どちらも日本人の哲学者によって書かれた動物倫理学の入門書であり、同時期に出版された*1。基本的な構成はどちらも似ていて、動物の権利論をはじめとする「理論」が解説された後で、畜産・動物実験・コンパニオンアニマル・野生動物などの各場面における現状の問題の解説と「これからどうすべきか」という規範的な提言がなされている。
終章では、『ベジタリアン哲学者の動物倫理入門』ではキリスト教と仏教の考え方、『はじめての動物倫理学』ではマルクス主義の考え方に基づいて動物倫理のトピックが論じられており、ここのあたりに著者らのオリジナリティがあらわれていると言えるだろう。
また、『はじめての動物倫理学』では功利主義・権利論・徳倫理という規範倫理学の御三家の考え方が紹介されてそれぞれの具体的な問題について「功利主義ならこうなるけど権利論ならこうなる」という風に解説がなされるのに対して、『ベジタリアン哲学者の動物倫理入門』ではどのトピックについても原則的に著者が提言する「基本的動物権」の議論に基づいて論じられており他の理論についてはほぼほぼ言及されない。とはいえ、動物倫理学においてはどんな理論を使ったところで「肉食は止めるべきだ」「動物実験も(ほとんどは)止めるべきだ」といった結論になるわけであり、たとえば功利主義なら「(ほとんどは)」という留保が付くところが権利論では付かなくなる、というくらいの違いしかないとはいえる。むしろ、ひとつの考え方に限定して様々な問題を論じるぶん、「動物倫理学では物事についてこう考える」という考え方や思考のコアみたいなものは『ベジタリアン哲学者の動物倫理入門』のほうが伝わってくる。それに比べると『はじめての動物倫理学』は新書本という体裁もあってか読み味が薄い部分があることは否めない。
また、日本における畜産や動物実験や競馬などの実態が数値的な情報をふくめて詳細に書かれているのも『ベジタリアン哲学者の動物倫理入門』のいいところだ。
……とはいえ、功利主義にシンパシーを感じているわたしからすると、『ベジタリアン哲学者の動物倫理入門』で提示されているような権利論にはやはりいろいろと苦しい部分があるなと思わざるを得ない。まとめると「人間は道徳の存在を理解できて自分の行動を律せられる倫理的存在なので、動物の権利を尊重する義務はあるが、動物は倫理的存在ではないので義務を負わない」ということになるはずだが、この考え方に対して動物倫理学に馴染みのない人が「傲慢だ」と非難したり「相手が義務を負わないのにこちらだけ一方的に義務を負うのはおかしい」と反発したりする姿は容易に想像できる*2。また、いくつかのレビューや感想を見たところ、第四章における野生動物に関する議論についてはわたしだけでなく他の読者たちも「説得力に乏しい」と感じているようであり、とくにこの問題については権利論ではスジが悪いことを改めて認識させられた*3。
*1:この二冊を取り上げている記事の例。
*2:
……すべての動物に、生命権と身体の安全保障権と行動の自由権という基本的動物権があります。しかし、人間だけが基本的動物権を尊重する義務を負います。どうしてでしょうか。私はこれまで、人間と他の動物の共通性を強調してきました。人間は理性的動物です。この動物性を人間と他の動物は共有しています。ところが動物の中で人間だけが理性的です。いや、これはちょっと単純に言いすぎたかもしれません。人間以外の動物の中にも、記憶能力や計算能力、推論能力や言語能力がありそうです。道徳的能力だって、あるかもしれません。しかしながら、私たち人間の自己理解では、人間だけが自分自身を反省し、道徳的観点から自由に自らの行動を律することができます。こういう高度な道徳的理性は人間に固有の特徴です。これが人間の素晴らしい能力です。この能力があるから、人間は理性を発達・開花させ、自分のことだけでなく他の動物のことも考えて道徳的に振る舞うべきなのです。
(p.20)
*3:家畜や動物実験の問題に比べて加害-被害の関係や責任の所在がはっきりしなくて複雑な野生動物の問題に関しては、功利主義のようにシンプルな原則か、あるいは政治哲学的な複雑で曖昧な議論か、どちらかで論じたほうがよいだろう。