道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

護心術としてのレトリック(読書メモ:『論証のレトリック - 古代ギリシアの言論の技術』)

 

論証のレトリック―古代ギリシアの言論の技術 (講談社現代新書)

論証のレトリック―古代ギリシアの言論の技術 (講談社現代新書)

 

 

 古代ギリシャのレトリックを概説した本。論理学的な内容も入っており、なかなか難しかった。

 ひとくちにレトリックといっても、説得術・論理学・修辞学の要素が入り混じっている。私が最も関心があるのは説得術の方なのだが、この本の「むすび」によると、中世になってから現代に至るまで文学的・詩学的な修辞学の要素ばかりが注目されて、弁論術的なレトリックはなかなか注目されてこなかったようだ。

 しかし、著者は「護心術」としてレトリック、とりわけ説得術を学ぶことの重要性を強調する。つまり、この情報化社会では詭弁によって情報を操作して人心誘導を企もうとしてくる勢力はどんどん増してくる。「どのような論証や論法なら、相手を説得できるか」ということを知っていることは、逆に言えば、「自分を説得しようとするために、相手はいまどんな論証や論法を使っているか」ということを見抜けるようになるということだ。

 

…弁論家といえども、ものを知っている人たちの前でなら、問題の事柄について知識のある専門家よりも説得力があるということはありません。しかしものを知らない人たちの前でなら、弁論家は、自分が知識をもっていないどんな事柄についても、その事柄の専門家よりも、説得力があるということなのです。レトリックのおかげで「知識のない者のほうが、知識のある者よりも、ものを知らない人たちの前でなら、もっと説得力がある」(四五九B)ということです。ここに人は誰でも、レトリックにまつわる大きな危険性をみてとることができるでしょう。(p.16)

 

 レトリック論の詳細としては、「エンドクサ」(通念)という概念が特に印象に残った。

 

「エンドクサ」「人々に共通見解」というのは、常識に他なりません。人が自分の専門外の事柄について考え、論じるときに拠り所となるのは常識です。そればかりではありません。専門家が自分の専門の事柄について語る場合でも、専門的知識をもたない大衆を相手にするならば、常識を通じてでなければわかってはもらえないでしょう。常識というのは、時代によっても社会によっても異なります。たとえば昔は「地球は不動である」というのが常識であったのが、いまは「地球は動く」というのが常識です。しかしまた、たとえば基本的人権の擁護というのはいまや世界の常識であっても、その人権の内容が異なるとすれば、基本的人権に関するある国での常識が他の国では通用しないこともあるわけです。

常識は専門的知識ほど精確ではありません。また常識がすべて専門的知識に由来するわけでもありません。たんに皆がそう思っているというだけの常識もあります。しかし専門的な事柄に関する常識というのは、専門家の得た知識が専門家でない大衆にもわかりやすく通俗化されることによって形成されるのです。そのような常識は知識に次ぐ確かさを持つということができるでしょう。常識は非専門家(大衆)からの、または非専門家向けの、あるいは非専門家どうしの、言論の基盤なのです。(p.23-24)

 

 また、イソクラテスという人に関する記述も興味深かった。

 

ソクラテスにとって「哲学」とは、プラトンのいうような哲学ではありません。問題とされる事柄について体系的な知識を探求する営みではないのです。イソクラテスの考え(『アンティドシス』二七一節)では、「何を為すべきか、何を語るべきか」について厳密な「知識」を獲得することは「人間の本性」にとってもともと「不可能」なのです。……そして「哲学者」(ピロソポス)とは「そのような思慮分別を最もすみやかに獲得するもとになる事柄の勉学に従事する人々」のことなのです。イソクラテスのいう「思慮分別」とは、実生活において何を為すべきかという政治的・倫理的な行為の規範にかんする健全な判断(ドクサ)にほかなりません。それをプラトンの哲学が求めるような精確な知識として獲得することはできないというのです。

しかも「思慮をもって行為される事柄は何ものも、言論の力なしには生じないこと、またあらゆる行動、あらゆる思想を導くものは言論であり、その言論を最もよく用いるのは最も多くの知性をもつ者である」(同上二五七節)とイソクラテスは主張します。思慮分別に裏づけられた言論、人々相互の説得こそが、野獣としての生からの脱却、国家社会の建設、法の制定、技術の発明など、われわれのあらゆる文化の確立をうながした(同上二五四節)とみとめるわけです。(p.56-57)

 

 この本のメインとなる部分は、古代ギリシアで論じられていた論証方法や説得術の詳細をまとめたものである。しかし、純粋に論証や説得についての知識を得たいなら、現代ならより実践的でわかりやすく説明しているビジネス書や教科書があるので、そちらを読んだ方が効率的だなという気はした。…だが、ビジネス書にはもちろん「護心術」としての側面は書かれておらず、むしろ詭弁を弄しても人心を誘導することが推奨されてしまうだろう。

 技術論ではなく、「レトリック」というもの自体についての向き合い方を考えるうえで参考になった、という感じの本だった。