道徳的動物日記

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「共感の罠」 by ピーター・シンガー

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 今回紹介するのは倫理学ピーター・シンガーが先日にProject Syndicateに発表した記事。心理学者ポール・ブルームの新刊の書評的な記事である。

「共感の罠」 by ピーター・シンガー

 

 バラク・オバマがアメリカ大統領として選出されてから間もない頃、彼は若い女の子にこう言った。「今日の世界には共感が足りない。それを変えられるかどうかは、君たちの世代にかかっている」。オバマの発言は広く普及した考えを表現したものであることをふまえると、イェール大学の心理学者ポール・ブルームの新著『共感に反対する(Against Empathy)』の書名は衝撃的である。共感とは他人の立場に立ってその人が感じることを自分も感じることを可能にするものであるが、一体誰がそれに反対するというのだろうか?

 この疑問に答えを出すためには、もう一つの疑問も問わなければならないかもしれない。「私たちは誰に対して共感を持つべきか?」。オバマの次の大統領として選ばれたのはドナルド・トランプであるが、ヒラリー・クリントンはアメリカ人たちに対する共感に欠けていたこと…特に、アメリカが製造業の大国であった時代に戻りたいと渇望しているラスト・ベルトの有権者たちに対する共感に欠けていたことが、彼女が先月の選挙に負けた原因である、とアナリストたちは示唆している。問題なのは、アメリカの労働者たちに対する共感はメキシコや中国の労働者たちに対する共感と緊張関係にあることだ。仕事が無くなったメキシコや中国の労働者たちは、アメリカの労働者たちに仕事が無い場合よりも更に酷い状況に陥るであろう。

 共感は、私たちが共感する相手に対して私たちを優しくさせる。それはよいことだが、共感には暗い側面もある。今回の選挙キャンペーンでは、ケイト・シュタインレ(Kate Steinle)という名の若い女性が一人の不法移民に殺害されたという悲劇的な事件を、トランプは自分の反-移民的な政策への支持を煽り立てるために利用していた*1。もちろん、不法移民が他人の命を救ったという出来事についてトランプが殺人事件と同じくらい迫真的に表現することは全くなかった。そういう出来事が実際に起こっていたことは報道されていたのだが。

 赤ん坊のアザラシなど、大きくて丸っこい目を持つ動物はニワトリよりも多くの共感を人間に引き起こす。人間はアザラシよりもニワトリに対して遥かに莫大な苦痛を引き起こしているのだが。何も感覚を持たないロボットに"危害を与える"ことにすら、人は躊躇する場合がある。その一方で、魚…冷たくて、ぬるぬるしていて、叫ぶことのできない生き物…は大して共感を引き起こさない。だが、ジョナサン・バルコンベが『魚の知っていること(What a Fish Knows)』で論じているように、魚類が鳥類や哺乳類と同様に痛みを感じることを示す証拠は充分に存在しているのだ*2

 同様に、ワクチンによって害を被った(あるいは、ワクチンによって害を被ったとされている)少数の子供たちに対する共感は、危険な病気に対処するための予防接種に対する反対運動の大きな動機となっている。反対運動の結果として、数百万人の親たちが自分の子供にワクチンを受けさせず、数百人の子供達が病気に罹る。ワクチンを受けなかったことで罹る病気によって被る影響は、ワクチンの副作用のために被る影響よりもずっと大きなものであるし、時には致命的なものとなるのだ。

 共感は私たちに不正な行動をさせる場合がある。ある実験では、被験者たちは病気の末期患者である子供へのインタビューを聞かされた。一部の被験者たちは可能な限り客観的であり続けるように努めることを指示されて、別の被験者たちはその子供が感じていることを想像するように指示された。どちらの被験者たちも、治療の優先順位が高いと査定されている他の子供たちを差し置いて、インタビューをされた子供を治療待ちリストの先頭に移動させたいか、と質問された。子供が感じていることを想像するように指示された被験者たちのうち4分の3はそれを求めたが、客観的であるように指示された被験者たちは3分の1しかそれを求めなかった。

