するのだ。

 

 だが、宗教心が強いことは良いこと尽くしでもない。宗教心の強い人はそうでない人に比べて異なる意見に対して不寛容であり、これは民主主義社会にとってはかなり有害なこととなり得る事態だ。…「自由の国」の国民であるアメリカ人たちは人々の意見表明や表現の自由には概して寛容であり、9・11のテロ事件を経験した後でも「公の場でオサマ・ビン・ラディンを擁護することは認められるか」という質問には6割近くのアメリカ人が「認められる」と答えており、図書の検閲には75%以上のアメリカ人が反対している。そして、言論や表現の自由に対するアメリカ人の支持は年々増し続けており、同性愛者・無神論者・共産主義者軍国主義者・人種差別主義者のそれぞれの属性の代表者が言論や表現を行うことへの支持率も上がり続けている。また、一般的には、自身が市民的活動を行っている人は他人の市民的活動の自由にも寛容になる傾向がある。…しかし、宗教心が強い人は市民的活動を活発に行う傾向が強いのにもかかわらず、異なる意見を持つ人に対して不寛容になる傾向があるのだ。

 このことは政治的イデオロギーの左右に関わらない傾向であり、たとえば教会に通うリベラルはそうでないリベラルに比べて人種差別主義者や軍国主義者の言論の自由を認めない傾向が強く、教会に通わない保守は教会に通う保守よりも共産主義者や同性愛者の言論の自由に寛容だ。宗教心の弱いアメリカ人の多くはキリスト教原理主義者を嫌っているが原理主義者の表現の自由は認めている一方で、無神論者を嫌う宗教心の強い人たちは無神論者の表現の自由が制限されることも求めている。この原因が何であるかというと、宗教心の強い人はそうでない人よりも権威主義的であるからだ、と著者は論じている。また、利他性や善き市民性の場合と同じく各宗派の教義は信徒の不寛容さにはあまり関係がないようであり、個々の信徒の宗教心の強さの方が重要であるようだ。…ただし、宗教心が強い人がみんな表現の自由に不寛容である訳ではない。また、世代が若くなるにつれて、同性愛や反宗教的な言論の自由に対する支持は宗教心の強い人たちの中でも増している傾向にある。

 

 なお、宗教心の強い人は本人自身も幸せになる傾向が強い(収入などで統計を調整してもこの傾向ははっきりと存在する)。このことも、利他性や善き市民性の場合と同じく、宗教の教義のおかげというよりも宗教によって得られるコミュニティや友人関係のおかげであるようだ。ただし、周りの友人がみんな同じ宗派の信徒である場合よりも、多様な宗派の友人がいる人の方がより幸せになるようである。

 

 余談的に15章の「America's Grace(アメリカの美徳)」についても軽く紹介しておこう。アメリカという国にはプロテスタントカソリックモルモン教徒・福音派アーミッシュユダヤ教徒イスラム教徒・仏教徒など多種多様な宗派や宗教が存在しており、「アメリカという国は宗教によって分断されている」というイメージが持たれがちだが、イメージとは裏腹にアメリカ人たちは他の宗派の人々に対しても概して良い印象を抱いており、その傾向は年々増している(イスラム教徒に対しては未だに悪い印象が強いが)、ということが15章では論じられている。なぜ異なる宗派に対して良い印象を抱くようになっているかというと、異なる宗派同士のカップルの結婚を始めとして、宗派間の相互交流が年々増しているからだ。著者たちが「スーザン叔母さん効果」や「友人のアル効果」と呼んでいる理論によると、「私の親戚のスーザン叔母さん(または友人のアル)はプロテスタントの私とは違ってカソリックだが、スーザン叔母さんはすごく良い人だし天国に行けないはずがない。とすると、スーザン叔母さん以外のカソリックの人々にも良い人はいるだろうし彼らも天国に行けるだろう」という効果がはたらいているそうである(そのため、アーミッシュのように他宗派との相互交流が少ない宗派に対する印象は良くなりづらいし、本人たちも他宗派に対して悪い印象を持ち続けたままになりがちである)。無神論者が増えた近年では無神論者の知人に対しても「スーザン叔母さん効果」や「友人のアル効果」がはたらくので、無神論者に対する印象も良くなっている。実際、「他の宗派や宗教や無神論者の人も天国に行ける」と考えるアメリカ人の数は年々増え続けているのであり、「自分の宗派の人しか天国に行けない」と考えるアメリカ人は約1割しかいないそうだ(アメリカにおける厄介な宗教問題の数々を引き起こしているのも、この1割の人々であると言える)。…ちょっと面白かったのが、神父や牧師などの聖職者の大半は現在でも「キリスト教徒でないと天国に行けない」と考えているのであり、パットナムが聖職者たちに対して『一般信徒の多くは「キリスト教徒以外の人々も天国に行ける」と考えている』ということを教えた際には、聖職者たちはショックを受けて、自分たちは信徒たちに正しくキリスト教の教えを伝えられていないのではないかと考え込んでしまう、というエピソードだ。

 

 …とりあえず『アメリカの美徳』の紹介はこんなところだろうか。教義や説教が人々の利他性や幸福の向上にはあまり関係がなくて、それよりも教会などの宗教コミュニティや宗教的な友人関係の方が重要である、という洞察はいかにも社会学的で面白い。『アメリカの美徳』は(主にキリスト教徒の)アメリカ人を対象とした社会学的な研究だが、アメリカ以外の国でも当てはまるところは大きいだろう。宗教が人々の利他性に与える影響について論じた本としては、社会学よりも普遍的で一般的な社会心理学進化心理学の観点から論じている、アラ・ノレンザヤンの著書『Big Gods: How Religion Transformed Cooperation and Conflict (大きな神々:宗教はいかに協力と争いを変えたか)』を読んだことがある。この本でも「教義はあまり関係ない」ということが強調されていたし、「宗教心の強い人は他宗派の人よりも無神論者の方を強く警戒して嫌う」など『アメリカの美徳』で指摘されているのと共通する事象について論じられていたりした。

 

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