道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

「トランプ支持者の白人労働者」について書かれた本をまとめて読んでみて…

 

 

 

 

 

壁の向こうの住人たち――アメリカの右派を覆う怒りと嘆き

壁の向こうの住人たち――アメリカの右派を覆う怒りと嘆き

 

 

 

 

 ↑ 世間ではブラック・ライヴズ・マターが話題だが、あえてこのご時世に、ひと昔前に邦訳された「トランプを支持した白人労働者の問題とはなにか、彼らはどんな特性や性質を持っているのか、なぜ既存メディアやリベラルでインテリなエリートは彼らの存在を無視してしまいトランプの当選を予期できなかったのか」というタイプの本をまとめて読んでみた。

 このなかでは『ホワイト・ワーキング・クラス』がいちばん面白かったので、この本については個別に感想記事を書いている。

 

davitrice.hatenadiary.jp

 

 なぜこんな本ばかり読んだかというと、さいきんはネットフリックスで映画ばかり見ていたのだがアメリカ映画全体に多かれ少なかれ漂う「保守的な白人はいくら馬鹿にしてもいい存在である」「田舎は脱出すべき場所であって、まともな人間はニューヨークかカリフォルニアのどちらかに済むものだ」という価値観に耐えられなくなってきて反動的な気持ちになったというところが強い。また、『アメリカン・ファクトリー』を見て、改めて「アメリカの田舎労働者」問題に興味を抱いたというところもある(そして、『アメリカン・ファクトリー』は例外として、ネットフリックスで観れるほかのドキュメンタリー作品のラインナップは「ネットフリックス的価値観」に縛られていて多様性や自由のイメージを強調すぎるあまり逆に多様性や自由を失っている感じが強く、「こんなんばっか観ていたら洗脳されちゃうから、ちゃんと本も読んで別の考え方にも触れなきゃな」と思ったというところもある)。

 

 で、これらの本の内容だが、『ヒルビリー・エレジー』のように個人的なメモワールもあれば『新たなマイノリティの誕生』のような無機質な学術的調査もあり、その切り口や語り口はそれぞれ違う。

 インテリの学者が都会からオハイオ州に赴いて参与観察した『壁の向こうの住人たち』ではトランプ支持者やティーパーティー運動の参加者に対して「理解してあげよう」という寛容なスタンスが全面に出ているのに対して、白人労働者の世界で生まれ育った末にそこから逃れた著者の回想録である『ヒルビリー・エレジー』では彼らに対する愛着やノスタルジーを記しつつも批判すべきところでは手厳しく突き放す、という違いも面白い。

 

 トランプを支持するような白人労働者の世界観について、いずれの本でも多かれ少なかれ共通して描写されている特徴がある。

 

(1):彼らは自分たちが「勤勉」「誠実」「真面目」だと自認しており、労働倫理がアイデンティティや誇りの中核を構成している。(『ヒルビリー・エレジー』で強調されているように白人労働者のなかでも仕事がまともにできなかったり福祉に頼りっきりの人が多いのだが、そういう人たちですら「真面目な自分が仕事を続けられないのは国や社会の現状のせいであり、アメリカがまともな状況であったら自分だって仕事をまともにしていたはずだ」という意識を持っていたりするのだ)。

 

(2):黒人や移民に対する敵意は「連中は真面目に労働をせずに、福祉に頼ったり犯罪をしたりして怠惰に生きている」という認識から醸成されている。そして、本来なら自分たちが得られていたはずの仕事や福祉や尊厳が彼らに「横取り」されているという気持ちを抱いている。

(『壁の向こうの住人たち』では、この感覚を「アメリカンドリームが待っている山頂の列に自分たちが並んでいると、黒人や移民が割り込んできた」という風に表現している)。

 

(3):都会のインテリやエリートやマスメディアは自分たちのことをバカにして蔑ろにして黒人やマイノリティばかりを気にかけている、という敵意や被害者意識を彼らは抱いている。そして、都会のインテリは労働倫理もキリスト教的倫理も持っていなくて道徳的に腐敗している、と考えている。

(ただし、トランプのように成功した実業者に関しては道徳的腐敗が見過ごされて、カリスマとして崇められる。このダブルスタンダードともいえる感覚は『ホワイト・ワーキング・クラス』や『壁の向こうの住人たち』などで描写されている)。

 

 

 また、アメリカン・ドリームはもはや形骸化した理想であり現実のアメリカにはそんなものは存在しない、ということは散々指摘されているが、彼らは未だにアメリカン・ドリームの幻想にすがり着いている。だからこそ「労働」や「努力」が誇りの中核となり、敵対者に対する最大のレッテルは「怠惰」になる。

 そして、『ヒルビリー・エレジー』や『ホワイト・ワーキング・クラス』で描かれているように、実際のアメリカはアメリカン・ドリームの理想とは真逆で生まれ育ちや文化資本社会関係資本の有無にその人の成功や人生が左右されてしまう国であるのだ。そういう点では、「都会のエリート連中はたまたま三塁に生まれついただけなのに、自分は三塁打を打ったのだと思い込んでイキっている」という彼らの怒りは、妥当でもある。

 

 ところで、「自分たちは真面目で誠実に生きているのに、怠惰な"奴ら"が福祉などを通じて自分たちの取り分を奪っている」という感覚は日本でも見られるものだろう。「在日特権」という言葉は最近あまり聞かなくなってきたとはいえ、社会福祉と公務員を共通敵に仕立てあげることで支持を得てきた維新の会は、最近またもや支持率を上げているところだ。維新の会の組織基盤がある大阪が、反・都会(東京)で反・インテリなエートスがあり被害者意識や"主流"に対する敵対意識が強い地域であることはよく指摘されている。わたしはカール・シュミットは読んだことないが、政治は「友と敵」の概念によって動くという彼の理論は現代の社会にも不気味なくらいに当てはまっている……かもしれない。

 

 トランプのようなポピュリストが彼らの被害者意識や敵対意識を煽って支持を得ていることは言うまでもないが、リベラルなメディアの責任もやっぱり大きい。今年に公開された映画だけでも、『ナイブズ・アウト』『デッド・ドント・ダイ』など「保守的な白人は作中で悪役認定してボロクソに扱ってもいい存在だ」という安直な意識で作られているものがいまだに散見される。

 より上等な映画でも、「リベラルで芸術ファンな知識人のみんながこれを見て絶賛しているようなら庶民や労働者との対立は深まるよなあ」と思わされるものはある。これはアメリカではなくフランスの映画になってしまうが、黒人・移民による擁護の余地のない犯罪や暴動がなんだか肯定的に描かれている『レ・ミゼラブル』とそれに対する絶賛はどうかと思った。

 社会のルールを守らないこと、宗教的な規範や保守的な規範に唾を吐きかけて性的な自由や解放を讃えること、調和や礼節よりも逸脱や反抗のほうが格好良くてエラいとすること……こういうカウンターカルチャー的な価値観は、20世紀の後半以降、どこの国でも知識人やリベラルや芸術家や芸術ファンや都会民の主流であり続けている。そして、これこそが、道徳を守りながら真面目で誠実に生きている(と自分では思っている)市井の人々を苛立たせて彼らの被害者意識や敵対意識を強化させている根本的な問題なのではないかと思う。だいたいこのテの価値観はもうだいぶ形骸化して陳腐化しているし、現在となっては、もう少し「中道」や「良識」に寄せた価値観の方がもっと知的で刺激的なものではないかという気もする。