道徳的動物日記

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「恋愛」とは自然なものなのか(読書メモ:『女と男のだましあい:ヒトの性行動の進化』)

 

 

 原著は1994年、邦訳も2000年とかなり古く、進化心理学の本のなかでは「古典」の部類に入るものだ。そして、古典なだけあって、進化心理学の考え方のなかでももっとも基本となる部分が詳しく紹介されているところが参考になる。

 タイトル通り、人間の男女の性行動について、繁殖を成功させるための「戦略」という観点から分析する議論が主となっている。

 

・冒頭の、「恋愛」や「愛情」の自然性(実在性)を論じる箇所はとくに興味深い。

 

さらに問題を複雑にしているのは、愛情というものが、人間の生活のなかで中心的な役割を果たしていることだろう。恋愛という感情を体験しているとき、人間はその虜となってしまう。また、愛情を向ける対象が存在していないときには、恋愛の空想が頭のなかを占めてしまう。愛ゆえの苦悩は、おそらく他のどんなテーマにもまして、詩や音楽、文学、メロドラマやロマンス小説などの大きな主題になっている。とはいえ、ふつう思われているのとは異なり、恋愛は西欧の有閑階級が近代になって「発明」した感情ではない。恋愛はあらゆる文化において見られ、この感情を言いあらわすための特別な単語が、どの文化にも存在している。こうした普遍性は、愛情ーーおよびその主要な構成要素である相手への献身、優しさ、情熱といったものーーが人間の感情に不可欠な部分であり、すべての人間が体験するものであることを示している。

(p. 9-10)

 

 その一方で、一般に、進化心理学とは「愛」の欺瞞や虚仮を暴く考え方であるとも捉えられがちだ。

 

最後にもうひとつ、進化心理学への抵抗を生みだしているものを指摘しておこう。それは、男女間のロマンスや性的な調和、生涯変わらぬ愛情といった、だれもが抱きつづけている理想である。私自身、こうした見方を捨て切れずにいるし、愛情こそが人間の性心理学の核心となるものだと信じてもいる。配偶者との結びつきは、人生においてもっとも深い満足感をもたらしてくれるし、それを欠いた人生はひどく空虚なものに思えるだろう。結局のところ、ひとりの配偶者とうまく幸福に暮らしていける人々も少なからず存在するのだ。しかし、われわれはあまりに長いあいだ、人間の配偶行動の真実から目をそらしつづけてきた。不和や競争、そして駆け引きといったものも、配偶行動において普遍的に見られる要素なのである。もし、男女関係という人生でもっとも魅惑的なものを真に理解しようとするなら、勇気をもってそうした要素を直視しなければならない。

(p.39)

 

 たしかに、世間一般の人が進化心理学に抵抗感を抱くとすれば、あまりに生々しく即物的な説明によって「愛情」に対して抱いている幻想を壊されることにあるだろう。

 一方で、もうすこし意識が高かったり人文的な発想に馴染んでいる人であれば、「恋愛」や「愛情」とは文化や社会によって構築されるものではなくわたしたちの自然な生き方において否応なく発生するものである、という考え方に対して反感を抱くはずだ。とくに最近の女性向けコンテンツでは、異性愛から女性を「解放」させるストーリーを描くことがトレンドになっている。そして、社会構築主義の魅力とは、わたしたちを縛り付けていたり苦悩させていたりする諸々の価値や考え方について「社会的な規範を押し付けられることによって生み出されるもの」だと定義することで、「では社会的な規範を変えたり押し付けから逃れたりすることができれば、厄介な価値や考え方からわたしたちを解放させることができる」という「希望」を与えることにある。……だけれどそんなにうまくいくものではないかもしれない、と進化心理学は示唆するわけだ。

 

・『女と男のだましあい』のなかでは、男性は女性に対して若さと容姿を求める傾向があって、女性は男性に対して資産と権力を求める傾向があるという、進化心理学の男女論としてもスタンダードなものが展開される。「女性の上方婚志向」の問題についてもバッチリ書かれている。

 とはいえ、女性は資産と権力だけを男性に求めているわけではなく、熱意や優しさなどの「献身」も求めているのだ。

 

愛情や献身のディスプレイは、女性を強く惹きつける。それは、男性がその女性のために、時間やエネルギー、労力を長期間にわたって提供する意志があることを意味するものだからだ。献身的であることを示すのはなかなかむずかしく、偽ってそう見せかけようとするのはかなりの努力を要する。それは、ある程度の期間を通じてくりかえし送られるシグナルによって判断されるからである。ただカジュアル・セックスだけを求めている男性は、あまり多くの努力を注ぎこもうとはしない。献身のディスプレイは、女性から見ればシグナルとして信頼がおけるものなので、女性を惹きつけるためのきわめて強力なテクニックとして機能するのだ。

(……中略……)

献身を強くあらわすシグナルのひとつは、求愛期間中の男性の「熱意」である。これは、なるべく多くの時間を相手の女性と過ごすというかたちで表現される。他のどんな女性よりも頻繁に彼女と会い、なるべく長い時間をかけてデートし、ことあるごとに電話をかけ、何十通もの手紙を書く。この戦術は、永続的な配偶者を獲得する場合にはきわめて有効であり、平均すると七点満点で五・四八点という高い効果を示している。

(……中略……)

検診を示すもうひとつの要素である「優しさ」のディスプレイも、効果的な誘惑のテクニックとしてあげられる。女性の抱えている問題を理解し、彼女が求めていることに敏感で、同情的にふるまい、救いの手をさしのべるような男性は、長期的な配偶者にふさわしい存在として女性の心をつかむことができる。優しさが効果を発揮するのは、それが、男性が女性のことを気にかけ、必要なときはかならずそばにいて、資源を提供してくれることを暗示するものだからだ。優しさは、たんなるカジュアル・セックスへの興味ではなく、長期にわたるロマンティックな愛情の証なのである。