「一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計だ」。共感が個人に対する偏愛を高めさせ過ぎる一方で、大きな数字は私たちが持つべきである感情を麻痺させてしまう。最近、オレゴン州に基盤を持つ非営利団体である意思決定研究センター(Decision Research )が「同情の計算術(Arithmetic of Compassion)」というwebサイトを立ち上げた*3。"数字に対する麻痺 (numerical numbness)"を引き起こさせることなく大規模な問題に関する情報を人々に伝える、という能力を向上させることを目的としたサイトである。個人的で迫真的な物語がネットで急速に広まって公共政策にも影響を与える時代においては、人々がより広い視野から物事を見ることを手助けることよりも重要なことを想像するのは難しい。

 共感(empathy)に反対することは、同情(compassion)に反対することではない。『共感に反対する』の中でも最も興味深い節では、ブルームが共感と同情の違いをマチウ・リカールからいかにして習ったかということが書かれている。リカールは仏教僧であり、時には「地球上で最も幸福な男」と呼ばれる人だ*4。神経科学者のタニア・シンガー(苗字は一緒だが私とは無関係)は、彼女がリカールの脳をスキャンしている間に「同情的瞑想(compassion meditation)」を行うように彼に求めた。脳の中には通常なら人が他人の痛みに共感している時に活性化する部分があるのだが、同情的瞑想を行っているリカールの脳のなかではその部分で全く活動が行われていなかったことを見て、タニアは驚いた。他人の痛みに共感するように求められた時にはリカールも共感を行うことができたが、彼は共感を不快で消耗的なものだと見なした。対照的に、同情的瞑想は「強く向社会的な刺激を伴っている、暖かくてポジティブな心の状態」であるとリカールは表現している。

 タニアは、普段は瞑想を行わない人にも同情的瞑想が行えるようにトレーニングをした。同情的瞑想のトレーニングとは、その人にとって身近な人について思いやりをもって考えることから始めて、徐々により関係が遠くなっていく他人についても思いやりをもって考えていくことである。このようなトレーニングは、思いやりを持った行動につながる可能性がある。

 同情的瞑想は、時に「認識的共感(cognitive empathy)」と呼ばれるものに近い。私たちの感情ではなく、私たちの思考や他人についての理解を伴うものであるからだ。このことは、ブルームの著書の最後の重要なメッセージをもたらす。心理科学の進歩が、私たちの生活における理性の役割に対する軽視をどのようにしてもたらしたかについてのメッセージだ。

 慎重に考慮した結果であると思われていた私たちの選択や意見が、壁の色や部屋の匂いや手指消毒器が目の前にあるかどうか等の無関係な事柄に影響される可能性があることを研究者たちが示すと、彼らの発見は心理学の学会誌に掲載されるし、ポピュラー・メディアで大々的に取り上げられる可能性すらある。人々が関係のある証拠に基付いて意思決定を行うことを示す研究は発表するのが難しいし、取り上げられる頻度もずっと少ない。そのために、人間は分別のある方法で意思決定を行うという考え方に対する偏見が心理学にはビルトインされているのだ。

 ブルームは理性の役割について心理学一般よりも肯定的な見方をしているが、それは倫理についての正しい理解であると私が考えていることにも合致している。共感やその他の感情は、正しい行為をするように私たちを動機付けることも多いが、不正な行為をするように私たちを動機付けることも同じくらい多い。倫理的な意思決定においては、私たちの持つ理性の能力が果たすべき重要な役割が存在しているのだ。

 

 

Against Empathy: The Case for Rational Compassion

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関連記事:

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*1:

Shooting of Kathryn Steinle - Wikipedia

*2:

 

What a Fish Knows: The Inner Lives of Our Underwater Cousins

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*3:

www.arithmeticofcompassion.org

*4:訳注:リカールに関する参考サイト

president.jp

www.ted.com