道徳的動物日記

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『功利主義とは何か』

 

功利主義とは何か

功利主義とは何か

 

 

 おそらく現代の世界に現存する哲学者としていちばん有名で影響力のあるピーター・シンガーと、ポーランド出身のカタジナ・デ・ラザリ=ラデクの共著。原著はオックスフォード大学出版局のVery Short Introductions シリーズの一冊として刊行された。

 

Utilitarianism: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

Utilitarianism: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

 

 

 この二人には、倫理学者のヘンリー・シジウィックの思想を解説しながら現代における功利主義を主張する『The Point of View of the Universe: Sidgwick and Contemporary Ethics(宇宙の視点:シジウィックと現代倫理学)』という著作もある。この本については3年前の正月にこのブログで章ごとに内容を要約する記事を書いていた(力尽きてしまい、途中の章で止まってしまったが…)。

 

davitrice.hatenadiary.jp

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 同じ二人が書いている本だけあって、『功利主義とは何か』で書かれている内容は『宇宙の視点』で論じられていることと共通している点が多い。『宇宙の視点』でシジウィックを引用したりしながら詳細に解説されていた内容が、よりスマートで洗練した形で書かれている感じだ。

 ただし、Very Short Introductions(一冊でわかる)シリーズとはいえ書かれている内容はやや高度であり、倫理学における権利論と功利主義の対立関係や功利主義に関する一般的なイメージなどを知っていないと、理解するのが難しいところはあるかもしれない。

 以下では、気に入った部分のメモを箇条書きする。

 

・「功利主義はあまりに多くを要求しすぎだろうか?」という節においては、そもそも功利主義では「正しい人間」や「悪い人間」という観点で人を判断することはなく、あくまでその人の行為がもたらす善の多さに注目する、という点が強調される。そして、誰かを賞賛したり非難したりするという行為自体の正しさも、功利主義的な精査の対象となるのである。

功利主義は賞賛と非難について異なったアプローチを取る。功利主義的アプローチの鍵になるのは、「われわれは何をすべきか?」と「われわれは人々が何をしたら賞賛し、あるいは非難すべきなのか?」は別の問題だという点だ。誰かを賞賛する、あるいは非難するということは一つの行為であり、その帰結に基づいた評価を受けねばならない。

(p.95)

 

 実際、功利主義的な考え方を多少なりとも内面化すると、誰かの人格や人間性自体を道徳的に非難する、という発想が薄れていく感じはある*1。「罪を悪んで人を悪まず」ということだ。現代的な犯罪予防政策やモラルハザード対策というものも、基本的には罪を犯した個人よりもその罪が起きるような環境や制度に焦点を当てて改善していくものになっているだろう。功利主義が現代に適した倫理学理論である所以のひとつと言えるかもしれない。

 また、アラステア・ノークロスによる「スカラー功利主義」論についての解説も印象的だった。

 

それは、行為は「それが幸福を推進する程度に応じて正しく、幸福の反対をもたらす程度に応じて不正である」というジョン・スチュアート・ミル功利主義の定義の用語法によって示唆されたものだ。しかし、比較的最近まで、この定義によれば行為は「より多く正 more right」だったり「より少なく正 less right」だったりするということが可能だ、という示唆に誰もほとんど注目してこなかった。

…おそらくわれわれは、正と不正という観念や、義務を果たすか果たさないかといった観念を捨てるべきなのだろう。その代わりに、われわれの与える量が増えれば増えるほどわれわれの行為はよりよくなる、と言うべきではないか?

(p.95-96)

 

 マイケル・シャーマーも著作『道徳の弧』のなかで、「定性的」な道徳判断から「定量的」な道徳判断への移行を唱えていた。人間の心理の性質として、(特に道徳に関するような)物事を判断するときには「1か0か」という定性的な判断してしまいがちなのであるが、複雑化する現代社会における道徳判断はもっと微妙で、中間的なものを考慮できる定量的な判断が必要とされるのである。

 

功利主義への反論としてありがちな「経験機械」論について再反論している箇所から引用。

 

完璧な偽造以上のものをわれわれが欲するのは、疑いもなく、われわれの進化の産物であり、われわれが理性的に擁護できる選好ではない。

…われわれが経験機械に入りたがらないのは、われわれの多くの他の決定と同じように、「現状バイアス」の結果のようだ。われわれは自分が慣れているものを好む。変化するのは余分の努力であり、しかも危険だ。だからわれわれが自分の知っている世界を離れて機械に繋がれることを望まないのには何の不思議もないーー特にわれわれはその機会がうまく機能するかどうかさえ確信が持てないのだから。

