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道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

「遺伝子選別という諸刃の剣」 by ピーター・シンガー

倫理学 生命倫理

www.project-syndicate.org

 

 昼にアップした記事に関連して、倫理学者のピーター・シンガー(Peter Singer)が Project Syndicate に発表した記事を紹介する。10年前に発表された記事なので、記事内の情報は古くなっていることには留意してほしい。 

 なお、タイトルの原題は"The Mixed Blessing of Genetic Choice"であるが、この"Mixed Blessing"という単語のニュアンスはなかなか日本語に訳しづらい*1。とりあえずこの記事では「諸刃の剣」と訳している。Genetic  Choiceとか Genetic Slectionも「遺伝子選択」「遺伝的選択」とか色々と訳語が考えられるが、進化論における自然選択のソレと混同しないために、人為的な意味合いが強調されている感じのする「遺伝子選別」で訳すことにした。

 

 

「遺伝子選別という諸刃の剣」 by ピーター・シンガー

 

 しばしば、知識の発展とは諸刃の剣である。その端的な例の一つが、過去60年間における核物理学であろう。この先60年間には、遺伝学が諸刃の剣の新たな例となるかもしれない。

 今日では、あなたが手数料を払って自分の遺伝子について知ることを企業が提案する。自分の遺伝子に関する知識はより長くてよい人生を過ごす助けになる、と企業は主張する。例えば、自分が罹るリスクが最も高い病気を知れば、健康診断の際にはその病気の初期徴候を発見するための追加検査を行うことができるし、その病気に罹るリスクを減らすように食生活を改善することもできる。あなたの人生の寿命はあまり長いものにはならない可能性が高いということを知れば、あなたはより多くの生命保険を買うかもしれないし、自分がやりたいと思い続けていたことを行うために他の人よりも若い時期に退職することもあるかもしれない。

 プライバシーの保護を主張する人たちは、生命保険を発行する前に遺伝子検査を受けることを保険会社が客に対して要求することを防ごうとしてきたし、その運動はある程度の成功をもたらした。だが、保険会社を締め出した遺伝子検査を個人が行えるとして、不利な遺伝的情報を知らされた個人がその情報を保険会社に開示せずに追加で生命保険を買うとすれば、彼らは保険会社の他の顧客たちに対して詐欺を働いていることになる。損失をカバーするためには保険料を高額にする必要があるだろうし、有利な遺伝的予測を知らされた人たちが詐欺犯に金を余分に与えるのを避けるために生命保険を脱退するとすれば、保険料はさらに高くなるであろう。

 しかし、現時点で警戒し過ぎる必要はない。アメリカ政府監査院は同一の遺伝サンプルを複数の検査会社に送ったが、検査会社から送られてきたアドバイスはそれぞれの会社ごとにかなり異なるものであったし、そして大半が役に立たないものであった。だが、科学は発達し続けるのであり、保険の問題もやがては直面しなければならないものである。

 生まれてくる子供を選択することは、より重大な倫理的問題を引き起こす。この問題は新しいものではない。先進国では高齢で妊娠した女性への遺伝子検査が慣例的に行われていることは、中絶の実行可能性の高さとも合わさって、ダウン症などの状態で子供が生まれてくる可能性を著しく下げている。 インドや中国の一部の地域では両親たちは息子を持ちたいと切望していて、選択的中絶が性差別の最終的な形として存在しており、そして次世代の男性たちが女性のパートーナーの不足に直面しなければならなくなる程にまで選択的中絶が実行されてきた。

 子供を選択するのに中絶は必ずしも必要とされない。数年前から、遺伝的な病気を自分の子供に継承させてしまうリスクを背負っている両親たちが体外受精を行っている。複数の胚子を生産し、それらの胚子に障害のある遺伝子が含まれているかどうかを検査して、その遺伝子が含まれていない胚子だけを女性の子宮に移植するのである。現在では、特定の種類のガンが発生するリスクを有意に上昇させる遺伝子を子供に継承させることを予防するために、両親たちは体外受精を用いている。

 全て人が何らかの不利な遺伝子を持っているということをふまえると、病気に罹るリスクが高い子供を排除すること(selecting against)と、健康な人生を送る可能性が普通よりも高い子供を選択すること(selecting for)との間に明確な線を引くことはできない。つまり、遺伝子選別は必然的に遺伝的エンハンスメントへと移行することになるのだ。

 多くの親たちにとって、自分たちの子供の人生の出発点を出来る限り最高のものにすることほど重要なことはない。親たちは子供たちの学習能力の可能性を最大限に引き出すために高価なおもちゃを買うし、それよりもずっと大きな金額を私立学校や学習塾に費やして、子供がエリート大学への入学試験を突破することを希望する。この賭けが成功する可能性を高める遺伝子が特定されるのも、さして未来のことではないかもしれない。 

 優生学とは、遺伝する特質は積極的な介入によって改良されるべきだという主張であり、20世紀の前半に特に流行っていた。多くの人は、上述したような遺伝子選別を「優生学」の復活だと非難する。…その通り、ある意味では、上述してきたことも優生学であるのだ。そして、権威主義的な政治体制の下で行われる遺伝子選別は、忌まわしく疑似科学的な"民族衛生"を鼓吹した初期の優生学によって行われた非道と似通ったものとなるだろう。

 しかしながら、リベラルで市場主導的な社会では、優生学は集団にとっての善のために国家によって強制的に押し付けられることはない。その代わりに、親たちの選択と自由市場の働きの結果として存在することになるだろう。そして、より優れた問題解決能力を持ったより健康でより賢い人々を生み出すとすれば、それは良いことであるのだ。だが、もし親たちが自分たちの子供たちにとって良い選択をするとしても、そこには恩恵(blessing)と同様に危険も存在している可能性がある。

 性別による選択に関しては、生まれてくる個々の子供たちの両親がそれぞれに独立して自分の子供にとって最善となるような選択を下した結果、誰も子供たちの性別を選択しなかった場合の方がマシであったような結果が全ての子供たちにもたらされることになる、という事態は簡単に予測できる。そのほかの種類の遺伝子選別でも同様の結果が起こる可能性はある。平均よりも高い身長は平均よりも高い収入と相関しているのであり、そして身長には遺伝の要素が存在していることは明白であることをふまえると、両親たちがより背の高い子供を選択することを想像しても非現実的ではない。その結果は、ほかの背の高い子供よりも更に背の高い子供が生み出され続ける、遺伝的な「軍拡競争」となるかもしれない。大きくなった人間たちはより多くの栄養を消費するので、 著しい環境コストがかかってしまうだろう。

 だが、この種類の遺伝子選別のなかでも最も警戒するべき可能性は、豊かな人だけが選択を行うことができるという事態が起こることである。現時点でも豊かな人と貧しい人との間の差は社会の正しさという概念を脅かしているが、 機会の平等を保証するだけでは橋を架けることもできないほどの深い淵を遺伝子選別が作り出すかもしれない。それは、私たちの誰もが否定するべき未来である。

 しかし、この結果を避けることは簡単ではない。遺伝的エンハンスメントを誰も実行できないようにするか誰もが実行できるようにするかのどちらかが求められるためだ。前者の選択肢は強制を伴うことになるし、他の国が競争優位を得ることはどの国も認めないであろうから、遺伝子エンハンスメントによってもたらされる利益よりも優先される国際的な合意が必要となる。後者の選択肢…遺伝的選別への普遍的なアクセスを保証するためには、貧しい人に対する前代未聞なレベルの社会的援助が必要とされるであろうし、何に対して助成金を出すべきかということについての非常に難しい決断が求められることになるであろう。

 

 

 

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