道徳的動物日記

倫理学、社会科学、時事問題、世相などについて論じます。

読書メモ:『AI時代の労働の哲学』

 

AI時代の労働の哲学 (講談社選書メチエ)

AI時代の労働の哲学 (講談社選書メチエ)

 

 

 人工知能と労働の哲学、といえば「人工知能が発達してシンギュラリティを起こして人間を凌駕する存在になる」ことを前提として、そこから「社会の生産性がすごくなるので人間は働かなくて良くなりみんなが好きなことをして生きていけるようになる」的な楽観論か「仕事を人工知能に代替されることない一握りのエリート階層の人間と、仕事を奪われて失業してしまう大多数の底辺階層の人間とに分かれてしまう」的な悲観論のどっちかを唱える、というのがありがちだ。流行りのベーシックインカムなんかも、前者の場合には人間が好きなことをして生きていけるのを保証するというポジティブなイメージで描かれるが、後者の場合は底辺階層の人間たちが最低限の生活を過ごせるようにするためにお情けで与えられるものというネガティブなイメージで描かれてしまう。

 しかし、この本ではシンギュラリティがどうこうとか「人間による労働が消滅する」みたいな大風呂敷は広げられない。あくまでこれまでの社会の中で起こってきた技術革新や機械化の延長にあるものとしてAIの発展を捉えて、スミスやマルクスやロックやリカードなどの経済学の古典を紐解きながら「労働」や「雇用」や「資本」や「疎外」といった基本的な単語が何を意味するのかということについて地道に再確認しつつ、これまでに起こってきた機械化とこれから起こるAI化の共通点と相違点を考えていく…という、地に足の着いた論じ方がなされている。

 とはいえ、本の後半では人工知能の発展がもたらす「人/物」の二分法の解体や倫理観の変化、これまでに以上に経済活動の高次な側面に参入するようになった人工知能がもはや「人間」として我々の前にたちあらわれる…といったSF的な部分もある未来予想図も展開されている。

 

「労働の哲学」の本ではあるが、前半は概念整理の思想史、後半は抽象的な未来予想図がメインであり、たとえば『働くことの哲学』のように一般的な労働者が自分の経験と照らし合わせながら実感を持って読めるようなタイプの本ではないし、未来予想図についても豊富な具体例を示してくれる『大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか』のようにわかりやすくはない。たとえば、私自身としては最近は特に「疎外」概念に関心を持っているのだが、この本の第4章「機械、AIと疎外」で展開されている疎外や「物神性」「物象化」などに関する議論は、思想史的な概念整理としての正確性はともかく、納得感みたいなものはほとんど抱けなかった。

 

 ところで、この147〜149ページでは、カント主義や功利主義が実体的な「人間」概念を取りこぼしたことに対する20世紀終盤におけるアリストテレス的な徳倫理の復活、それの副作用としての「あからさまに人間を序列付ける発想の密輸入」(p.148)が指摘されている。たしかに、近年の英語圏倫理学・哲学や、哲学的知見をふまえたタイプの心理学や社会学の本なんかを読んでいると、古代哲学的な「徳」概念が注目されていることはありありと見て取れる。…一方で、日本では、普段の会話とかネットとかにあらわれる一般の人々の意見を見てみると「徳」概念に関する意識なんて全くなくて、「AIで生産性が上昇してその成果が再分配されてみんなが働かずにラクに生きていけるならそれがベストだ」的な、世俗的な意味での「功利主義」的人間観にとどまっている人が大半であるように思われる*1

「人間でありさえすればいい」とする「人/物」の二分法に、「人間というためにはこうであらなければならない/こうであれば人間である」という条件がもたらされることで、人でない物に人間性が付与される一方で条件を満たさない人の人間性が剥奪されていく、というのがこの本で危惧されている未来図である。しかし、ヤケクソで投げやり的に自ら「人間」であることを捨て去って、「俺は物でいいや」と諦念して満足してしまう人たちも一定層はいそうなところである、と思った。