(p. 170-172)

 

 引用部分のすぐ後には「とはいえ、一部の男性は、カジュアル・セックスのパートナーを誘惑するのにも、この戦術を用いている」と指摘されているように、ほんとうの意味で「優しい男」よりも「優しいフリをするのが上手な男」の方がモテる、というのはありそうなことだ(あった)。しかしながら、上述の引用部分は、たとえば「暴力的な男のほうがモテる」といった弱者男性論者やインセルが陥りがちな発想に釘をさすものであることは間違いないだろう。資産や地位があまりない男性は、コンプレックスや不安を乗り越えて熱意や優しさをしぶとくアピールし続けることが大切だ、みたいな教訓を引き出すこともできるかもしれない。

 

・この本の後半部分では「嫉妬」という感情が引き起こす問題についても述べられている。一般的に、男性は女性よりも性的な嫉妬を感じやすく、そして男性の嫉妬は殺人を頂点とする暴力的で危険な行動に結びつきやすい。著者は「嫉妬」や「男性による性的暴力」をテーマにした本も書いており、この部分には特に気合が入っている*1。一般的なカップルでは男性から女性に資源が提供されるために、配偶者を奪われたり寝取られたりすることのデメリットは、男性の方が大きい。これまでに提供してきた資源がすべて無駄になってしまうからだ。それだけでなく、「妻を寝取られた男」という評判がコミュニティのなかでたってしまうと、周りの人物からもナメられて、社会的地位が下がってしまい、次の配偶者を獲得するのも難しくなってしまう。そのために男性は暴力を用いてでも女性のパートナーを自分のもとに縛り付けて他の男から遠ざける傾向があり、ときには「他の男に奪われる前に殺してしまう」ということが合理的な選択になってしまう場合すらもあるのだ。

 同様の理由から、配偶者の浮気によって本人に与えられる精神的ダメージも、男性のほうがずっと高い。男性のほうが浮気する割合や可能性は高いが、女性の浮気のほうが離婚のきっかけにはなりやすいのだ。

 ちなみに、女性が浮気をもっとも行いやすいのは三十代だ。この年齢になった妻の繁殖能力は減りつつあり、また容姿も下り坂になっていくために、夫は妻への興味をこれまでにくらべて失って、セックスの回数を減らしたり妻に近づいてくる男に対するガードを緩めてしまったりする。だが、減ったとはいえ繁殖能力がまったく無くなっているわけでもない妻にとっては、夫よりも良い相手と番ってその子供を妊娠する最後のチャンスであり、さらに夫のガードが緩んだことで実行可能性も上がっているのだ。もちろん実際には浮気相手の子を妊娠する女性は稀であるだろうが、浮気への欲求の背景にはこのようなメカニズムがあるということである(なお、男性は年齢に関係なく常に浮気をしたがる)。

 

・感情を表に出すか出さないか、という戦略の男女差についての記述。

 

男性が自分の感情を表に出さない理由のひとつは、配偶者への投資に際して感情を排することで、残りの資源を他の女性や別の目的に振り向けやすくなるからだ。一般に、男性が行う交渉の場では、自分の願望がどれほど強いのか、どれほど支払う用意があるか、どれだけ熱心に取引を望んでいるかを相手に知らさずにおくのが最良の手段であることが多い。トルコの絨毯商人は自分の関心を悟られないように濃いサングラスをかける。ギャンブラーは感情を表に出して手の内を読まれることのないよう、ポーカーフェイスを通そうとする。感情は、しばしばどの程度の投資をしようとしているかをあらわにしてしまう。感情を隠しておければ、自分の性的戦略も知られずにすむ。女性は情報の欠落に苦しみながら、手がかりを選り分けて男性の本心をつきとめようとせざるをえない。大学生の男女を対象に調査したところ、女子学生は男子学生にくらべて、デートした相手との会話を反芻し、相手の「本当の」意図や目的、動機などを探りだそうとしがちであることがわかった。男性が感情を表に出さないことにたいする不満の奥底には、献身の度合いをめぐる軋轢が潜んでいるのである。

(p.244)

 

 上述のように男性は一般的に感情を隠そうとするために、感情を表に出したり素直に振る舞ったりする男性のほうが女性に好印象を抱かれてパートナーを得られやすい、という逆説的な現象についても書かれている。男女の戦略は軍拡競争的なメカニズムになっているために、戦略的には不利であるはずの特徴が一周回って有利になる、ということがあり得るわけだ(もちろん、「素直に感情を表に出している」フリをすることができる男性が戦略的には最も有利である、ということも言えるだろう)。

 

気分屋のパートナーをもつことは、時間と労力を浪費させられるため、高くつくものになる。自分の希望はとりあえず横においてパートナーの機嫌を直そうとする融和行動は、他の目的を犠牲にしてエネルギーを浪費する。女性は相手の誠意を確認する戦術として、こうしたコストを男性に課すのである。感情の起伏の激しい女性は、おそらくほんとうはこう言いたいのであろう。「あなたがもっと献身的にふるまわないと、私は感情的になってあなたにコストを支払わせるわよ」。感情の起伏を激しくするのは、男性の献身を確実なものにするために女性が用いる戦術のひとつなのだ。男性が気分屋の女性を嫌うのは、本来他の目的にまわすはずだった労力を、そのために費やさざるをえないからである。

(P.245 - 246)