道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

読書メモ:『ダーウィン・エコノミー 自由、競争、公益』

 

ダーウィン・エコノミー 自由、競争、公益

ダーウィン・エコノミー 自由、競争、公益

 

 

 この本の著者のロバート・フランクには1990年代から多数の著作を出版しており、最近のものでは『幸せとお金の経済学』や『成功する人は偶然を味方にする 運と成功の経済学』などがある*1正直に言うと、前著の二つの方が『ダーウィン・エコノミー』よりも面白い。『ダーウィン・エコノミー』はタイトルとは裏腹にダーウィンの進化論と経済学との関連性について書かれている箇所も少なく、アメリカで政治的影響力を振るっているリバタリアニストに対する批判や、著者が以前から提唱している「累進的消費税」の導入を始めとした税制改革の提案が主となっている。『幸せとお金の経済学』や『運と成功の経済学』が個人のキャリアや幸福について考えるきっかけとなったり「成功している人が豊かになれるのはその人の努力に対する当然の報いだ」といった通俗的な道徳観を問い直す内容であったのに比べると、やや内容が固くて焦点がぼやけている感じなのだ。

 

 それはそれとして、ロバート・フランクの著作では毎回のように強調されている概念がいくつかある。その中でも中心的になっているものが「地位財」と「非地位財」という概念だ。

 

他者との比較とは関係なく幸福が得られる財。健康・自由・愛情・良好な環境など。幸福感が長続きする。

非地位財(ヒチイザイ)とは - コトバンク

 

周囲と比較することで満足を得られる財。所得・財産・社会的地位・物的財など。幸福感は長続きしない。

地位財(チイザイ)とは - コトバンク

 

 フランクは、地位財と非地位財という二種類の財の存在をダーウィンによる自然淘汰の理論になぞらえて説明している。自然界でいえば、非地位財は「生存」に関する効用をもたらす、絶対的な価値のあるものだ(捕食者から逃れることに役立つ、早く走る能力など)。一方で地位財は「繁殖」に関する効用をもたらすものであり、その価値は相対的なものである(異性を惹きつけるのに役立つ、大きなツノなど)。そして、相対的な価値である非地位財は「周りよりも多くその財を得ている」状態でないと効用を発揮しないために「軍拡競争」の状態となり、その財を得るためのコストが吊り上げられてしまい、最終的にはみんなが非地位財に振り回されて全体的に不幸になってしまう。

 

 個人レベルの幸福論をみてみると、「お金持ちになったり高い地位についたりすれば幸福になれるわけではない」ということは一般論として昔から言われているし、ストア派の哲学はこのような一般論的な幸福論を洗練させたものであるといえる。また、「豊かな先進国の住民がそうでない国の住民より幸福であるとは限らない」「GDPの上昇と幸福が直結しているわけではない」という国レベルの幸福論も論じられるようになって久しい。個人レベルの幸福論に比べると国レベルの幸福論には反論できる箇所や突っ込みどころも多いようだが、それはそれとして「カネを稼いでエラくなってモノを買えれば幸せである」という認識は誤りであることが明らかになっているはずなのだ。

 …はずなのだが、人はついつい地位財に惹かれてしまい、それを手に入れることに躍起になってしまうようである。『ダーウィン・エコノミー』のなかで印象的だったのは、アメリカではティーンエイジャーの子供の誕生日パーティーや結婚式にかけられる費用が年々上がっているという話題である。また、「子供を通わせる学校のレベル」が明確に「地位財」として扱われているのも恐ろしいところだ。

 今さら言うまでもないことだろうが、広告やインターネットやSNSには地位財への欲求を煽る側面があるようだ。特に最近のSNSでは「〇〇大学を卒業した有能な誰それがGAFAだか中国企業だかに就職して初年度から〇〇万円稼いでいる」みたいな話ばっかり流れてきてうんざりさせられてしまう。さらに、これまでは他者と比較する必要がなかったので絶対的な効用が得られる非地位財であったものも、何もかもがエピソード化されて商業化されてしまう昨今にあっては地位財となってしまって、本来得られていた効用が失われてしまうおそれがある。ネットの一部の人々がミニマリストに対して異様な敵意を抱いていることや、良質な食事や音楽などそれを消費している本人たちは「非地位財」として楽しんでいるものが外側の人たちから「地位財」として認定されて貶められる傾向などなど、地位財の魔力とそれにとらわれた人たちについては掘り下げて考えてみることもできるかもしれない。

 

 フランクの著作で強調されるもう一つの概念は「運と成功の関係」である。つまり、前述したような「成功している人が豊かになれるのはその人の努力に対する当然の報いだ」という通俗的な道徳観は、実際の経済のメカニズムとは全くマッチしていないということだ。努力をしても成功できなかった人の存在はついつい軽視されがちだし、元々の環境が恵まれているために成功できたことが努力の結果と誤認されてしまうこともありがちである。また、特に現代の資本主義は「ウィナー・テイク・オール(勝者総取り)」のシステムになっており、成功者たちが得られる報酬はそうでなかった人たちが得られる報酬に比べて歪なまでに高額なものとなっている*2。…このような問題もこれまでにあちこちで散々指摘されていたことではあるが、地位財や非地位財に関する場合と同じく、人は「努力と成功は関連しているはずだし、成功と報酬は関連しているべきだ」という誤謬に振り回されてしまいがち、ということなのだ。

*1:

 

幸せとお金の経済学

幸せとお金の経済学

 

 

 

成功する人は偶然を味方にする 運と成功の経済学

成功する人は偶然を味方にする 運と成功の経済学

 

 

*2: