道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

なぜ、不倫されたら傷付いて、嫉妬するのか?(読書メモ:『不倫と結婚』)

 

不倫と結婚

不倫と結婚

 

 

 著者のエスター・ペレルはセラピストであり、多数のカップルの不倫問題について現場で扱ってきた。この本は著者がセラピーしてきた男女たちによる様々な事例に基づきながら、「不倫」という事象についていくつもの角度から分析されている。

 内容は理論的なものではなく、事例の紹介がダラダラと続くだけという感じもあるのだが、実際の男女がおこなう不倫を直視してきた人ならではの、含蓄のある考察も豊富に挿入されている。

 

離婚の即断は人間のあやまちや弱さをまったく酌量しない。それはまた、二人の関係を修復することでより強い関係を作って立ち直る余地をまったく残さない。

(……中略……)

「こんなふうに互いに対して真に正直になるためには、不倫を経験するしかなかったのでしょうか?」私はこの台詞を頻繁に耳にし、そして彼らの後悔を共有する。しかし、恋人/夫婦関係についての語られない真実がここにあるーーすなわち、多くのカップルにとっては、パートナーの注意を喚起し、淀んだシステムを揺さぶるパワーは、不倫くらい極端なものにしかないのだ。

(p.25)

 

・第二章では「不倫の定義」について論じられ、第三章では過去から現代における不倫の定義の変化が扱われる。

 結婚や一夫一婦制に対して著者が抱いている見解はどちらかというと社会学的なものであるが、ヘレン・フィッシャーなどの心理学者/進化論者による生物学的な見解についても言及されている。

 また、著者はギデンズの『親密性の変容』などを参照しながら、現代ではセックスは自己表現やアイデンティティと分かちがたく結びついていることを指摘している。

 そして、現代人は、自分がセックスによる欲望や満足を追求することは、なにがしかの「権利」と保証されるべき行為だ、という感覚も持つようになった。……そのために、パートナーとのセックスや生活に不満を抱いた人は、「自分はほかの相手とセックスするべきではないか」と思うようになる。自分には幸福を追求する権利が保証されているのなら、その権利を活用しないほうがむしろ間違っている、というわけだ。

 しかし、結婚とは「互いを束縛して、性的な自由を手放す」という決断をすることのはずである。結婚の意義のひとつは「自分はほかの人を伴侶に選ぶという可能性を捨てて、あなたを選んだ」という忠誠を相手に示して、そして相手からも同じように忠誠を示されることにある。だが、不倫をされてしまったら、「自分は相手にとって特別な人なんだ」という気持ちが吹っ飛んでしまうだろう。

「幸福を追求する権利」に基づく自由主義的な考え方と、ロマンチック・ラブの理想に基づいた結婚とは、そもそもが相容れないものであるのだ。

 

昨今の個人主義社会は不思議な矛盾を生み出している。貞節へのニーズが激しく高まっているのに、不倫の引力もまた強くなっているのだ。人々が心理的にパートナーに大きく依存している今ほど、不倫が強い破壊力をもったことはない。しかし同時に、自己の充足を命じられ、もっと幸せになれるという約束に誘惑される文化の中にいる今ほど、人々が不倫したい気持ちにさせられたこともないのだ。きっとこれが、人々がかつてないほど不倫に走りながらも、かつてないほど不倫を糾弾する理由なのだろう。

(p.71)

 

 ……とはいえ、上記のような事情はすべての先進国で普遍的であるというわけでもなく、とりわけアメリカで極端になっているものだろう。幸福という事柄については他の国々の人たちはアメリカ人よりも賢いので、「欲望を追求してばかりいたら逆に不幸になってしまう」というパラドックスの存在に多かれ少なかれ気が付いているはずだ*1

 

・第四章の章題は「なぜこんなにも傷つくのか」であり、不倫をされた側の人々が負う心の痛みについて書かれている。

 不倫はカップルの現在や未来だけでなく、ふたりで一緒に築いてきた過去の思い出も遡及的にダメージを与えてしまう、という指摘は重要だ。相思相愛だと信じながらおこなっていたデートやセックスのあいだにも、相手は別の異性のことを想っていたかもしれない。そのような疑念が芽生えると、想い出は心の支えにならなくなり、それどころか、過去を思い出すたびに傷付いて現在の相手に対する怒りや失望が増してしまう。

 人間のアイデンティティの大部分はその人のライフストーリーに占められていることを考慮すると、不倫されることは、自分のアイデンティティを剥奪されてしまうことでもある。……そして、個人主義の社会ほど、不倫によるアイデンティティの剥奪で受けるダメージは大きい。伝統的社会の場合には地域や親族のコミュニティにアイデンティティの拠り所を分散させることができる(また、「男は浮気するものだ」という昔ながらの通念が強い社会では、そもそも女性は結婚しても男性に対する期待や信頼を抱かないので、不倫によるダメージも減る)。しかし、地域や親族との縁が薄い現代人にとっては、「自分が選んだ人」が自分のアイデンティティ支柱となってしまうのである。

