道徳的動物日記

人々の議論を眺めながら考えたことや読んだ本の感想など。このブログは利益や金銭目的ではなく人々に対する啓蒙のために書かれています。ありがたがれ。

「動物に苦痛を与えてはいけない」という主張は功利主義?/功利主義は「苦痛」にしか注目しない?

 

  功利主義及び動物倫理に関するよくある誤解について、さくっと書く。

 

「動物に苦痛を与えてはいけない」という主張は様々な倫理学者が提唱してきたものではあるが、過去の人であればジェレミーベンサム、現代の人であればピーター・シンガーが有名であろう。彼らは二人とも功利主義者である。では、「動物に苦痛を与えてはいけない」という主張は功利主義者しか行っていないのか?

 もちろん、そんなことはない。

 

 トム・リーガンやゲイリー・フランシオンなどの「権利論」を主張する人々は、功利主義には反対している。功利主義は、「最大多数の最大幸福」を考慮した比較考量の結果によっては動物(や人間)に苦痛を与えたり殺害したりすることを認めてしまう可能性があるからだ。

 そのため、いかなる理由があろうとも苦痛を与えられることや殺害されることから保護される権利、他者の目的のための手段として扱われない権利を人間だけでなく動物にも認めよう、というのが彼らの主張だ。

 

 徳倫理やフェミニズム倫理においても、「動物に苦痛を与えてはいけない」という主張はされている。

 

 …というか、動物を倫理的配慮の対象とみなしたり、動物の道徳的地位を認めるのあれば、どんな理論であっても「(理由もなく)動物に苦痛を与えてはいけない」と主張されることは当たり前なのだ。

 功利主義では「(理由もなく)他者に苦痛を与えてはいけない」と論じられる。では、功利主義ではない権利論やフェミニズム倫理などにおいては「他者に苦痛を与えることは道徳的問題にならない」と論じられているのか?

 もちろん、そんなことはない。安楽死の権利を認めたり、肖像権やプライバシーの権利を認めたり、セクシュアル・ハラスメンを受けない権利は認めたりするが、棍棒で叩かれない権利や焼き印を押されない権利や生まれから死ぬまで屋内に監禁されない権利は認めない、なんて理論が存在する訳がないだろう。

「理由もなく苦痛を与えない」ということは規範としてもあまりに基本的過ぎて、功利主義以外の議論では強調される機会が少ない、というだけなのだ。

 …というわけで、下記の記事や、それに付いているしたり顔のブコメの多くは、いろいろな点で誤っている*1

 

anond.hatelabo.jp

…(前略)…じゃあ彼らが主張しているのは何か?それはあらゆる動物における「苦痛の回避」です。

なので、必然的に対象は痛みを感じる動物、基本的には大脳を持ち自由神経終末のある脊椎動物に限られてくる訳です。(対象の範囲についてはいくつか議論あり)

更にこの「苦痛の回避」の元になってるのは、皆さん大好きトロッコ問題でお馴染みの「功利主義」という考え方で…(後略)…

 

 上記の引用部分は、動物の道徳的地位を主張している、功利主義以外の倫理学理論の存在をまるっと無視してしまっている。また、功利主義と「権利論」は基本的には相反する関係なのに、記事の全体において権利の議論と功利主義をごっちゃにしてしまっている。

 しかし、上記の記事に限らず、"「動物に苦痛を与えてはいけない」という主張は、功利主義のみが行っている"という誤解は広く存在してしまっているようだ。倫理学の関係者ですら、本やネットでそういう誤解を振りまいていることがある。

 

 また、たしかに功利主義は「苦痛」に注目するが、「苦痛」だけに注目した議論ではない。そもそもが「最大多数の最大幸福」なり「関係者全員への利益への平等な配慮」などを目指す議論なのだ。痛みや乾きなどの身体的な不快感の他にも不安や恐怖などの精神的な不快感も考慮するし、楽しみや安らぎや性的快感などのポジティブな感覚にも考慮するし、愛や希望や正義感や知的好奇心などの高度な感情にも考慮するし、幸福(と不幸)や利益(と不利益)につながるものならなんだって考慮する。

 動物倫理において「苦痛」ばかりが注目されるのは、現在の世界では実際に動物たちが多大な苦痛を感じているからであり、他のことに注目することの必要性や緊急性が相対的に希薄だから、というだけのことなのだ。

*1:私の記事に対する批判に対して反論する、という形で書かれたものなので、批判するのはちょっと心苦しいのだが。