(p.72-73)

 

 このほかにも、様々な架空の事例や思考実験を持ち出して、それらに功利主義の理論で応えようとすると「直観に反する」結果となってしまう、という批判は定番である。それに対して、著者たちは「直観」自体の不確かさや恣意性を指摘することで反論するのだ。

 ジョシュア・グリーンポール・ブルームスティーブン・ピンカーなど、心理学や進化論の知見を参照しながら直観や道徳感情の問題性を指摘して、それらの感情に左右されない結論を導き出せる功利主義の優位性や、複雑な現代社会における功利主義の必要性を説く論者はほかにも数多くいる。

 倫理学の入門書などでは未だに思考実験からの功利主義批判が定番となっている感があるが、そろそろアップデートされてもよいだろう。

 

・「感覚ある存在者を超えた価値」の節(p.67~)や「人口のパズル」(p.138~)の節は、いま流行りの反出生主義とも関係してくるところだ。

 

・最後の一文は印象的。

 

ますます多くの科学者が幸福の測定にたずさわり、幸福をもたらすのは何かを理解しつつあるので、公共政策の基本的目標としての幸福という概念は支持を得ている。このことを知ったらベンサムも喜ぶだろう。

(p.143)

 

 ・第2章の「正当化」はある意味でいちばん複雑で専門的な箇所であるが、重要な箇所だ。功利主義への反論に対する再反論や功利主義の応用方法などについての解説よりも、功利主義の理論自体の正当化の方が解説が難しいのである。

 この章では功利主義創始者として有名なベンサムやミルのみならず、シジウィックやハーサニィやスマートなどの創始者以降の功利主義者たちを紹介しながら、正当化が洗練されていく過程が簡潔に紹介されている。

 

・各人は一人として数えられるべきで、誰も一人以上に数えられるべきではないというベンサムの考え方。ミルもこれを支持した。

・いかなる個人の福利も他の個人の福利と同等なものとみなすべしというシジウィックの要請。

・われわれが選択を行う集団のすべての成員の間で公平であることを強いる無知の立場をハーサニィが選択したこと。

・一般化された善行に関するスマートの感情。

・われわれの行為によって影響を受ける者すべての立場に自分を置いてみることを要求するヘアの道徳的言語の分析。

(p.36)

 

  上記で要約されているものの他にも、たとえばシジウィックによる「常識道徳」の分析も重要だ。

 

…常識道徳はわれわれに決して嘘をつくなとは言わない。しかし、例外に関する何らかの手引きを得られるようなかたちでその規則を洗練しようとした途端に、こうした規則の明確性や一見したところの自明性は崩壊する。「……以外の時には真実を語れ」は、そうした例外それ自体が明白で自明でなければ、自明の道徳的真理となりえない。

これはシジウィックによる常識道徳の広範な分析の一例にすぎない。その要点は、常識道徳の原則は、留保や例外をすべて伏したなら、自明ではなく、より深い説明を必要とするようになる、ということだ。その深い説明とは、それらはより大きな善に向けたわれわれの活動を案内する手段である、というものだ。

(p.27)

 

・第1章の「起源」では、古代ギリシアエピクロス派のみならず、墨子の思想にも功利主義的な要素があることが指摘されている。そして、「仏教の思想は功利主義的な傾向を持つ」ともされているのだ。

 

というのは、それは感覚を持つあらゆる存在への共感を滋養することによって、苦しみーー自分自身と他の人々の苦しみーーを現象させるよう信徒たちに説くからだ。

(p.2)

 

「感覚を持つあらゆる存在」とは、仏教用語でいう「有情」のことである。

 

blog.buddha-osie.com

 

 最近ではアルファツイッタラーが「有情」の概念を理解せずに仏教とヴィーガンを比較して後者を非難するツイートを行なっていた。しかしまあ、日本の仏教には「草木国土悉皆成仏」の思想も入っているために「有情」の概念が忘れがられちという面はあるのだろう。いずれせよ、仏教と功利主義の共通点という発想は普段は意識されないので面白い。

 

*1:ただし、規則功利主義や二層功利主義においては規範を破る人の人間性を非難することも必要なものとされるかもしれないが。