 というわけで、パートナーに捨てられてしまったときのダメージを抑制するためにも、あらかじめアイデンティティを分割して別のところにも預けておくべきだ。その対象は、同性の友人が特におすすめであるだろう*2。また、もし不倫されてしまったら、自分が前からしたいと思っていたことをしたり贅沢をしたりするなど、「自分がどんな人間であるかは自分が決める」という考え方を行動によって実践して、自尊心を取り戻すことも大切である。

 なお、相手が過去の恋人と「焼けぼっくいに火が付いた」的に不倫してしまったときには、受けるダメージはとりわけ深刻なものとなる。相手に選ばれて結婚したときにも相手は過去の相手のことを想っていたのかもしれず、自分が相手にとっての「最愛の人」であったというタイミングは一度たりともなかったかもしれない、という疑念が強くなってしまうからだ。

 

・第六章では「嫉妬」というテーマが扱われる。

 著者は、現代の人間は「自分が嫉妬の感情を抱いていること」をなかなか認めようとしない、という点を指摘している。

 たとえばパーティーで自分の恋人がほかの男女とイチャついている姿を見たときに、不愉快になったりイラっとしたりしても、大半の人は嫉妬の感情を表に出そうとはしない。嫉妬していることがバレてしまうと、自分の感情の支配権を相手に握られているということが伝わってしまう。プライドが傷付くだけでなく、パーティーが終わったあとにも、カップルにおける自分の立場が不利なものになってしまいかねない。だから、嫉妬していてもおくびに出さず、ポーカーフェイスであるように努める……とはいえ、ほとんどの場合、努力も虚しく自分が嫉妬をしていることは恋人からは筒抜けであるのだけれど。

 さらに、現代では、嫉妬の感情は非倫理的なものであるとされている。

 

だが、嫉妬はいつの時代にも否定されていたわけではなかった。社会学者のゴードン・クラントンはそのテーマについて、過去四五年間分のアメリカの人気雑誌を分析した。一九七〇年代までは、嫉妬は一般的に愛に内在する自然な感情だと見なされていた。嫉妬についてのアドバイスは、はたしてほぼすべてが女性に向けられていて、そんな感情は自分の中に抑えて、夫に挑戦することは避けるよう助言されていた。 一九七〇年代以降、嫉妬は嫌われるようになり、しだいに古いタイプの結婚ーー男性の所有権が中枢にあり、女性の依存が避けられないーーのあるまじき遺物だと見なされるようになった。自由選択と平等主義の新時代になると、嫉妬は正当性を失い、恥ずべきものになった。「もし私が自由意志で他のすべての人を捨ててあなたを選び、あなたも自由意志で私を選んだのなら、あなたに対し独占欲を覚える必要はないはず」というロジックだ。

[イタリア人の哲学者であるジュリア・]シッサは嫉妬をテーマとした爽快な著書の中で、嫉妬はそれ自体がパラドックスだと言っている。つまり、嫉妬するには愛していなくてはならないが、愛しているなら嫉妬すべきでない。それでも私たちは嫉妬する。誰もが嫉妬のことを悪く言う。だから私たちは嫉妬を「許せない激情」として経験する。私たちは単に「嫉妬している」と認めることを許されないだけでなく、「嫉妬を感じる」ことも許されない。今日、嫉妬は政治的に正しくないのだと、彼女は警告する。

嫉妬にまつわる社会的バランスの見直しは、家父長制度的特権から抜け出す重要なシフトの一部だったが、おそらく度を越したのだろう。私たちの文化的理念は、時に私たち人間の傷つきやすさに我慢しきれなくなる。そして、愛につきものの傷つきやすやさ、心が自己弁護を必要とすることを、計算に入れ損なう。私たちがもし希望のすべてを一人の人間に託したら、私たちの依存性はいや増す。あらゆるカップルが、認めようが認めまいが、第三の人物の存在に脅かされながら暮らしている。そしてある意味、カップルの絆を強くしているのは、そんな潜在的な他者の存在なのである。

(……中略……)

嫉妬は矛盾だらけだ。ロラン・バルトの鋭い舌鋒によれば、嫉妬している人物は「四倍苦しむーー嫉妬しているから、嫉妬している自分を責めるから、自分の嫉妬が相手を傷つけるのではないかと恐れるから、そんな陳腐な感情に支配されているから。そしてのけ者にされることを恐れ、攻撃的になることを、気が変になることを、並の人間に成り下がることを恐れる」

(p.125 - 126)

 

 著者は嫉妬を「エロスの火花」とも形容している。

 不倫は、ときと場合によっては、消えていた情熱を再び燃え上がらせてカップルのセックスをより濃密なものとする。「自分を見捨てたばかりの相手と肉体的につながりたいという欲求は驚くほど一般的だ」(p.132)。間男とどんな行為をしていたかを問い詰めて言葉責めしながら妻を抱く男もいれば、夫が抱いていた自分よりも若くてスタイルのいい女になりきって行為する女性もいる。そうでなくても、手元にあって当たり前のものだと思っていた相手の身体が自分の手に届かないところにいってしまう可能性を直視させられることで、その貴重さや有り難さを再認識することができる。セックスレスを脱却するきっかけにもなる。嫉妬は、カップルの絆の修復剤にもなり得るのだ。

