道徳的動物日記

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文芸時評って意味あるの?

 

 わざわざブログ記事にするほどの内容でもないんだけれど、しばらくTwitterに書き込むことはお休みすることにしたので、こっちに書く。

 

togetter.com

 

 この件が話題なので、朝日新聞にログインして、問題の文芸時評を読んでみた。

 

www.asahi.com

 

 読んでみて思ったのだが、こんな文章から読者が何かしらの知見なり洞察なりが得られるとはとうてい思えない。


 たまたま今月に発売されることになった小川公代の『ケアの倫理とエンパワメント』にかこつけて、たまたま今月に雑誌とかに掲載された作品群のなかから「ケア」について関りがあったりなかったりする作品を連想ゲーム的にいくつか取り上げて紹介しているだけ。それも数本の作品を取り上げているうえに枕や結びの文章も含まれているので、「ケアの倫理」やその背景にあるフェミニズム的発想にかこつけながら1800字強という字数のなかで個々の作品についてあらすじも紹介しつつ批評を行う、というのはどう考えても無理がある。

 今回に限ったことではなく、同じ評者の過去の文芸時評も、「有害な男らしさ」論とかサンデルのメリトクラシー論とかのフェミニズムに関連があったりリベラルっぽかったりする流行りのキーワードにかこつけつつ複数の作品について浅く紹介する、というのが基本になっているようだ。

 

book.asahi.com

 

 こんなもので、作品についての新しい見方を提示したり価値づけをおこなったりする"批評"が成立しているとはとてもいえない。

 

theeigadiary.hatenablog.com

 

 

 とはいえ、この問題は評者が批評家としてとりわけ浅薄であったり無能であったりするということではなく、文芸時評というフォーマットのほうに起因しているように思える。


 ほかの新聞社の文芸時評もついでに確認したところ、いずれも、1000字~2000字の字数のなかで、流行りのキーワードなり昨今の社会情勢と絡ませながら、(多くの場合に)複数の作品について評する、という形式になっているようだ。……こんなの、どう考えても無理がある。作品について"批評"するどころか、"紹介"することだって満足にできやしない。こんな条件のなかで無理に"批評"っぽいことをしようとしたら、作品に対する客観的でフェアな姿勢が失われて、冒頭のTogetterのような問題が起こることもむべなるかなという感じだ。かといって"紹介"に徹するとしても、この字数だと読者に「面白そうだ、読んでみよう」と思わせることすら難しいだろう。

 

 Twitterでは作家側に対する同情の声が多く、評者に対しては批判的な声が多い。しかし、文芸界に関わっているらしい「業界人」の人たちのなかには評者を擁護している声のほうが目立つ。
 ……だが、わたしには、そもそも「文芸時評」というフォーマット自体が、擁護に値しないように思える。「業界人」たちの思惑をなんとなく察すると、「そもそも文学が目立たなくなったり売れなくなったりする昨今では、たとえ字数が足りないとしても全国紙に文芸時評の欄が存在するだけで御の字だ」ということかもしれない。しかし、こんなクオリティの文章が全国紙に掲載されることで、読者たちに「批評ってこんな程度のものなんだな」とか「文学とかフィクションとかについて語るときってこういう風にしとけばいいんだな」と思わせるようになるという点では、無意味であるどころか有害ですらあるはずだ。