道徳的動物日記

人々の議論を眺めながら考えたことや読んだ本の感想など。このブログは利益や金銭目的ではなく人々に対する啓蒙のために書かれています。ありがたがれ。

フランシス・フクヤマの『IDENTITY 尊厳の欲求と憤りの政治』

 

IDENTITY (アイデンティティ) 尊厳の欲求と憤りの政治

IDENTITY (アイデンティティ) 尊厳の欲求と憤りの政治

 

 

 この本は途中まで原著で読んでいたのだが、全14章のうち5章まで読んだ時点で放置しているうちに翻訳が出版されてしまったので、そちらを読んだ*1

 

 アメリカではドナルド・トランプが大統領に就任したことをきっかけに「アイデンティティ・ポリティクス」を批判する議論が盛んになった*2マーク・リラがニューヨークタイムスに投稿した記事や、その記事の内容を発展させた著書『リベラル再生宣言』が特に有名なものであるだろう。この本でフクヤマが展開している議論も、基本的にはリラやその他のアイデンティティ・ポリティクス批判者が行なっているものと同様のものだ。

 この本と類書を分ける特徴としては、プラトンが記した「テューモス(承認欲求)」「アイソサミア(対等願望)」「メガロサミア(優越願望)」などの古代哲学の概念や、ルターやルソーにおける自己決定の議論など、哲学史の観点から現代におけるアイデンティティ政治や政治的分断を分析しているところだ。特に「テューモス」や「メガロサミア」などを用いた分析はフクヤマの主著『歴史の終わり』の延長線上にあるものだ。

 とはいえ、本書で展開されている議論は他の「反・アイデンティティポリティクス」論者たちの著作と同工異曲なものである。要約すると以下のようなものだ。ナショナル・アイデンティティが喪失した現代のアメリカでは、人種や性別に基づいたアイデンティティ集団が乱立して互いに反目しあっている。左派がアイデンティティ政治を後押ししてしまったことが、皮肉にも右派ポピュリストが躍進する土壌を作ってしまった。社会の分断やポピュリストの横暴を抑えるためには、人種によらないナショナル・アイデンティティを強調することによって国民を一体化しなければいけない…。ただし、フクヤマの師匠筋であるサミュエル・ハンティントンの『分断されるアメリカ』が参照されているところは印象深い*3

 

 残りの感想は箇条書きで。

 

・「アメリカは移民国家であるから移民に反対することは間違っている」というのはよくアメリカ国外の人が言う批判ではあるし、アイデンティティ・ポリティクスを批判する論者ですらアメリカ独特の「理念」によるアイデンティティの統合の可能性を論じてきた。しかし、この本の第13章では、歴史的にはアメリカのアイデンティティは「理念」ではなく「宗教と民族」に基づいて構成されてきたことを指摘している。もちろんフクヤマも「アメリカのアイデンティティは民族や宗教に基づいて構成されるべきだ」とは主張しないが(そんなことを言ったらアジア系であるフクヤマ自身がアメリカのアイデンティティから排斥されることになる)、「民主主義の成功にとって、「理念のアイデンティティ」は必要条件だが十分条件ではない」とは主張している(p.217)。そして、(ハンティントンが論じたように)プロテスタントの労働倫理を強調しながら、「特定の集団に紐づけされていない積極的な徳が必要だ」と説くのである(p.217)。

 

・地方に在住する伝統的で宗教的な白人は、ハリウッド映画に対して「自分たちのような人間が注目されることはない。たまにばかにされるために登場するぐらいだ」と言う感情を抱いているそうだ(p.167)。実際、私もハリウッド映画を見ていると保守的で田舎在住の白人に対する扱いがひどすぎて辟易することは多々ある(イギリスが舞台の映画でわざわざアメリカ南部の教会に行って主人公が(差別主義者の)白人を虐殺する『キングスマン』は最悪だったし、そこまで極端でなくても、保守的な人物がストーリー上の邪魔者や障壁としてしか描かれていない作品は枚挙にいとまがない)。

 

・ルソー的な「コミュニティや社会から独立した一人の人間としてのアイデンティティ」という考え方とマズロー欲求段階説、そして1960年代の人間性回復運動と1990年代以降における自尊心回復運動との関係性について論じた箇所は興味深かった(第10章)。

 

・マジョリティであるがゆえにメディアなどで取り上げられたり尊重されたりしない、という現代の主流派の白人が持っている感覚を、黒人作家であるラルフ・エリスン『見えない人間』に絡めて論じるのもなかなか秀逸だと思った。「承認欲求」や「尊厳」を分析の軸に据えている本書ならではである。

 

・個人的にも、「承認欲求」や「対等願望」「優越願望」に関しては、日々の生活で色々と感じることがある。収入や地位や実績がないために他者から「目も向けられない」という感覚は確かに尊厳を傷つけられるものだ。また、権力や収入がある人であっても、満たしきれない「優越願望」を満たすために下品な振る舞いをしたり他人に迷惑をかけたりする行為をしてしまう事例は頻繁に目にかける。インターネットや新しいメディアの存在はアイデンティティの分断や対立を生み出すだけでなく、「承認欲求」や「優越願望」の肥大化を生み出すわけだ。その点では、アイデンティティの対立が(アメリカに比べると)あまり存在しない日本においても、別の形で社会に歪みがもたらされている可能性は高いだろう。

*1:2章までの感想はこの記事にまとめている。

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*2:当時の記事。

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*3:

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