この本は看護婦という仕事について哲学的に考察したり、看護の倫理について論じたものであるが、倫理学一般についても数章を割いて論じている。そして、この本の特徴は、『ケアリング』というタイトルからイメージされる内容とは裏腹に、いわゆる「ケアの倫理学」の考え方を批判していることだ。
この本では第5章「女性と倫理:道徳にジェンダーはあるのか?」でケア倫理の考え方が概観される。そして、著者によるケア倫理批判が行われるのは第6章「ケア対正義論争:装いを改めただけの旧来の議論?」および第7章「ケアリングには賛成だが、ケアの看護倫理には反対である」だ。
ケア倫理は義務論や功利主義などの既存の倫理学は「公平」や「原理」を重視しすぎており、道徳問題を抽象化して考えることその問題や関わる人々の固有の事情などの文脈を無視してしまうものだ、と批判する。
しかし、ケア倫理による既存倫理への批判は、多くの場合は的外れなものだ。たとえば「既存の倫理理論は問題の文脈を無視する」という批判は、絶対的な原則を強調するカント主義的な義務論に対しては当てはまるとしても、功利主義には当てはまらない。「…功利主義的な観点によれば、行為の正しさはもっぱらその結果次第で決まるのであり、そして当然ながら、ある行為の帰結は個々の状況によって異なる文脈次第で変わってくるからである」 (p.156)。そして、原則や公平を放棄するケア倫理は、恣意的で気まぐれなものになることが大半である。「理由」に基づいた行動の決定すら放棄するケア倫理では、ある事例においてはどのようにするべきであるか、という行動の指標にもなり得ない。
…「どのような場合にいかなる理由で」というこの問いには、ケアの価値や目的を明らかにし、道徳的根拠からその価値や目的を正当化してみせることでしか答えることができない。
しかしながら、ケアのアプローチの提唱者たちが、ケアはどのような価値に根差しているのかを示してくれるとは期待できそうもない。ケアのアプローチの提唱者たちは、ケアは倫理にとって必要であるだけでなく、それだけで充分であり、ケアそのものが「善」なのだという確信に惑わされているからである。
(p.201)
この本ではケアの倫理の代表的論客であるネル・ノディングズが主な批判対象とされている。
ノッディングズが展開した人間関係に根差したケアの倫理には、そもそも内容らしい内容がなく、また視野の狭いものであり、平等や正義というような大きな問題に取り組むだけの実質をそなえていない。この倫理からは、現行の決まりや制度を「不正」であるとか「公正でない」と批判することができない。というのも、この倫理には自分の外部に持つべき道徳的視座が欠けているからであり、批判というのはそのような視座に立ってはじめて行えるものだからである。
(p.204)