道徳的動物日記

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公共的理性とはなんぞや(読書メモ:『ロールズと自由な社会のジェンダー』)

 

 

 

リベラルな民主主義社会の理念では、私たちは自らの政治社会のあり方を対話によって定める。私たちが政治社会のあり方をめぐって対話する際に求められるのは、そこに「相互性」が具現化されていることだとロールズはいう。相互性という価値を具現化した対話の理念、それがロールズの提案する「公共的理性 publice reason」である。公共的理性の理念は、「私たちが市民として他の市民とどのような関係を結ぶべきかに関する理念である」。

ここで、「理性」という言葉が多義的に使われいることには注意が必要だ。それは対話するという「活動」であり、対話の「内容」であり、また対話において各種の提案に添えられるさまざまな「理由」でもある。理性という言葉を聞くと、私たちは非人格的に該当する「正しい論理」の使用や探求をイメージしがちだが、ロールズのいう理性はそういうものではない(場合によってはそれも要素として含みうるが)。公共的理性はむしろ、他者へ呼びかけであり、呼びかけへの応答である。公共的理性の営みのなかで私たちは互いに、お互いをひとつの政治社会の対等な一員とまなざす視点から、共生と呼べる社会の実現に向けて他者に呼びかけ、また応答する。公共的理性がめざすのは、さまざまな社会制度のよりよいあり方を探ることだけでなく、公共的理性をめざす共同の対話に他の市民とともに参加することそのものによって、私たちがひとつの政治社会を自由な共生として編み出していくことである。

公共的理性は、相互性という価値を具現化する共生に向けた対話である。ロールズ自身はこれを次のように表現する。

 

[公共的理性に導かれることで]みなが理にかなったものとして受け入れうる考え方のもとで他者と政治的に共生するという……理念を実現することができる。

 

つまり、他のあらゆる市民によって受け入れるべきものとして受け入れられうる共生の理の探求へと動機づけられた対話が公共的理性だというのである。

 

(p.37-39)

 

 相変わらずロールズは難しいのだけれど、「公共的理性」とはこういうものだと説明されるとわかりやすい。要するに相手と自分が対等であると認めて、「自分はこれこれこういう理由から社会はこうあるべきだと考える」ということを相手にも伝わるかたちで、相手の理性に訴えかけるかたちで述べて、それで相手からの反論も受け止めつつ「社会はこうあるべきだ」ということについての合意を探っていく……みたいな感じだろう。

 

 

davitrice.hatenadiary.jp