道徳的動物日記

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浅き低きの幸福論

 

しあわせ仮説

しあわせ仮説

 

 

 雑感。

 ジョナサン・ハイトの『しあわせ仮説』を読んでからポジティブ心理学や幸福論に興味を持つようになり、そのテの本を定期的に読むようになった。最近に読んだポジティブ心理学の本は『幸せがずっと続く12の行動習慣』や『ポジティブ心理学が1冊でわかる本』、幸福論の本としては『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』や『徳は知なり』など。

 また、最初は幸福論を読むつもりで手に取ったものでなくても、読んでみると幸福についての洗練された心理学的・哲学的知見が開陳されている、というパターンもある。たとえば、『野蛮な進化心理学―殺人とセックスが解き明かす人間行動の謎』では、扇情的で俗っぽい副題とは裏腹に、人間にとっての「人生の意味」やそれを満たすことに伴う幸福感などについて、進化心理学の知見に基づいた説得力のある議論が展開されていた。

 さらに言えば、幸福についての議論よりも不幸についての議論の方が、様々なジャンルの本で見かけることができる。経済不況を語る経済学の本、戦争などの悲惨について書かれた歴史の本、社会問題や社会病理について書かれた社会学やジャーナリズムの本…などなどだ。このような本についても、不幸についての議論を述べることで、間接的に幸福についての知見を提供しているとも言える。

 

「なにが幸福をもたらすのか」ということについては、上述した様々な本の間でも、意見の違いはもちろんある。しかし、数々の議論を見ていると、相違点よりも共通点の方が注目してしまうものだ。様々な立場の論者がそれぞれ異なる論拠やエビデンスなどによって同じ意見に辿り着いている訳なのだから、共通点の部分は、かなり信頼できる正確な主張と言っていいだろう。そのような主張としては、たとえば以下のようなものがある。

 

・孤独は人間の身体的健康や精神的健康に悪影響を与えて、不幸をもたらす。独身者は既婚者よりも不幸であり、コミュニティに帰属していない者は帰属している者よりも不幸である。

 

・美味しいものを食べる、贅沢をする、ゲームやギャンブルなどの娯楽を楽しむ、というタイプの行動から得られる快楽は一時的なものに過ぎずすぐにマンネリ化して、全体としての幸福には繋がらない。目標を定めて努力をする、やりがいのある充実した仕事やミッションを行うなど、コミットメントを伴う長期的な活動を行うことが、幸福につながる。

 

・自分のためだけに生きている人よりも、家族なり愛する人なり友人なり地域なり社会なり宗教なり、自分以外の他者やコミュニティのために生きている人の方が、幸福になりやすい。

 

 などなど。いずれも学校の教科書に載っていそうな古臭い主張に聞こえるかもしれないが、正しい主張であるからこそ、昔から言われているものかもしれない。

 

 ところで、幸福についての議論は本以外のメディアでも読むことができる。たとえば Twitter では諸々の属性のツイッタラーが思い思いの幸福論を述べているし、はてなでも様々なブログ記事やweb媒体における幸福論がブクマされてトップに表示されたりする。

 しかし、ネットで目にする幸福論は、先ほど挙げた本などで述べられている幸福論とは真逆な主張がされていることも多い。

 ネット民が述べる幸福論について偏見も込めながら大雑把にまとめてしまうと、以下のようなものになるだろう。

 

・結婚はコスパが悪いギャンブルなのでするべきではなく、家族やコミュニティは諸悪の根源である。孤独でいることのみが幸福につながる。

 

・労働は人間を疲弊させて時間を消費させるものであり、賃金を得るための必要悪に過ぎない。コンビニやチェーン店の安価な食事、アルコール度数の高い酒、アニメやゲームなどの趣味から得られる快楽のみが幸福である。

 

・家族のためや社会のために生きようと考えている人は愚かである。人間は自分のためだけに生きるべきである。

 

 …上記のような主張は極端だとしても、このような種類の、負担や活動を避けて目先の快楽と自己のみにこだわった幸福論は、ネット上の様々な箇所で大なり小なり論じられているように思える。

 その理由としては、以下のような事柄が考えられるかもしれない。

 

・現代の日本社会の状況では、結婚をすることや家庭生活を維持するためのハードルが高くなり過ぎており、それを目指すことに尻込みしてしまう。様々なコミュニティも破壊し尽くされているので、嫌が応に孤独にならざるを得ない。そのため、自己正当化のために孤独が幸福であると主張せざるを得ない。


・人生経験が少なく、知識も足りない場合、幸福についても想像でものを言わざるを得ない。長期的なコミットメントを行うことによって得られる幸福は、それを経験したことがない人には想像しても頭に浮かばない。一方で、ほぼ全ての人が何らかの快楽を経験したことがあるので、快楽のみに基づいた幸福論は誰にでも主張することができる。


・フィクションの影響。たとえば、文学は孤独をロマンチックに讃えることが多い。フィクションでは、正確で妥当だが古臭くて退屈な一般論というものは強調されづらく、妥当さや正確さはともかく刺激的で耳心地の良い特殊な論が強調される、という構造になりやすい。