数年ぶりの再読。アメリカの「階級」に関する話題はトランプ当選以降に注目されるようになって、わたしもいくつかそれらの本の感想を書いてきたが*1、この本では階級間の政治的イデオロギーの違いはあまり重視されていない(むしろ、エリート階級のなかにはリベラルも保守もいる、ということが冒頭で指摘されている)。それよりも、もっと広い意味での価値観や文化、幸福や秩序などの、政治に比べて人々の生活に関わってくる地の足のついた側面が取り上げられていることがポイントだ。具体的な内容については、以下の書評をどうぞ。
『ベル・カーヴ』のおかげで「人種差別主義者」というイメージが強いマレーではあるが*2、差別主義者であるかどうかはともかく、保守主義者であることは間違いない。新上流階級と新下層階級との分断が進むことでコミュニティやソーシャル・キャピタルが崩壊して、人々が「人生の本質」を見失って「建国の美徳」が失われていく……と嘆く様子は、まさに保守のおっさんのそれだ。ロバート・パットナムの『孤独なボウリング』にかなり依拠した議論でありながら、提案する解決策は「小さな政府の実現」と、パットナムが主張するのとは真逆の方向であるところもどうかと思う*3。
しかし、以下のような文章は良くも悪くもウッとくる。
ソーシャル・キャピタルの衰退によって、白人下層階級の人々は、従来アメリカ人が幸福追求のために用いてきた基本的手段を奪われつつある。結婚、勤勉、正直、信仰の衰退についても同じことがいえるのではないだろうか。人生におけるこれら四つの側面は、個々人の好みで重要性が決まるたぐいのものではない。この四つは一体となって、人生の本質を形成しているのである。
(p.368)
人が人生で深い満足を得られるーーつまり幸福を得られるーー領域は何だろうか?その答えは四つしかない。家族、仕事、コミュニティ、そして信仰である。
(p.371)
ウッときたのは、わたし自身が、結婚からも仕事からもコミュニティからも見事に疎外された人生を歩んできており、もちろん信仰なんてものも持っていないためである(なお、わたしは日本に生まれて日本で育ってきたので、アメリカにおける階級の分断とかソーシャル・キャピタルの崩壊とかは、わたしが「人生の本質を形成している」ものから縁遠い人生を送ってきたこととは、無論なんの関係もない。ただたまたま運が悪かったり自分自身の意志でいろんなことから逃げてしまったりなどの色々な事情が重なってそうなったということだ)。
そして、自分自身がさして幸福でないことも自覚している。だからこそ、幸福に関する哲学や心理学の本も色々と読んでいるわけだが*4、それらの本のなかでも「幸福を得るためには、家族や友達や共同体と関わりながら、価値のある仕事を勤勉に真っ当に続けて、ほどほどに生きるのがいちばん」という主張がされているのである。そして『階級「断絶」社会アメリカ』でもアリストテレスの幸福論が引用されているように、幸福って良くも悪くも"保守的"なものであることは間違いないのだ。マレーとは真逆のカウンターカルチャー的な主張が、社会の分断をすすめて秩序を毀損することでけっきょく人々を生きづらく不幸にしてきた、ということも確かであるし*5。
わたし自身、そもそも保守的な傾向が強くて*6、たとえばアメリカの映画を見ていてどの登場人物も言葉使いが汚かったり不特定多数とセックスしまくっていたりドラッグや酒に溺れていたりすると「やあねえ」と眉をひそめてしまうタイプの人間である。だから、マレーの保守的で前時代的な問題意識には共感できるところもある。婚外子の増加が社会に悪影響を与えることを「進化心理学」と「遺伝学」に基づいて示唆しているところも(p.432~433)、やや危ういと思うがそういう言いづらい問題に切り込んでいこうとするところは評価できるだろう。
……しかし、だからといって、「ヨーロッパ・モデル」な福祉国家を否定して、「アメリカン・プロジェクト」を体現した小さな政府を押し出されるのはやっぱり勘弁してほしい。わたしが思い浮かぶ限り、マレーと同様の幸福論や社会論を語っている論者(ロバート・パットナム、ロバート・フランク、ジョセフ・ヒース、ジョナサン・ハイトなどなど)の大半はリバタリアニズムの問題点も重々承知しており、穏当な福祉国家の必要性を強調している。「結婚、勤勉、正直、信仰」と福祉国家も、両立できないことはないだろう*7。