 なお、多夫多妻的な関係における嫉妬については、以下のように論じられている。

 

過去数年間、嫉妬についての昔ながらの考えや態度を打破しようと決意している人々に数多く出会った。そういった人々は、合意のもとノンモノガミー(非一夫一婦)を実行しているカップルの中に特に多く見られた。そのうち何人かはポリーの体験をもう一段レベルアップさせ、故意に嫉妬をセックスの刺激剤として使っていた。他の人々は嫉妬を超越しようと大変な努力をしていた。ポリアモリー[多重的恋愛や性愛を認め合う関係性]を実行する人々の多くが、自分たちは"コンパージョン"と呼ばれる新しい情動反応を身につけたと主張した。それは、パートナーが他の人とセックスを楽しんでいる場面を見て幸福を感じるという反応である。複数の性愛関係を認め合おうとする彼らは、積極的に嫉妬を乗り越えようとしている。嫉妬を、自分たちが超えようとしている所有的関係の枠組みの本質的な一部だと見なしているのだ。

「時には、彼女が私以外の(女性の)恋人たちの一人といるのを見ると、確かに嫉妬を感じるわ」アナは私に言った。「でも、そんなときは自分に言い聞かせるの。それは私の気持ちだから、それをどう扱うかは私にかかってるんだって。彼女が誰かを誘惑したからって彼女を責めはしないし、彼女の自由を制限するような行動をとることを私は自分に許さない。彼女は私にそんな行動をとらせるような挑発的なことをわざとはしないし、私も彼女に対してそれは同じ。でも、互いの気持ちまでは責任はもてない」これは従来型のカップルから典型的に耳にする態度ではない。彼らは相手を不必要に動揺させるような態度は慎むことを互いに求める傾向にある。とはいえ、私は強烈な嫉妬の攻撃に苦しむノンモノガミーのカップルに数多く会ってきた。

(p.142-143)

 

・不倫をされたこと自体よりも、相手が不倫の事実を隠すために嘘を吐きつづけたことのほうで傷付いてしまう人も多い。これもアメリカでは特に顕著だ(他の国に比べても、アメリカでは「嘘」はとりわけ不道徳的な行為とされている)。そのため、不倫が発覚したあとには、「もう嘘を吐く余地を残させないため」という名目で相手のことを徹底的にコントロールしようとする人もいる。……とはいえ、離婚せずに結婚生活を継続する気があるなら、このような行為は信頼が回復するスピードを遅くして正常な関係への復帰を妨げるものでしかない。それに、いくらコントロールしたところで、相手がまた「不倫したい」と思ってしまったら、止めることはできないのだ。

 

・結婚生活に問題なく、カップルの双方が互いに対して不満を抱いていなかったり、精神的にも安定していても、不倫が起こる場合はある。不倫は、不健康な結婚生活が引き起こす「症状」であるとは限らないのだ。

 たとえば、相手ではなく現在の自分自身に対して不満を抱いている人が、「自分さがし」の一環として不倫をしてしまうことは多い。先述したように、現代ではセックスは自己表現に欠かせないものとされている。そして、現実と切っても離せない結婚生活と比べて不倫関係には空想的な要素が強いために、よりロマンティックでドラマチックなものとなりやすいのだ。映画『マディソン郡の橋』では保守的な田舎町の人妻(メリル・ストリープ)が、たまたま町を訪れた冒険的で都会的なカメラマン(クリント・イーストウッド)と数日間だけの情熱的な不倫関係を経験するが、非日常的な関係によって日々の倦怠から「脱却」することは、物語のなかに限らず現実の不倫においてもメジャーな要素となっているのである。

 らに、配偶者に対して秘密を抱えたり社会の良識を破ったりなどの逸脱行為をすること自体に、高揚や性的な興奮を感じてしまう人も多い。つまり、愛する相手との結婚生活という真っ当な方法では味わえない快感が不倫のなかには存在している。だから、配偶者がどれだけ素晴らしい人でありその人のことを愛しているとしても、不倫ならではのファンタジーや快感を求めてしまう人はいるものなのだ。

 

・そのほかにも、不倫の「共犯者」である愛人たちの側の言い分とか、不倫の後の結婚生活がどうなるか、などなどの様々なトピックについて章ごとに考察がなされている。冒頭にも書いたように所詮は事例集であり、アカデミックな理論が背景にあるわけでもないから、物足りないところも多い。だけどまあ不倫というテーマに興味がある人は必読な本であることは間違いないだろう。 

 

*1:「自分は幸福になれる権利があるはずだ」と思って幸福を追求し過ぎることで不幸になってしまうアメリカ人たちの姿は、映画の題材としても定番のものだ。

theeigadiary.hatenablog.com

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*2:

gendai.ismedia.jp

妻(家族)への依存と同性の友人の少なさは、男性の自殺率の高さの一因ともなっている。